今日は、白ワインのシャブリを飲んでいる。すごく冷えているんで喉ごしはいいんだけど、この酸っぱさはやっぱりちょっと苦手だ。
エアロバイクをこぎながらの読書は、村上春樹については一冊読み切ったので一段落し、また数学書に戻った。今日は数理論理学の専門書、田中一之『数の体系と超準モデル』裳華房を再読していた。チューリング・マシンについて復習したいからだ。復習したい理由は別の機会に書く。
この本の、オートマトンの初歩の例の中に、「3の倍数を2進法で表した数だけを受理するオートマトン」というのが出てくる。前に勉強したときは、「ふ~ん」という感じに読み飛ばしたんだけど、今回は気になって証明を考えてみた。(本には証明は書いてない)。通勤の電車の中で考えて、少し時間がかかったけど、うまくできたときはちょっと嬉しかった。わかってみると、非常に巧妙にできたオートマトンだ。(昔のエントリー、オートマトンの食べ方も参照のこと)
さて今日は、昔に大学祭で観たライブについて書こうと思う。「フォークの神様」と呼ばれた岡林信康さんのライブだ。
このライブを観たのは、入学した年の五月祭だった。記憶では、キャンパスにテントを作り、その中にステージがあったように思う。岡林は、ぼくらより一世代上の人たちが崇拝するシンガーだった。学生運動の象徴とも言える人。反戦歌とか、差別問題を扱った歌とか、革命を願望する歌とかを作った。
岡林の歌を初めて知ったのは、中学生のときだったと思う(ひょっとすると小学生だったかもしれない)。(どっちにしても)音楽の先生が若い新任の女性で、「友よ」という曲の歌詞をガリ版刷りで配って、生徒たちに歌わせた。そのときには、これが社会変革を求める反体制の歌だとはみじんも思わなかった。(それにしても、なんで彼女はこんな曲を取り上げたんだろうか)
その後、友人の家でレコードを聴かされ、とりわけ、「山谷ブルース」という日雇い労働者の悲哀を描いた歌とか、「手紙」「チューリップのアップリケ」など部落差別を扱った歌を知って衝撃を受けた。
でも、五月祭のときのライブで岡林が歌ったのは、「転向後」の曲ばかりだった。彼はあるとき、シンガー生活を投げ出して、「下痢を治しに行ってきます」という書き置きを残して、山にこもり、農業をすることになった。しばらくして、復帰し、アルバムを作ったが、人が変わったように昔の面影はなかった。演歌にシンパシーを持ったみたいだった。だから、五月祭のライブでは、彼は、反体制の歌も、革命の歌も、一切歌わなかった。
岡林の曲で、一番歌詞がすごいと思ったのは、初期の曲「私たちの望むものは」だった。この曲は、「私たちの望むものは~ではなく、私たちの望むものは~なのだ」と「~」のところを入れ替えながら繰り返される歌詞である。例えば、「私たちの望むものは生きる苦しみではなく、私たちの望むものは生きる喜びなのだ」から始まり、「私たちの望むものは社会のための私たちではなく、私たちの望むものは私たちのための社会なのだ」と続き、「私たちの望むものはあなたを殺すことではなく、私たちの望むものはあなたと生きることなのだ」と展開していく。そして、鳥肌が立つのは、後半、歌詞が逆転していくところだ。どきっとなる歌詞だ。
面白いことに、(そう言っていいかどうかわからないんだけど)、アルバムのサポートバンドをやったのは、デビューしたての「ハッピーエンド」だった。ハッピーエンドは、細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂から成るすごいバンドだ。後に、日本のロックの一時代を作り上げたと言っていい人たちである。はっきり言ってしまえば、岡林よりずっと高い音楽性を備えた人たちだった。そして、(たぶん)、彼らは学生運動とはあまり関わりがない。その彼らが、岡林のサポートをやっていたというのは、なんとも奇妙というか、時代のなせる奇遇というしかないと思う。
ぼくは、岡林の曲をギターで弾き語りがしたくなり、コード譜付きのスコアを買った。そのスコアには、スコアとして非常に珍しいことに、巻頭に詩が掲載されていた。岡林作の詩ならわかるのだがそうではなかった。
その巻頭の詩は、芥川龍之介のものだった。ネットで調べたところ、『或阿呆の一生』三十三 「英雄」が出典で、「レーニン」をモチーフにしたものらしい。
「誰よりも民衆を愛した君は 誰よりも民衆を軽蔑した君だ。」とか、「
誰よりも理想に燃え上った君は 誰よりも現実を知っていた君だ。」とか吟じられている。
岡林のスコアの編集者はなぜ、これを引用したのだろう。スコアを捨ててしまった(誰かにあげたのかもしれない)今となってはわからない。というか、スコアには何の説明もなかった。でも、想像するに、この芥川のこの詩が「私たちの望むものは」の歌詞と同じ構造をしているからかもしれないな、とは思う。あるいは、岡林の反体制と転向とが、この詩を彷彿とさせ、岡林をレーニンと重ねてみたかったのかも、とも思う。
前半で、ぼくがあたかもハッピーエンドの面々を腐しているように読まれると困るので、念のため自己フォローしておく。ぼくは、細野晴臣さんのバンドである、ティンパンアレイが大好きだったし、YMOはぼくにとって画期的なテクノバンドだった。また、ユーミンの初期の曲「卒業写真」での鈴木茂さんのギターも、孤高の演奏だと思っている。