今回は、最近出版された遠山啓『初等整数論』ちくま学芸文庫の紹介をしよう。最近出版された、と言っても、初版は『数学セミナー』での1969年から1970年の連載を1972年に日本評論社から刊行したものであり、その文庫版ということになる。嬉しいプレミアムとして、数学者・黒川信重さんの解説が新たに加えられている。
この本の内容に触れる前に、生涯学習の市民講座である早稲田エクステンションセンターでぼくがレクチャーする一般人向けの夏期講習の宣伝をしておきたい。それは、「素数の話」というタイトルで、8/31(土曜), 9/7(土曜)の2回講座となっている。講義概要は、以下。
素数は、1と自分自身以外では割り切れない整数です。2、3、5、7、11、13、17、19・・・というようにとても不規則に並んでいます。素数の研究は紀元前のギリシャから始まり、2千年以上もの長い間、数学者たちを虜にしてきました。今でも新しい発見がなされ、また、いまだに解かれていない難問もたくさんあります。そんな素数の魅力を初心者に向けて解説しましょう。フェルマーの小定理、ウイルソンの定理などの初等的な有名定理から、リーマン予想などの未解決問題、素数の作る新奇な空間など総合的に解説します。また、素数を使う数理暗号が私たちのセキュリティを守っていることもお話しましょう。
詳細や申し込みは、以下のURLからどうぞ。
素数のはなし | 小島 寛之 | [公開講座] 早稲田大学エクステンションセンター
さて、遠山本の話にもどろう。
この本は、タイトル通り、初等整数論を解説した本である。章立ては「整数の基本性質」「約数と倍数」「いろいろな関数」「合同式」「群、環、体」「連分数」となっており、初等整数論の標準的なラインナップと言っていい。
一読した印象だと、高木貞治『初等整数論講義』岩波書店と同じ題材を、非常に丁寧に解説したように感じる。ただ、練習問題として、しゃれた問題も加えられており、受験業界の人には良いネタ帳になるんじゃないか、と思う。
高木本との違いは、行列理論を積極的に導入していることと、連分数へのアプローチが若干、洗練されている点であろう。とは言っても、連分数に関しては、高木本が「モジュラル変形」やミンコフスキーの「数の幾何学」など、現代数論で大事になる題材を導入しているのに対し、遠山本にはそういう「情熱」「情念」のようなものは感じられない。
その理由は、たぶん、遠山本のあとがきにあるように、初等整数論を「数学教育の題材」とみるスタンスを持っているからである。実際、あとがきでは、ハーディの言葉「初等整数論は早期の数学教育にとってもっともよい教材の一つであろう」を引用し、それに諸手を挙げて賛成している。それに対して、高木は、あくまで初等整数論を現代数論の入り口、「鳥居の如きもの」と扱っている。近頃のぼくが、遠山本より高木本のほうが面白く感じるのは、ぼくが数学教育者の感覚から遠のき、数学そのものに「情念」を持つようになった証しなのかもしれない。
とは言っても実はぼくは、遠山氏の著作で好きだったのは中学生のときに読んだ『数学入門』岩波新書だけだった。その後、『無限と連続』岩波新書など何冊か読んだが、あまり興味を感じなかった。遠山氏の数学の解説は、なにか淡泊というか、無味無臭というか、数学者の多くが秘めている数学概念に対する「情念」のようなものが欠落しているのように思えてしまうのである。これは、遠山氏の数学の著作全体に感じるもので(教育論の著作はそうではない)、「本当に数学者なんだろうか」といぶかるほどである。まあ、単なる趣味の問題なのであろうけど。
それでもぼくは、この遠山啓『初等整数論』ちくま学芸文庫を強く推奨したい。それは、黒川信重さんの文庫版解説がとても面白いからだ。
この解説は、黒川さんが遠山氏の最終講義に参加する話から始まる。
私は、東京工業大学に入学が決まり、下宿などを探しに大岡山キャンパスをふらついていて偶然、遠山先生の最終講義の案内を見てふらふらと講義室に導かれていた
という黒川さんらしいと言えば、らしいエピソードが書いてあって楽しい。
でも、そのすぐあとから、ゼータ関数の解説が始まる。いつもの黒川節である。
紹介されているのは、非常に簡単な、複素数を変数とするゼータ関数(多項式ゼータ関数?)、
、
である。このについて、次の定理を提示する。
(定理) (1) [関数等式]
(2) [リーマン予想類似] となる複素数は、を満たす(は複素数の実部を表す)。
黒川さんは、親切にも、2次()の場合も証明してみせてくれる。その上で、一般のの証明を代数版と幾何版の2通り与えてくれる。どちらも感動的に見事な証明だ。とは言っても、賢い高校生なら自力でできるだろう。
黒川さんは、きっとこの文庫版解説で、(意識してか無意識かわからないが)、遠山本に決定的に欠けているもの、すなわち、「その先に広がる魅力的な数学世界」を補ってくれたんではないか、と思う次第である。
いつものことではあるが、ぼくの初等整数論に関する著作の販促をさせてほしい。それは、『世界は2乗でできている』講談社ブルーバックスだ。この本は、2乗にまつわる数論を平易に紹介している。「ピタゴラス数」、「2平方定理」、「4平方定理」、「平方剰余」、「フィボナッチ数」など。楽しくて、情念に満ちた本なので、何卒です。