今回は、黒川信重さんの新作を紹介しよう。『オイラーとリーマンのゼータ関数』日本評論社だ。「ゼータの現在」というシリーズ本の2冊目の本だ。
この本はゼータ関数についての解説書で、もちろん数学書としてはけっこう高度な内容だ。しかし、読み方を工夫する、つまり、注目する視点を変えると、非常に面白く、かつ、深い感慨が得られる本なのだ。視点は、少なくとも次の二点がある。
(1) オイラーのゼータ関数に関する業績を、オイラーの年齢順に並べてある点
(2) 最新の数論の方法論である絶対ゼータ関数(F1理論)をオイラーが既に議論していたことを明らかにしている点
どちらにも共通しているのは、オイラーはやっぱりとんでもなくスゴイ、ってことだ。ちなみに、ぼくがこのところずっとはまっているアニメ「化物語」シリーズ(例えば、確率・統計は、マーケティングに使えるらしいぞ - hiroyukikojimaの日記にエントリーしている)には、老倉育(おいくらそだち)という少女キャラが出てくるが、このキャラは数学好きが特徴で、明らかにオイラーを彷彿とさせるのである。オイラーはアニメで少女に憑依するぐらいスゴイのだ(笑)。まあ、本書を読む前に、老倉育ファンのぼくが書いたゼータ関数と素数の入門書『世界は素数でできている』角川新書を読んでおくことを強くお勧めする。
視点(1)で書かれた本は、あるようであんまりないんじゃないかと思う。年齢順に、オイラーの発見を見ていくと、オイラーの天才ぶりが浮き立つ。まず、26歳で、オイラー定数と呼ばれるγ=0.577・・・を発見している。これは、1の逆数、2の逆数、・・・、nの逆数の和から、log nを引いた値のnを無限大に飛ばしたときの極限だ。さらに、γをゼータ関数の値の級数で表すことも証明している。オイラー数がゼータ関数で表現できること、そして、それを若いオイラーが発見していたことは全く知らなかったので、これには思わずうなってしまった。
次に、28歳のときに、例の平方数の逆数和であるζ(2)の値が、(円周率の2乗)/6であることを求めている。さらに、正の偶数のときのゼータの値、ζ(4)、ζ(6)、ζ(8)、・・・も求めている。すべて円周率が現れる。
さらに、30歳のとき、ゼータ関数に関するオイラー積を発見している。これは、ゼータ関数の値が全素数で表現できる、という公式だ。その上で、素数の逆数和が無限大であることも証明している。
そして、32歳と42歳のときに、関数等式を見つけている。関数等式とは、ゼータ関数の値が1/2に関してある種の対称性を持っている、ということを示す公式である。
次なる年齢は、61歳まで20年ほどジャンプする。この年のオイラーは、ゼータ関数を積分で表示する式を発見している。リーマンはこの式を土台にして、解析接続という方法を開発した。解析接続とは、(sの実部)>1でしか通常の意味では収束しないゼータ関数を全複素数に拡張する重要な方法論だ。
この次は、65歳である。ここでオイラーは、s=3におけるゼータの値ζ(3)を表現する式を求めている。ζ(2)を求めてから、この値にアプローチするまで37年の経過しているのは感慨深い。ζ(3)を表現する式は非常に面白い式(log(sinx)なんて出て来る)なので、是非とも本書で鑑賞してみてほしい。
そのあと、3年後の68歳で、オイラーは、交代和形式のゼータ関数(L関数)を研究している。
このように時系列(年齢系列)で見ると、オイラーが、非常に執念深く、繰り返しゼータ関数にアタックしていることがわかり感動する。そればかりではなく、70歳近くなったオイラーがまだ精力的にゼータ関数に挑んでいる姿には勇気がもらえる。ぼくも今年、還暦を迎えるが、まだまだ研究にアタックすべきなんだ、と気持ちを新たにした。
しかし、本書の真の驚きは、(2)の点だ。
本書では、黒川さんがリーマン予想を解決するために提案した絶対ゼータ関数(F1理論)を第2章で概説し、引き続く第3章で、オイラーが既にこの絶対ゼータ関数を研究していた、という驚異的な事実を打ち出している。
絶対ゼータ関数をここで詳しく述べるのはぼくの能力を超えるので、本書を読んでほしい。あるいは、ぼくと黒川さんの共著『21世紀の新しい数学』技術評論社を先に読むと良いだろう。この共著は、基本的に対談本なので、他の解説書よりは読みやすいと思う。
本書によれば、絶対ゼータ関数は絶対保型形式から定義する、という方向が定着したそうだ。絶対保型形式f(x)とは、xを1/xに置き換えたf(1/x)がほとんど元と変わらないような関数をいう。このf(x)を使ってある種の積分操作を行って関数Z_f(w, s)を作り、これをwで偏微分してexpすると、絶対ゼータ関数ζ_f(s)が得られるそうである。さらに、コンヌとコンサニは、この絶対ゼータ関数が、もっと簡単な積分計算で得られることを示している。f(x)をlogxで割って、xのべき乗を書けて積分し、expする計算である。実はこの計算をオイラーは既に見つけていた、というのだ。
オイラーは、67歳〜69歳にいくつかの論文を書き、絶対ゼータ関数に肉薄している。オイラーが67歳に発見した積分結果は、先ほどのコンヌとコンサニの絶対ゼータ関数に含まれるものなのである。さらに、68歳で証明した結果はとても面白い。最初のほうで説明したオイラー定数γの積分表示を手に入れている。1/(1−x)と1/logxの和を0から1まで積分するとγになる、というのである。この証明での計算を黒川さんは「絶対ゼータ関数の計算である」と断言している。黒川さんがこの見方を提示するまでは、誰もが「単なる定積分の計算」と眺めていた、と黒川さんは言う。この発見を黒川さんが研究集会で述べたとき、コンヌも、カルティエも、ラフォルグもみんなが驚いた、とのことだ。
このように、本書は、いくつもの驚きと感動をもらえる本になっている。数学を理解する力がそんなになくとも、数式を見るのが鬱陶しくても、この本は飛ばし飛ばし読んでいくだけで、わくわくしてきて、どきどきしてきて、興奮できること請け合いだ。