今回も前回の続きで、河井壮一『代数幾何学』培風館の紹介をしよう。前回のエントリー、
今頃になって、なんでか代数幾何が面白い - hiroyukikojima’s blog
を読んでない人は、先に読んでおいてくれるとありがたい。ついでに、黒川信重さんの新著『リーマン予想の今、そして解決への展望』技術評論社も併せて紹介したい。
「フェルマーの大定理」は、門外漢にも知れ渡った有名な定理で、「nが3以上の自然数のとき、(aのn乗)+(bのn乗)=(cのn乗)を満たす自然数a, b, cは存在しない」という定理だ。17世紀フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーが予想し、1995年にイギリス人の数学者アンドリュー・ワイルズが解決した。解決まで360年かかった超難問であった。
実はこの大定理には、「多項式版」がある。それは、
「nが3以上の自然数のとき、(a(t)のn乗)+(b(t)のn乗)=(c(t)のn乗)を満たす、複素数係数の、定数でなく、かつ互いに素であるようなtの多項式、a(t), b(t), c(t)は存在しない」
という定理だ。
ここで「定数でない」という条件は不可欠だ。定数でいいなら「a(t)=1, b(t)=1, c(t)=(2のn乗根)」が解になる。また、「互いに素」というのは「共通解を持たない」ということだが、これも不可欠。互いに素でなくていいなら、「a(t)=f(t), b(t)=f(t), c(t)=(2のn乗根)×f(t)」とか、「a(t)=0, b(t)=f(t), c(t)=f(t)」などが解となるからだ。さらには、「nが3以上の自然数」の条件も不可欠。n=2の場合は、「a(t)=(f(t)の2乗)-1, b(t)=2f(t), c(t)=(f(t)の2乗)+1」などが解となるからだ。
ぼくは、「フェルマーの大定理」が未解決の難問であることを中学生のときに知って、数学ファンになった。この「多項式版フェルマーの大定理」が既にずっと前に証明されていることも知識としてあったが、あまり興味を持たなかった。多項式は変数が含まれるので、条件が強くて、簡単に証明されても不思議ではないという感想を持ったからだ。
でも、その後、黒川信重さんと共著で本を作ったり、望月新一先生がabc予想を解決する論文を発表したりしたことで、意識が変わって、「多項式版フェルマーの大定理」にも興味を持つようになった。
数学を専門的に勉強すると、「多項式の集合」と「整数の集合」には、代数的な類似性が大きいことがわかる。例えば、「割って余りを出すことができる」とか、「素因数分解の一意性が成り立つ」とか、「ユークリッドの互除法で最大公約数が出る」とか、「イデアルがすべて単項イデアルである」とかなどだ。(念のため言うと、これらの性質は独立ではなく、互いに関連性を持っている)。これらについて、詳しくは、拙著『数学は世界をこう見る』PHP新書で勉強してほしい。
したがって、多項式の世界と整数の世界には類似の定理が成り立つことが多々ある。「フェルマーの大定理」と「abc予想」はその最たるものであり、どちらも「多項式版」のほうが先に証明され、証明も初等的であった。「フェルマーの大定理」では、「整数版」のほうもワイルズによって証明された。望月先生の論文が正しいと確認されれば、「abc予想」の「整数版」も解決することになる。
さて、「多項式版フェルマーの大定理」の証明だが、これは黒川信重『リーマン予想の今、そして解決への展望』で読むことを強く推奨したい。ネット上にも証明がアップされているが、黒川さんの書いた証明が最もわかりやすいと思う。
証明の概略を書くと次のようになる。まず、等式「(a(t)のn乗)+(b(t)のn乗)=(c(t)のn乗)」の両辺を微分する(合成関数の微分法)。次に、微分してできた等式と元の等式から、b(t)を消去する(連立方程式の要領)。すると、互いに素の条件から、多項式の倍数・約数関係が導かれる。それから次数についての不等式を導く。以上の作業を、a(t)の消去、c(t)の消去に対しても実行し、得られた次数についての不等式をうまく処理すれば、矛盾が導かれる仕組みだ。詳しくは、黒川信重『リーマン予想の今、そして解決への展望』を読んで欲しい。この証明は、数Ⅲを学んだ、多少数学の得意な高校生なら理解できる、お手本のような証明だが、自分ではなかなか発見できないようなものなので、高校生にも高校の先生にも数学ファンにもすごく勉強になると思う。
ちなみに、黒川信重『リーマン予想の今、そして解決への展望』は『リーマン予想の探求~ABCからZまで』技術評論社を、最新情報を加えつつ、大幅に改定したもの。後者を持っている人も購入して損はない。リーマン予想、深リーマン予想、絶対数学、abc予想など、数学ファンには堪えられない面白い本だ。「関数体版abc予想」の完璧な証明も収録されている。
さて、ここからが前回のエントリーの続きとなる。
河井壮一『代数幾何学』を第5章まで読み進んだ。第5章は、代数曲線(2変数の多項式=0で定義される複素射影空間の曲線)とその特異点を解消した「非特異モデル」(リーマン面)の「形」について解説した章だ。
結論を言えば、「円盤にg個の穴を開けた形状」になる。gのことを専門の言葉で「種数」という。
この種数についての定義とその性質を導くのだけれど、それがめちゃめちゃわかりやすい。ぼくの所有しているいくつかの代数幾何学の本(例えば、小木曽啓示『代数曲線論』など)では、種数とその性質を定義するのに、「層のコホモロジー」を経由する。きっと、そのほうがあとあと巧いことになるのだろうけど、ここまでの道のりが険しく、また、初学者には抽象的すぎてついていけない。わかったようなわからんような朦朧とした気分で進むしかない。それに対して、河井壮一『代数幾何学』では、非常に簡単に、そしてクリアーな議論で種数の定義とその性質を導く。
代数方程式→重複点での分岐→分岐被覆→多角形の張り合わせ→穴の個数
というイメージしやすい議論を使うからだ(被覆については、拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社を参照のこと)。そこでポイントになるのは、多面体についてよく知られたオイラー指標である。オイラー指標とは、「(頂点の数)-(辺の数)+(多角形の数)」という計算で、穴の個数が固定されればどんな多面体でも一定数になる。
今までは、どれを読んでも曖昧模糊となっていた種数(穴の個数)の意味が、この本で初めて理解できた。
この第5章のクライマックスは、「多項式版フェルマーの大定理」の証明だ。この本ではこれを「Kummerの定理」と呼んでいるので、これがクンマーが証明した方法だからなのかもしれない(あるいは別の方法で証明した可能性もある)。ちなみに、黒川信重『リーマン予想の今、そして解決への展望』では、R.リュービルという数学者が1879年に証明した、と紹介している。このリュービルは「リュービル超越数」のリュービルとは別人ということだ。
さて、河井壮一『代数幾何学』で解説している「多項式版フェルマーの大定理」の証明は、おそろしく簡単で、たったの9行で済ませている。
その手続きは、「(f(t)のn乗)+(g(t)のn乗)=1(n≧3)」を満たす定数でないtの有理式f(t), g(t)があったとして矛盾を導く、というものだ。
そのため、まず、「(xのn乗)+(yのn乗)=1」という式で定義される曲線Cを考える(リーマン面)。この曲線Cの種数(穴の個数)は、(n-1)(n-2)/2となる。ここで、「(f(t)のn乗)+(g(t)のn乗)=1」という仮定から、(f(t), g(t))はリーマン球面(複素平面に無限遠点を加えて球面にしたもの)から曲線C(リーマン面)への正則写像(つまり、tの有理式でパラメーター表示できるってこと)となる。このとき、一般的な種数の公式を利用すれば、
2-2×(リーマン球面の種数)=m×(2-2×(曲線Cの種数))-(分岐指数から1を引いたものの総和)
が成立しなければいけないけれど、リーマン球面の種数=0から、この等式は成り立ちようがない。もっと簡単に言えば、リーマン球面には穴がないけど曲線Cには穴があるのでこの等式は成立しないから、パラメーター表示する写像があるはずがない。したがって、矛盾が生ずる、ということなのだ。
この証明からは感ずるものが大きい。最初に紹介した黒川信重『リーマン予想の今、そして解決への展望』における証明が、微分という解析的性質とか、多項式の約数・倍数関係という代数的性質とかに強く依存しているのに対して、この証明は「穴が複数個開いた円盤」という「形」だけに、(つまり位相だけに)、依拠している、という点だ。これを読むと、数論は「ものの形状」から相当な情報を引き出せるんだろうな、という予感がひしひししてくる。簡単な定理ではあるが、現代数論のエッセンスを見た気になれるのである(単なる気分だと専門家に叱られるかもしれないが)。