ゴールデン・ウィークに、観たかった映画『ペンタゴン・ペーパーズ』を家族で観てきた。これは、スピルバーグが監督したハリウッド映画で、1971年アメリカに起きた大事件を描いたものだ。それは、ベトナム戦争の真実について、その秘匿されている情報を、ある男がコピーして持ち出して、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストにリークした。それが報道されたことで、国民がベトナム戦争の真実を知るところとなり、世論が大きく変わって、戦争終結に結びついた、その顛末を描いた映画だ。
観たかった理由は二つある。
第一は、宇沢先生に市民講座で教わっていた頃、ベトナム戦争とその当時のアメリカの雰囲気を教わったことがあり、非常に興味を持っていたこと。第二は、書類をコピーして持ち出しリークした人が、経済学者ダニエル・エルスバーグという人で、ぼくの研究の始祖にあたる人だから、ということ。以下、順を追って説明する。
その前に、前回(宇沢先生の理論のシンポジウムを土木学会が行います! - hiroyukikojimaの日記)にも宣伝した、宇沢先生の理論に関する土木学会のシンポジウム(ぼくも登壇する)について、もう一度宣伝をしておきたい。残席が僅かになっているので、もしいらっしゃるのなら、早めにお申し込みを。
シンポジウム「宇沢弘文の社会的共通資本を再考する」
日時:平成30年5月28日(月) 13:00−17:00
場所:土木学会講堂(新宿区四谷1丁目外濠公園内)
定員:120名
参加費:無料
案内のHPは↓。申し込みもこのHPからできる。
シンポジウム|土木計画学研究委員会
さて、この映画の主役は三人いる。第一は、国防長官ロバート・マクナマラ、第二は、リークする経済学者ダニエル・エルスバーグ、第三は、ワシントンポストの経営者キャサリン・グラハムだ。
ロバート・マクナマラについては、宇沢先生に相当詳しく、その人となりを聞いた。それは宇沢先生の著作にも詳しく書かれている(例えば、『宇沢弘文傑作論文全ファイル』東洋経済新報社)。少し引用しよう。
ケネディ、ジョンソン両大統領のもとでヴェトナム戦争を計画し、実行していったこれらの知的エリートとでも言うべき人々が、じつはいかに知性の乏しい、人間的に貧しい人々であったか、ということをハルバーシタムは繰り返し述べている。とくに、ロバート・マクナマラ元国防長官にかんする叙述は詳細にわたっている。彼が一見すぐれた能力をもつようにみえながら、ヴェトナムにおける歴史的な流れを理解することができず、軍事的介入をエスカレートしていった過程を見事に描き出しているが、最後に「要するに、彼は馬鹿であった(After all, he was a fool.)という言葉で結んでいるのは、きわめて印象的である。(中略)。
とくに多くの経済学者が、ロバート・マクナマラ氏が長官であった国防省に入って、戦争計画に直接関与することになり、新古典派経済学の考え方にもとづいてさまざまな政策が立案され、実行に移されていった。マクナマラ氏はもともとハーバード大学で経営学を講じた学者でもあったが、その効率主義にもとづく考え方は、新古典派経済学の理論的展開とも調和するものであった。ヴェトナム解放戦線の兵士を一人殺すのにどれだけの費用が必要となるか、という、いわゆる「キル・レシオ」(殺戮比率)という概念が導入され、「キル・レシオ」を最小化するためにどのような資源配分のパターンを国防政策のなかでとったらよいか、という議論が堂々と行われた。
その結果、もっとも多いときには年間600億ドルという巨額な資金がヴェトナム戦争の直接軍事費として支出されるという状況のもとでも、増税をおこなうことなく、またインフレーションをお惹き起こすこともなく、ヴェトナム戦争を遂行し、国土を破壊し、人民を殺戮することを効率的におこなってきた、というのが、マクナマラ長官が上院外交委員会の証言でつよく主張したことであった。
この文章には、宇沢先生の怒りと、新古典派経済学への失望が読み取れる。宇沢先生が新古典派的な手法に愛想尽かしたのは、このあたりに原因があるのではないか、と憶測している。
映画に出て来るマクナマラは、見た目には非常に常識人に見える。しかし、そこはかとない狂気が秘められているように見える。つまり、ある種のサイコパスとして描かれていた。
一方、ダニエル・エルスバーグは、この文章にあるように、マクナマラの配下になりながら、マクナマラの人となりに大きく反感を持ち、ベトナム戦争の現実が秘匿されている事実に怒りと絶望を持ち、機密書類の持ち出しという犯罪を実行した。つまり、アメリカの経済学者は、宇沢先生のいうような狡猾で心のない人ばかりではなく、エルスバーグのような人もいる、ということがすごいのだ。
ちなみに、エルスバーグは、その後、2003年3月のブッシュ政権によるイラク侵攻のときも、政府を痛烈に批判し、「アメリカ政府は核兵器を使用しかねない危険性をはらんでいる」と全世界に警告を発し、開戦後にホワイトハウス前で開かれたイラク攻撃の抗議集会に参加して逮捕された(拙著『確率的発想法』NHKブックス参照のこと)。
そのエルスバーグは、実は、ぼくの研究の始祖・発祥にあたるのは奇遇だ。もちろん、エルスバーグに惚れて研究を始めたわけではなく、偶然にすぎない。でも、何か、運命のようなものを感じないわけではない。
エルスバーグの博士論文は、確率的意思決定に関するものだ。当時は、経済学、統計学、ゲーム理論、意思決定理論では、「主観的確率による期待効用」という概念が広く用いられていた。これは、人々が「効用の確率的期待値」を基準に行動を決定する、という考え方だ。しかし、エルスバーグは、簡単な実験によって、人々がそのような基準を使っていないことを指摘した(この点も拙著拙著『確率的発想法』NHKブックス参照のこと)。それ以来、「非期待効用理論」と呼ばれる方法論や、「ナイト的不確実性理論」と呼ばれる方法論の研究が進められるようになったのである。ちなみに、ぼくは後者の研究者であり、6本の公刊論文はすべてエルスバーグの研究に関連するものなのだ。
だから、映画で役者が演じるとはいえ、エルスバーグがどんな感じの人なのかにはとても興味があった。そして、映画に出て来るエルスバーグは、めちゃめちゃカッコよかった。自分の研究が誇らしくなった(笑)。
第三の(しかし、真の)主人公キャサリン・グラハムは、名優メリル・ストリープが演じている。この女性は、ワシントンポストの経営者だった夫が死んだので、経営者の座についたにすぎない女性だった。にもかかわらず、この事件の中で、普通の主婦から、気骨のある新聞経営者へと変貌を遂げていく。これは、ストリープの演技力の賜だ。この人が演じてこそのものだった。アメリカの新聞界にはこういう人物が生まれる土壌がある、ということがすばらしい。
ストリープと言えば、名作『ディア・ハンター』が二作目の出演で出世作となっている。この映画は、ベトナム戦争に関するもので、あまりにすばらしい映画なのだ。いずれ紹介をエントリーしたいと思う。
『ペンタゴン・ペーパーズ』が、現在の日本で公開されたのは意義深い。数枚の書類が世の中を転換させる、ということは起こりうるのだ。大統領を失墜させる、ということはありうるのだ。しかし、それには国民の、不正と虚偽を許さない魂と気骨が不可欠なのだ。
ハリウッドは、こんな映画を作りうることが本当に尊敬できることだと思う。スピルバーグのような監督がいて、それを支えるスタッフとオーナーがいて、それを支える観客がいる。そういう意味で、アメリカはまだまだ捨てたものではない。映画はアメリカ人向けに作られているため、ほとんど解説をしないで、ものすごいスピードで進むので、若い人は少し事件をネットで調べてから行ったほうがいいと思う。大学生の息子も面白かったと言ってたので、きっと若い人が観ても楽しめ、感動できると思う。
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