今回も、前回に引き続いて、素数のことについて書こうと思う(前回のエントリーは、また、最大の素数が更新された! - hiroyukikojimaの日記)。
最近、素数に興味を持っているのには、二つの理由がある。
第一は、受験雑誌『高校への数学』東京出版に、新年度の4月号からの連載で、素数について書こうと思っていること。実はこの雑誌での連載は、今年で30年になる。ちょうど区切りの年となるので、ぼくの中学生の頃の初心に戻って、素数について語ってみようと思っている次第。
第二の理由は、今月刊行される『現代思想増刊 リーマン特集』青土社のための鼎談を年末に行ったこと(リーマンについての鼎談と、NHKの番組でのイギリス数学者の発言のこと - hiroyukikojimaの日記参照)。そこで、黒川信重先生からリーマン予想についてのお話を伺って、がぜん、素数についての興味がかき立てられたのだ。
素数の話を書く前に、このリーマン特集に関するイベントの告知をしておこう。
【現代思想リーマン特集】発売記念トークイベント
〜リーマンへの「現代思想」からの挑戦状
〜 黒川信重先生×加藤文元先生
(場所) 書泉グランデ(神保町) 7Fイベントスペース
(日時) 2月19日(金曜日) 19:00〜20:30
詳しくは、【現代思想リーマン特集】発売記念トークイベント ?リーマンへの「現代思想」からの挑戦状? 黒川信重先生×加藤文元先生 - 書泉/東京・秋葉原にアクセスせよ。
このイベントの見所は、黒川先生から「リーマン予想解決までのカウントダウン」が聴ける(であろう)こと、それから、「加藤先生のイケメンぶり」を堪能できること(ほんとにイケメンだよ)。少なくとも、それだけでも、参加する価値があると断言できる! ぼくもこのイベントには参加予定なのだが、不運なことに、この日、大学の業務があって、開始時間に間に合わない可能性があり、それで「飛び入り」という扱いにしていただいた。また、その大学業務は、終了時間に不確実性があるため、ひょっとするとイベントの終了時間までに駆けつけられない可能性も微少量だけあるため、ものすごく不運だと「飛び入り」さえできないこともありうることをお断りしておきたい。なにはともあれ、書泉グランデで、このブログの読者の何人かとお会いできれば幸いである。
さて、素数の話に戻ろう。
黒川先生は、本当に人格者で、お会いするたびに心が高揚する。数学科に在籍したときは、教員たちは、意地悪で傲慢で人の気持ちを解さない人がほとんどだった。数学の才能のある学生にはフレンドリーだが、そうでない学生には、人格を傷つけるような言動を平気でする。なので、才能のなかったぼくには、全く良い思い出が残っていない。それに比べて、黒川先生の他人と接するときの気配りや心遣いは、本当に、そういう数学者たちとは別次元で、お会いするたびに元気付けられる。
今回も、鼎談の最後のほうで黒川先生が、唐突に、「ところで私からむしろ小島さんに伺いたいのですが、リーマン予想は昔から確率論に深く結びついています」と発言された。ぼくは虚を突かれてしどろもどろになってしまったのだけど、あとで落ち着いて考えてみると、黒川先生はぼくを「確率の専門家」として扱ってくださって、それでこういう問題提起をしてくださったのだろうと推測できた。ぼく自身は、数学者でない、ということを強調するため、昔から「数学エッセイスト」と名乗っている。だから、数学者とこういう対談・鼎談をする際には、常に、「聞き手役」に徹することにしている。そんな中、黒川先生がぼくを「確率論」の研究者と見なしてくださったのは、光栄であり、そういう心遣いに胸が熱くなるものがあった。
そんな一件があって、ぼくは、中学生のときに入手した素数の本のことを急に思い出して、久しぶりに読んでみたくなった。それは、数学者ボレルの書いた『素数』という本だ。ボレルは、測度論とかルベーグ積分論での「ボレル集合」に名を残す、フランスの著名な数学者。この本は、クセジュ文庫というフランスの文庫を白水社が文庫化したもので、翻訳は芹沢正三先生だ。ぼくは、この本は、中学1年か2年の頃に買ったと思う。同じ、クセジュ文庫のイタール『整数論』と一緒に買った記憶がある。当時は、素人が読める数論の本はほとんどなく、この二冊は数学に目覚めたばかりの中学生には非常に貴重な本だった。(二冊とも今は絶版にように思うので、興味ある人は図書館にあたるといいと思う。)
ぼくは、当時はイタールの『整数論』ばかりを読んで、この『素数』のほうはあまり熱心にひもとかなかった。イタールの本は古典的な数論(フェルマーの研究成果周辺)だったのに対し、ボレルの本は、割と現代的なものだったからだ。とりわけ、ボレル『素数』では、素数の分布を確率論からアプローチしていて、当時、確率のことに全く関心のなかったぼくにはピントのはずれたアプローチに思えた。だから、長い間、本棚の中に放置していた。ところが、今回、黒川先生からの、先ほどの「リーマン予想は確率論と親和的」という問いかけを受けて、「そういえば」と急にこの本のことを思い出し、精読してみる気になったのだ。そうしたら・・・この本が、めっちゃ面白くためになる、とわかったのだ。人生、どこでどう転ぶか(起きあがるか)わからんものだ。還暦近くなって、この本に舞い戻るとは想像もしなかった。
とりわけ、最後に「ノートII 素数の分布法則について」として書かれている内容は、驚愕であった。それは、いわゆる「素数定理」の直観的な導出となっているからだ。「素数定理」というのは、「(a以上b以下の素数の個数)は(b−a)/log bで近似できる」という定理である。ここで、「近似できる」というのは、「数値が近い」というだけでなく、「bまたはa,b両方を大きくしていくと、比の極限が1になる」という極限法則をも含めている。ボレルのこのノートは、この「素数定理」の完全な証明ではない。あたりまえだ、この証明は通常はゼータ関数の零点の評価から得られるが、それは非常に高度なものである。一方、ゼータ関数を使わない初等的な証明をセルバーグが与えているそうだが、それも素人に読みこなせるものではない。ボレルは、「この定理が成り立つ、おおまかな直観的な根拠」を与えているのである。それは、「組み合わせ数(コンビネーション)の大きさの評価」と「組み合わせ数(コンビネーション)の数論的評価」と「確率論的な直観」とを組み合わせたものとなっている。
導出のアイデアは、「自然数mに対し、2m個からm個を選ぶ組み合わせ数2mCm」を操作することにある。ご存じのように、組み合わせ数2mCmは、(2m)!÷m!÷m!と計算される。受験問題で、このような組み合わせ数を計算した経験のある人はよくわかると思うが、この割り算は、分母分子がみごとに約分されて、整数になってしまう。その約分の仕組みをよく観測すると、素数定理にたどりつく、というのだから、実に面白い。実は、この発想は、素数に関するベルトラン&チェビシェフの定理「n以上2n以下の区間には必ず素数が存在する」にも用いられる。なかなか、有能な計算なのだ(ベルトラン&チェビシェフの定理については、いずれ書くつもり)。
ボレルによる「素数定理の直観的導出」の全体像は、『素数』で読んでもらうことにして、ここではおおざっぱな解説だけを書く。(っていうか、きちんと全部を書くのは、ブログでは無理)。
今、m=8、2m=16として考えてみよう。「16個から8個を選ぶ組み合わせ数」16C8は、(1から16までの積)÷(1から8までの積)÷(1から8までの積)で計算される。このとき、どの素数が約分され、どの素数が約分されないかを考える。結論を先にいうと、「16をpで割って商が偶数となる素数p」は約分されて消え、「16をpで割って商が奇数となる素数p」は約分されないで残る、のである。
実際、素数7は16を割ると商が2(偶数)となる。これは、(1から16までの積)には、素数7は2回現れることを意味する。他方、(1から8までの積)には7は1回現れるので、(1から16までの積)÷(1から8までの積)÷(1から8までの積)の計算では、分子の2個の7は、分母の2個の7でちょうど約分されてしまい、商の素因子には現れない。
次に、素数5について考えよう。素数5は16を割ると商が3(奇数)となる。これは、(1から16までの積)には、素数5は3回現れることを意味する。他方、(1から8までの積)には5は1回現れるので、(1から16までの積)÷(1から8までの積)÷(1から8までの積)の計算では、分子の3個の5のうち、2個は分母に表れる2個の5で約分されるので、1個だけが商の素因子として残ることになる。
このように、2mまでの素数pのうち、組み合わせ数の素因子として残るものと残らないものとが、2mをpで割った商の偶奇によって選り分けられることとなる。今の例、(1から16までの積)÷(1から8までの積)÷(1から8までの積)では、生き残る素数は、3、5、11、13である。ここで、一つ重要な注意がある。例えば、素数3は、(1から16までの積)に9という数の中に2個分現れている。このような場合は、今の議論は通用しない(例えば、2は実際には生き残るし、3も1個でなく2個生き残る)。しかし、素数定理のような「漸近的な評価」の場合では、このような数は「誤差」として無視してしまえる。2mまでにpの2乗以上が含まれるような素数は、非常に少ない(ルート以下のオーダー)なので、評価に含めないのである。このように考えると、約分されずに生き残る素数は、16/2<p≦16/1または、16/4<p≦16/3または、16/6<p≦16/5、・・・に属す素数ということになる。以降、この区間の長さの合計をLと記す。
以上の議論によって、2mCmは(割った商が奇数となる素数の積)とおおよそ等しいことがわかる。m=8の例では、16C8〜3×5×11×13と近似できるわけなのだ。
ここで、2mCmの大きさがおおよそ(2の2m乗)の水準であることに注目する。これは、組み合わせ数というのが、(x+y)の2m乗を展開したときの係数に表れ、それらの係数は中央が非常に大きく支配的になり、ど真ん中の係数が2mCmであり、他方、xに1を、yに1を代入した(1+1)の2m乗がこれらの組み合わせ数の総和であることから把握できるだろう。したがって、
(2の2m乗)〜(割った商が奇数となる素数の積)
という評価が得られる。ここで、この式の両辺の(自然)対数を取る。すると、
2m×log 2=Σlog p (ただし、和は、2mを割って商が奇数になる素数pにわたる)
という式が得られる。ここで、対数に関するテーラー級数展開を参考にすると、「右辺の素数pたちが含まれる区間の総和L」がぴったり、左辺2m×log2と等しくなる、という奇跡のような結果が得られる(先ほどのm=8の場合の区間たちについて、その長さの総和Lを考えてみればわかる)。したがって、2mを割って商が奇数になる素数pたちに関して、
Σlog p=(pたちが含まれる区間の長さL)
という等式が得られる。ここで、素数の分布がランダムである、という直観を手前勝手に投入する。そして、今の「2mまでの区間の中から、飛び飛びにピックアップしたいくつかの区間(長さの和がL)において、そこに存在する素数」について成り立った等式を、「普遍的に成り立つだろう」と推論してしまうのである。すなわち、
(a以上b以下の素数pについてのlog pの総和)=「a以上b以下の区間の長さ」=(b−a)
という式を導出するのである。ここで、左辺の和に現れるlogで表される項たちの平均値をlog nと書けば、この等式は、
(a以上b以下の素数の個数)×log n=(b−a)
を得て、それによって、(a以上b以下の素数p)=(b−a)/log nが導出される。ここで、nをbと置けば、冒頭の式となる。
以上のボレルの導出は、あまりに乱暴であり、途中に数学では許されない論理飛躍が含まれる。しかし、逆に、完璧だけど長くて難解な証明を読破したのでは得られない、「なんでそうなるの?」という、定理が成り立つ本性のような部分をわしづかみにできる、という御利益がある。ぼくはプロの数学者ではないので憶測にすぎないけど、数学者って、こんなふうな「わしずかみ」から、定理とその証明のヒントを掴んでいるんじゃないか、と思う。(今回も長くなって、面目ない。もっと、短く書けると思ったんだけどな・・・)。