8月がこんなに忙しい年は初めてで、今まで、全くブログを更新する余裕がなかった。
今回は、更新できない間に、ちょこまか読んだ数学書、小山信也『素数とゼータ関数』共立出版の紹介をしよう。
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ぼくが、中学生のための受験雑誌『高校への数学』東京出版で素数についての連載をしていることは、何度か書いた。その参考のために、本書を読むことにしたのだ。しかし、単なる参考を超えて、この本はとてもすばらしい本であった。
何がすばらしいか、と言えば、本書はゼータ関数のことを、本当に丁寧に、至れり尽くせりで解説していることである。
数学書の多くは、「1を聞いて10を知る」人に向けてかかれている。極力、最短距離で、最短の労力で、しかもエレガントな方法で定理を導いている。こういう本は、専門家や、将来数学者になる数学少年や、めっちゃ頭のいい人にはこの上なく適切な本だろう。しかし、ぼくを含む、凡庸な、頭の良くない人間には、全くもって挫折感を植え付けられるだけの本なのである。本書は、そういう本と真逆で、ぼくや多くの凡庸な数学ファン、「10を聞いても1しかわからない」人々へ向けて、「痒いところに手の届く記述」で書かれた、超親切な本なのだ。
とは言っても、本書を完全に理解するにはそれなりの数学知識が必要である。大学1、2年程度の解析学の知識、それと、複素解析の知識が不可欠だろう。でも、読み方次第では、そういう知識がなくてもなんとかなるかもしれない。この本には何段階かの読み方があると思うからだ。
[深さ1の読み方]:数式は斜め読みするだけで、日本語の部分を中心に読む。
[深さ2の読み方]:数式については、それが何を意味する式かだけ読解し、煩わしいところは飛ばし、主に日本語を読む。
[深さ3の読み方]:数式をちくいち検証しながら、じっくり綿密に解読する。
どの段階を選ぶかは、読者のニーズと知識段階に依拠すると思う。どの段階を選んでも、有意義な読書となることは請け合いである。ちなみにぼく自身は、[深さ2の読み方]をした。以下、各[深さ]をお勧めするレビューを与える。
[深さ1の読み方の勧め]
本書は、単に定理を与えるだけではなく、それがどんな含意を持っているか、があちこちに書いてある。それらは、ゼータ関数のファンになるのに十分なほど魅力的である。ゼータ関数は、解析学のたくさんの技術がそれこそ「総合商社的」に利用される。本書は、それをただ場当たり的に出してくるのではなく、「その技術を使う必然性は何か」「その技術がどのように効いてくるか」を言葉で説明してくれる。これらの記述を読むと、ゼータ関数というのは数学者の英知の結晶であるなあ、と強く胸が打たれる。
[深さ2の読み方の勧め]
本書の売りは、ゼータ関数の基本的性質を、省略せずに、しかもできるだけ初等的に証明していることだ。それはもう、至れり尽くせり、痒いところに手がとどくようである。
ゼータ関数ζ(s)とは、ご存じの通り、「(nのs乗の逆数)をすべての自然数nにわたって足し合わせたもの」(Σ(1/n^s))である。ここで、定義域sは複素数全体だが、あとで解説するように、複素数s全部に対してこの無限和で定義されているわけではない、という点が大事だ。
本書ではまず、実部Re(s)が1より大きいsに対して、前記の無限和が広義一様に絶対収束することを丁寧に証明している。基本的だが押さえておきたいことだ。
次に、この領域(実部Re(s)>1)では、ゼータ関数ζ(s)がオイラー積表示「{1−(pのs乗の逆数)}の逆数をすべての素数pにわたって掛け合わせたもの」(Π1/(1−p^(−s)))と一致することを丁寧に証明する。大事なのは、このことだけで、この領域ではζ(s)が0とならないことが同時にわかってしまう、という指摘である。なぜなら、無限積は収束する場合は0とならないからなのだ。このことは、素人には意外な事実であろう。そして、ζ(s)がこの領域では0とならないことは、ゼータ関数の零点を追求するリーマン予想にとっては、とても重要な事実である。
次なる段階として、「(nのs乗の逆数)をすべての自然数nにわたって足し合わせたもの」は、実部Re(s)が1より小さいsに対しては発散することが丁寧に証明される。ゼータ関数ζ(s)はこの領域でも有限値となっているので、多くのアマチュアはここでつまづく。つまり、愚直に無限和を実行すると、発散してしまうわけだから、ゼータ関数ζ(s)はこの領域では「(nのs乗の逆数)をすべての自然数nにわたって足し合わせたもの」ではない、とわかる。こんな大事なことをちゃんと書いている本は少ない。それもそのはず、実部Re(s)<1なる複素数sに対して、くだんの無限和が発散することの証明はそんなに簡単ではないのである。この点について、著者は次のような直感的理由を与えている。
nの増大に伴い絶対値は減少して0に近づき、偏角の絶対値は対数のオーダーで増大していく。したがって、nが自然数全体を動いたときの複素数(1/n^s)の列が、らせん状に原点に向かって収束することは先ほどと同様であり、このような点列の和が収束するかどうかを判定するのは難しい。少なくとも各項が0に収束する上に、らせん状に動くことによってそれらの和には相当な打ち消しあいが起きていると推察されるからである
このような記述は、定理の証明の困難さを示すだけでなく、級数の様子を視覚的に教えてくれる意義を持っている。本書にはこういう記述が満載なのである。実際、この証明は、コーシー列の収束を利用する泥臭いものなのだ。
さらには、細かいことにも、次の提示されるのは、実部Re(s)=1なる複素数sに対してである。sが実部が1で、1とは異なる複素数の場合も発散するのだけど、その証明もそんなに簡単ではない。
そうやって、無限和について丁寧に検討したあと、今度は無限積(Π1/(1−p^(−s)))に対して、丁寧にその収束を検討していく。ここにもさまざまな解析的なテクニックが現れる。
そうした懇切丁寧な検討のあとで、いよいよ、「解析接続」について解説が行われる。すなわち、実部が1より大きい領域で定義された「(nのs乗の逆数)をすべての自然数nにわたって足し合わせたもの」が実部1にもはみだして解析的に拡張でき、実部が1から0の領域にもはみだして拡張でき、という具合に順次拡張できていくのである。このような丁寧な解説を読めば、ゼータ関数というものが、一つの式で素朴に定義されるものではなく、解析的な性質を維持しながら複素平面全体にじわじわとさながら水のように浸透していくものだと直感できるようになる。
最後に、[深さ3の読み方の勧め]を簡単の書いておく。(まあ、この読み方ができる人がこのブログを読んでると思えないので)。
本書は、おそらく、素数定理「x以下の素数の個数π(x)はx/log xに近づく」をゼータ関数から証明する、最もわかりやすい本ではないか、と思う。しかも、ゼータ関数の零点がどのように素数定理の証明に関わり、そして、それがリーマン予想とどういう関係にあるかも、明快に理解できる。ここまでたどり着けば、自分が素数に関して「進化形ポケモン」になったと自覚できるだろう。
深さ3の読み方として、本書は、大学1,2年で教わる解析学の技術のオンパレードであり、その知識のまとめとして利用する、というのがある。ざっと列挙すると、複素数の対数、留数、マクローリン展開、フーリエ変換、オイラー・マクローリンの集計法、無限積、ガンマ関数、ウォリスの公式、スターリングの公式、ポワッソン和、アーベルの総和法、などなどだ。これらの基本的な定理や技術が、有機的に結びついて使われるので、スポーツでいうところの「ただただ辛いフットワーク」でない「真剣試合の楽しさ」に匹敵する感覚を得ることができるだろう。
昔、黒川信重先生と雑談していたとき、黒川先生が「ゼータを中心素材にして、高校数学・大学数学の教科書を再編集したい」ということをおっしゃっていた。そのときは、面白い冗談だな、程度に感じただけだったのだけど、本書を読むにつけ、そういう教科書があったらステキだ、と思うようになった。というか、本書がその先駆けなんじゃないか、とさえ思う。
ちなみに、ゼータ関数の「入門の入門」には、拙著『世界は2乗でできている』ブルーバックスをどうぞ(笑)。
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