今回のエントリーは、親しいミュージシャンの売り込みだ。その娘は、ぼくの元ゼミ生。今は、CDデビューをして、プロのミュージシャンとして活動している。ライブハウスを回ったり、路上ライブをしている。
名前は、卯月沙羅さん。ピアノの弾き語りをしている。youtubeにいくつかあがっているので、リンクを張っておく。
https://www.youtube.com/watch?v=vv8M1ygLT4A
とか、
https://www.youtube.com/watch?v=uD2Nhr4o5Ps
とか。女性ヴォーカルとか、ピアノの弾き語りとか好きだったら、是非、このエントリーを読みながら、BGMにかけてあげてほしい。そして、ライブハウスや路上ライブに赴いて、CDを買ってあげてほしい(twitterは卯月 沙羅@jackal_neesan )。
前に、このブログで何度か書いたと思うのだけど、ぼくには、中学生時代に抱いた大きな夢が三つあった。第一は、数学者になること。第二は、小説を刊行すること。第三は、ギターをステージで弾くこと。
ある意味では、どの夢も、一つとしてかなわなかったけど、別の意味では、すべての夢が叶うことになった。
まず、一番最後に叶った夢から書こう。もちろん、卯月沙羅さんと関係するから。それは、ステージでギターを弾く、という夢だった。
これだけはきっと叶わないだろうな、と諦めていた。だって、50歳を通り越したら、バンドでギターを弾くチャンスなんて、原理的にありえないからだ。でも、意外なところからチャンスがやってきた。5年前のことだ。ぼくは、当時のゼミ生と飲むたびに、「ステージでギターを弾くのが夢なんだよね」と酔っ払って戯れ言を言っていた。そうしたら、ゼミ生が突如、バンドを組んで、「先生、ライブをやりましょう」と提案してくれた。その中の一人が、卯月沙羅さんだった。冗談か、と思っていたら、本当にライブハウスを押さえて、どんどん計画が進んでいった。ゼミ生バンドで12曲ぐらいの演奏をした。ヴォーカルは、ゼミ生が一曲ずつ代わる代わる歌った。ぼくはそのうちの三曲で、リズムギターを弾いた。バンプ・オブ・チキンを二曲と、ハイドの「グラマラスディ」。今思えば、そんなに難しい曲じゃなかったけど、ギター初心者のぼくにとっては難関だった。相当な時間をかけて練習した。「先生のリズム、ところどころおかしいから」と呼び出されて、教室で特訓を受けたのもいい思い出となった。だって、教室でエレキを弾くなんて、学生じゃないとできないからね。
ステージでギターを弾いた時間は至福の時だった。でも、無我夢中で、自分が何をしてたのか、ほとんど覚えていない。
翌年から、我がゼミでは、ゼミライブが恒例行事となった。
二年目は、ぼくはギタボを担当した。ピローズやミッシェル・ガン・エレファントの曲を歌った。ギタボは、あまりに負担が大きすぎて、ライブが終わった翌日は、廃人のように眠り続けたものだった。
次の年からは、ぼくがエルレガーデンの曲をギタボするのが恒例となっている。たぶん、今年も一曲はエルレの曲を演奏するだろう。彼らの曲は、そんなに難しくないけど、めちゃくちゃかっこいいのだ。
その5年間のゼミライブ、すべてに出演してくれているのが、卯月沙羅さんなのである。去年は、ぼくのチャレンジングな演奏tricotの「爆裂パニエさん」でヴォーカルをとってくれた。すばらしいボーカルだった。(今年は、彼女はもうプロなので、さすがに誘う勇気はでない。相対性理論をやりたかったんだけどな)。
「夢」というのは、どかん、と大きく叶うものではなく、世間的にはささやかに、本人的には舞い上がるように叶うものだ。今年のはじめに、卯月沙羅さんの「夢」が実現した。それはCDを出す、ということ。本人にとっては、大事件だったと思う。だから、ぼくはレコ初ライブには是非行ってあげなければ、と思った。世の中はともかく、彼女にとっては、人生の中で、とてもとても大事なセレモニーだからだ。ぼくは、そういうことを身にしみてわかっていた。だから、いろいろな用事がある中で、とにかく、レコ初ライブにおもむいた。彼女は、ぼくのささやかな(でも大きな)夢を叶えたくれた一人だから、ぼくも彼女にどうにか報いなければならない。
人にとってはささいなことでも、本人にとっては、とてもとても重要なステップというのは存在する。
ぼくに、まず、それが訪れたのは、最初の単行本『数学迷宮』(今は、『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫として刊行されている)を刊行したときだった。当時のぼくは、数学者の道を諦め、塾の先生で生業をたてており、「一生、これで終わるんだろう」と諦念の境地にいた頃だった。そんなときに、何の業績もないぼくに、出版の話が舞い込んだんだから、盛り上がらないわけがない。ぼくは、一年以上の歳月をかけて、何度ものスクラップ・アンド・ビルドを繰り返して、その本を書いた。刊行されたときは、行ける限りの書店を回って、我が本の並ぶ姿を見て回ったものだった。人にとってはささやかなことでも、ぼくにとっては、人生の大事件だったのだ。
その頃、宇沢先生と出会い、経済学に目覚めた。そして、意を決して、経済学部の大学院を受験した。合格発表に自分の番号を見たときは、本当に躍り上がりたいぐらいに嬉しかった。普通の大学生にとっては、たいしたことではないだろう。大学院拡充の始まった頃なので、受験すればどこかには合格しやすい環境にあった。でも、数学者になりたくてなりたくて、その道が閉ざされたぼくには、人生の大事件だったのだ。
そのあとの大事件と言えば、日本経済学会で、修論を報告したときだたった。ぼくを除く、すべての院生にとっては、当たり前の、普通の通過儀礼に過ぎないだろう。でも、ぼくには全く意味が違っていた。いったん、学者の道を諦め、自分の夢に決別をし、だからと言って、次なる野望も持てないで暮らしていたぼくには、単なる「学会発表」が全く「単なる」じゃなかったのだ。通常では小さなステップかもしれないけど、ぼくには「偉大なる一歩」だったのだ。あのときは、ある著名学者に、カウンターのような質問を受けて、ぼこぼこにされたんだけど、ぼくにとってはそんなことはどうでもいいことだった。ぼくがたくさんの学者たちの前にたって、自分の研究を考えを報告している、それだけで大事件、それだけで十分だった。それで至福だったのだ。
人生、って、そういう風になっているんじゃないかな、ってこの頃思う。人にとってはどうでも良いこと、金にも名誉にもならないステップが、本人にとっては、この上ない、何にも変えられないステップだということはままあるのだ。人生というのは、そうい微少だけど「偉大なる」ステップの積み上げなのだ。他人の評価なんて二の次、大事なのは自分の心なのだ。何を望み、何が大事で、何を譲りたくないか。それがすべてなんだと思う。
だから、卯月沙羅さんにはがんばってほしいと思う。他人から見たら小さいけど、自分にとっては「偉大な」ステップを積み重ねて、自分なりの夢に到達してほしいのだ。ぼくは、そういう人を応援する。そういう人がゼミ生にいることを誇りにしている。たとえ、彼女が世間的に成功しようがしまいが。
無限を読みとく数学入門 世界と「私」をつなぐ数の物語【電子書籍】[ 小島 寛之 ]
- ジャンル: 本・雑誌・コミック > 人文・地歴・哲学・社会 > 哲学・思想 > その他
- ショップ: 楽天Kobo電子書籍ストア
- 価格: 637円
- 楽天で詳細を見る