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松原望先生との、ベイズとAIに関するトークイベント

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 前回に少し告知したトークイベントがはっきり決まったので、宣伝したい。
池袋の天狼院書店にて、統計学者の松原望先生の、ベイズ統計学、AI、シンギュラリティについてのトークイベントに、討論相手として登壇する。具体的には、以下

日時 2018年9月16日(日)15:00〜16:30(受付開始 14:30)
場所 天狼院書店「Esola池袋店」STYLE for Biz
講演内容 ベイズ統計学の第一人者・松原望さんと、統計学・数学の魅力を多くの方に伝道する小島寛之さんによる対談。
ベイズ統計学、AI、シンギュラリティについて語っていただきます。研究秘話も聞けるかも?!
  
参加費:2000円+『ベイズの誓い――ベイズ統計学はAIの夢を見る』(聖学院大学出版会)
*別途、書籍『ベイズの誓い――ベイズ統計学はAIの夢を見る』(聖学院大学出版会)のご購入が必要となります。お持ちの方は当日ご持参ください。
  
9/16(日)【style for Biz】『ベイズの誓い――ベイズ統計学はAIの夢を見る』発刊記念!話題のAI・シンギュラリティについてベイズ統計学の第一人者が語る!《初めての方・お一人での参加大歓迎》 | 天狼院書店

テーマとなっている本は、次の書籍。

 松原先生は、これまでも、たくさんのベイズ統計の本を書いてきたけど、本書には新しいアプローチが多々含まれている。おおざっぱに箇条書きでまとめると、
1 ベイジアン・ネットワークについて解説している。
2 階層ベイズMCMC(マルコフチェーン・モンテカルロ法)について解説している。
3 AI(人工知能)が、結局、ベイズ推定であることを解説している。
4 AIのシンギュラリティについて、詳しく掘り下げ、独自の見解を繰り広げている。
このように列挙してみると、松原先生の新境地であり、しかもホットな内容の本と言えるだろう。
 なぜぼくが討論相手か、というと、大学院時代に松原先生にベイズ統計を師事したからである。その辺の詳しい事情は、統計学の面白さはどこにあるか - hiroyukikojimaの日記で読んで欲しいが、松原先生の講義は、ぼくの学問生活に決定的な影響を与えることとなった。その後のぼくは、確率や統計の本を何冊も書くことになり、また、経済学での専門もベイジアン意思決定理論となった。まさに運命的な出会いだった。
 ベイジアン理論の面白さは、その「怪しさ」にある。これが批判的な言葉に聞こえるなら、「妖しさ」と言い換えてもいい。確率理論でありながら、非常に人間臭く心理的である。にもかかわらず、論理的であり、操作性に富んでいる。なにより、テクノロジーとして、広汎な応用可能性を秘めている。そういうところが、ベイジアン理論の魅力なのである。
ぼくがどのくらい、松原師匠のお話をサポートできるかは心許ないが、とにかく、ベイズ統計を日本に広めてきた松原先生のお話は、きっとエクサイティングなものになることは間違いない。
 是非、ご来場いただきたい。
 ついでに、もう一つだけ宣伝をさせていただきたい。
以前に、諦めなければ夢はかなう。望んだ形ではないかもしれないけど。 - hiroyukikojimaの日記というエントリーで、ぼくのゼミ生だった女の子がプロのミュージシャンとしてCDデビューしたことを書いた。卯月沙羅さん、という人だ。このたび、彼女が、きちんとしてMVを作ってアップロードしたので、宣伝したい。youtubeの以下だ。
https://www.youtube.com/watch?v=kMplPjm-_lk
いつもはピアノの弾き語りなんだけど、今回はバンド形式になっている。なかなか良い曲だし、MVもとても綺麗に撮れているので、是非とも観てあげて欲しい。彼女も、夢に向かって、一歩一歩着実に歩みを進めてる。ぼくも負けてはいられない。

新著刊行と、書店での講演会のこと

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 新著が刊行される。大きい書店では、今日あたりから並び、アマゾンには明日入荷予定となっているので、満を持して宣伝をしよう。著作は、宇沢弘文の数学』青土社だ。

初めて、宇沢先生の名を冠した本を刊行することができたので、感無量である。
この本の刊行を記念して、書店イベントとして、講演会が行われるので、まずそっちを告知しよう。

青土社宇沢弘文の数学』発売記念 小島寛之先生講演会
宇沢弘文の思想に迫る】
日時 2018年10月5日(金)19:00〜20:30(開場18:45)
会場 書泉グランデ7階イベントスペース

予約受付 書泉グランデ4階レジ ※9/18(土)10:00〜受付開始
参加方法 9/18頃発売 青土社宇沢弘文の数学』小島寛之/著 1944円(税込)を書泉グランデ4階にてご購入の方1冊につき1枚参加券をお渡しします。
店頭もしくは、電話、上記お問い合わせボタンより予約も承ります。
イベント名【小島寛之先生講演会】、お名前、電話番号を明記の上お申し込みください。
イベント開始時間までに、書泉グランデ4階レジにて、書籍の購入、参加券をお受け取り後イベント会場へお越し下さい。
青土社『宇沢弘文の数学』発売記念 小島寛之先生講演会【宇沢弘文の思想に迫る】 - 書泉/神保町・秋葉原

今回は、1人だけで行う書店講演会なので、間が持つのか少し緊張している。でも、これまでぼくの本を愛読してくださった方々と触れあうことができるのは、とても楽しみだ。
 さて、本書、宇沢弘文の数学』青土社についてだ。
宇沢弘文」と「数学」とは、奇異な取り合わせに感じる人も多いだろう。実際、ぼくもそうだ(笑)。宇沢弘文と言えば、経済学者ではないか。その通り。だから、書店のイベントのタイトル「宇沢弘文の思想に迫る」のほうが本書の内容に近い。でも、編集者は、なんらかのインパクトを狙って、「数学」をトッピングしたんだと思う。
 もちろん、このタイトルは詐欺ではない。まず、第三章は「社会的共通資本としての数学」という内容になっている。次に、本書は、宇沢弘文先生の経済学や思想に対して数学的なアプローチをしている。さらには、第4章は統計学についてのサーベイだし、第5章はゲーム理論への批判的展望だ。そういう意味では、「数学」と銘打つのは詐欺とは言えないのだ。
 今回は、最初の販促として、目次を晒すことにする。内容については、刊行後に説明することとしたい。

小島寛之宇沢弘文の数学』
第1章  ケインズから宇沢弘文
第2章  宇沢弘文は何を主張したのか
第3章  社会的共通資本としての数学
第4章  統計学は世界を変え得るのか?
第5章  ゲーム理論の原点回帰
第6章  21世紀の宇沢理論ー小野理論・帰納ゲーム理論・選好の内生化
あとがき  かけがえのない回り道

 まずは、書店で手にとってみて欲しい。

『宇沢弘文の数学』について

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 先週、9月18日に拙新著『宇沢弘文の数学』青土社が刊行された。
実は、9月18日は、宇沢先生の命日だった。実際、ぼくは4年前に、宇沢弘文先生は、今でも、ぼくにとってのたった一人の「本物の経済学者」 - hiroyukikojimaの日記のエントリーで、この日に宇沢先生が亡くなったことを書いている。この日を刊行日に選んだのは、編集者の粋なはからいだったのだと思う。でも、ぼくは、不覚にも命日を忘れていた。このエントリーに書いているように、ぼくは先生の冥福をいまだに祈っていない。先生はまだ、ちょっと離れて場所にいらして、ぼくを導いてくださっている、そういう感覚が抜けないからだ。
 でも、本書を刊行できたのは、この上なく嬉しい。本書は、追悼の本ではない。あくまで、宇沢先生の理論を世に知らしめるための啓蒙書・研究書なのだ。

 さて、本書刊行を記念した講演会が来週に迫ったので、もう一度告知しておきたい。

青土社宇沢弘文の数学』発売記念 小島寛之先生講演会
宇沢弘文の思想に迫る】
日時 2018年10月5日(金)19:00〜20:30(開場18:45)
会場 書泉グランデ7階イベントスペース

予約受付 書泉グランデ4階レジ ※9/18(土)10:00〜受付開始
参加方法 9/18頃発売 青土社宇沢弘文の数学』小島寛之/著 1944円(税込)を書泉グランデ4階にてご購入の方1冊につき1枚参加券をお渡しします。
店頭もしくは、電話、上記お問い合わせボタンより予約も承ります。
イベント名【小島寛之先生講演会】、お名前、電話番号を明記の上お申し込みください。
イベント開始時間までに、書泉グランデ4階レジにて、書籍の購入、参加券をお受け取り後イベント会場へお越し下さい。
青土社『宇沢弘文の数学』発売記念 小島寛之先生講演会【宇沢弘文の思想に迫る】 - 書泉/神保町・秋葉原

 この講演会では、先生の理論ばかりではなく、先生のお人柄や、先生の思い出・エピソードもたっぷりお話しようと思っている。是非とも、足を運んでいただきたい。
 少し、本の内容について説明をしておこう。目次については、前回のエントリー新著刊行と、書店での講演会のこと - hiroyukikojimaの日記を参照してほしい。
本書は、講談社の雑誌『本』に寄稿した原稿の大幅改稿と、青土社の雑誌『現代思想』に寄稿した原稿の大幅改稿と、書き下ろし原稿から成る。書き下ろしは、第3章と第6章。とりわけ、第3章はぼくにとって、非常に大事な論考なのだ。なぜなら、この論考は、「数学は社会的共通資本である」という主張だからだ。
 数学が社会的共通資本である、とはどういうことか。それは、数学というものが、市民の共有財産であり、市民の基本的な生活や、人権や、尊厳に関わるものであるから、社会的に大切に管理・運営されるべきだ、といういうことである。数学に対して、このような見方をしている論説は世の中にはあまりないと思う。
 この論考は、実は、宇沢先生に依頼されて、先生が編纂する論文集に寄稿するべく執筆したものだった。先生は、その論文集に、「社会的共通資本としての医療」「社会的共通資本としての音楽」「社会的共通資本としての数学」の三本の論文を収録するつもりでおられた。最初のは先生自身が、二番目のは外国の女性研究者が、そして三番目のはぼくが寄稿することが予定されていた。先生が、「医療」「音楽」「数学」を社会的共通資本の三本柱とされたのは、非常に興味深いし、先生の心の豊かさを感じさせられる。
 けれども、この論文集は刊行されないまま、先生が他界されてしまった。だから、本書に、ぼくのこの論考を収録できたことは、先生のお導きのように感じられる。これほどに魂を込めて論文を書いたことはかつてなかったからだ。
 人生には、「すごく嬉しいこと」というのが、何回かは訪れる。ぼくにも、何回かあった。例えば、大学に合格したこと、査読付ジャーナルに論文がアクセプトされたこと、初めての本を刊行できたこと、息子が生まれたこと、息子が受験で合格したこと、などなど。
 でも、それらの中で、特別に嬉しかったことが二つある。両方とも宇沢先生に関することだ。
 一つは、宇沢先生から講演会での原稿の代読を依頼されたこと。これは、先生が参加されていた環境問題訴訟運動において、集会で先生が講演をすることになっていたのだが、うっかり渡航してしまい、帰国できなくなったときのことだ。起訴を担当している弁護士から、「それでは、お弟子さんが代読を」と言われ、ぼくに依頼してくださったのである。ぼくは、大学で先生のゼミを受けたわけではないので、本来の意味では「弟子」ではない。でも、この依頼を先生自身が海外からわざわざお電話してくださったとき以降、自分自身を宇沢弘文の弟子と名乗れるようになった。先生自身が弟子と認めてくださったのだから。ぼくは、訴訟運動をしている市民の方々に先生の声明を代読しながら、誇らしさと嬉しさをかみしめたものだった。
 もう一つは、本書の第3章の論文の執筆を依頼されたことだった。ぼくは、それまでも、先生にいろいろと褒めていただいたり、かいかぶられたり、励ましていただいたことがあった。でも、論文を依頼されたのは、このときが初めてだった。経済学者と認められた、ということだ。期待された、ということだ。こんなにも嬉しいことは、生きていて何度もあることではない。ぼくは、躍り上がるやら、涙ぐむやら、本当に大変な気持ちになったのだった。
 でも、先ほど述べたように、論文集は未刊行のままとなってしまった。先生と肩を並べて、論文を刊行する夢は潰えた。その論文を、今回、大幅な改稿の上、先生のお写真がカバーを飾る本に収録することができた。思った形ではなかったけど、先生の期待に応えることができたと思う。

読売新聞で坂井豊貴さんが、拙著を書評してくれました!

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 今日(10月14日)の読売新聞の書評欄で、慶応大学の経済学者・坂井豊貴さんが、拙著『宇沢弘文の数学』青土社を書評してくれました!
この本については、当ブログでは、新著刊行と、書店での講演会のこと - hiroyukikojimaの日記とか、『宇沢弘文の数学』について - hiroyukikojimaの日記とかでエントリーしている。
坂井さんの書評は、あまりにすばらしいので、是非とも、多くの人に読んでいただきたい。(ここで読めるはず→『宇沢弘文の数学』 小島寛之著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE))
実際、坂井さんは、ツイッターで、

多作な小島先生の著作のなかでも、ひときわ入魂の一冊。私も私なりに入魂の書評。

と書いています。うん、ほんと、ぼくの入魂の本なんですよ。そして、坂井さんの書評も、偽りなく入魂。ほんとすばらしいです。
名文なので、全文引用したくなるけど、それはルール違反だろうから、一部のみ抜粋。
 最も感心したのは、次のフレーズ

宇沢は終生、社会を支える「資本」に深い関心をもち続けた。それは前期には経済成長を複雑な経路で支えるものとして。後期には、人間の善き生存を支えるものとして。

後期のほうは、要するに「社会的共通資本」のことを言っているんだけど、この表現はあまりに的を射ている。「人間の善き生存を支えるもの」、こんなジャストな表現は、思いつきもしなかった。
あともう一カ所、とても嬉しかったのは、

先日ノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマ−の研究は、宇沢モデルを大きな礎とする。

そんなんです、そうなんです。昨日は、経済学者の集まりで酒を飲んでたんだけど、みんなが口々に、「宇沢先生が生きていれば、今年、三人目として受賞したに違いない」って話してた。実際、今年の受賞は、ノードハウスとローマ−。ノードハウスは、環境経済学者として温暖化の問題を研究した人で、ローマ−は内生的経済成長理論を研究した人で、どちらも宇沢先生が先駆者なんだ。だから、だから、生きてさえおられれば。。。
その無念さを、坂井さんも共有しているような感じが、この文面からくみ取れて、嬉しかったとともに泣けてきた。
 坂井さんの書評の良いところは、情に流されず、慎重に言葉をひとつひとつ選んでいるところ。宇沢先生について語る人は、(ぼくが代表例だが)感情に流されて、大げさすぎるものになってしまう。でも、坂井さんは、経済学者の節度として、ぎりぎりの表現を心掛けておられる。そこもまた、「入魂」というに相応しい。でも、ツイッターに坂井さんが書いた、こういう話がめっちゃ坂井さんらしくて好きだ。

私は学部4年生のとき、うっかり宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波新書)を読んでしまって、自動車の免許をとるのをやめてしまった。取るのがダメというのではなく、宇沢の激情が私にそれを許してくれなかった。こういう本との出会いは「交通事故」のようなものだ。

ぼくも、宇沢さんの影響で自動車免許を持っていない(と吹聴している)が、本当は、適性がなさそうだから取らなかったのもある。
 ちなみに、ぼくも当ブログで、坂井さんの本を紹介したことがある。例えば、古風な経済学の講義から脱出するために - hiroyukikojimaの日記とか、理系の高校生に読んでほしい社会的選択理論 - hiroyukikojimaの日記とかだ。この期に、坂井さんの本を是非、読んでみてほしい。本当にすごい説明能力なんだから。
 

WEBRONZAに寄稿しました!

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WEBRONZAに新しい記事を寄稿した。以下だ。
医学部受験で女子が差別される問題の本質的な背景 - 小島寛之|WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト
今回は、私大医学部の入試での女子差別のことを論じた。
とは言っても、「公正な入試とは」というような視点の論説ではない。ひとことでテーマを表すなら、
優秀な女子は、東大より医学部を志向する、それはなぜか
という感じ。是非、お読みいただきたい。

キングクリムゾンのライブを観てきた

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 先日、キングクリムゾンのライブを観てきた。
クリムゾンは、ぼくにとって、今でも人生最高のバンド。ぼくの中では、懐メロではなく、現在形のバンドとして存在してる。実際、バンドメンバーも変わるし、新曲も作られている。
クリムゾンは、1969年から活動しているが、ぼくは14歳、つまり、72年から聴き始めた。だから、かれこれ、もう47年ぐらい聴き続けていることになる。
クリムゾンの思い出については、前に、堀川先生三部作とキング・クリムゾンの頃 - hiroyukikojimaの日記とか、続・続・堀川先生とキングクリムゾンの頃 - hiroyukikojimaの日記とかにも書いたので、そちらも読んでほしい。
今回の編成も、トリプル・ドラム(ドラムが3機)で、2015年の来日と同じ。メンバーも演奏の形態もほぼ同じだった。昨年のシカゴでのライブ盤で、リザード組曲(1970年の3枚目のアルバムの曲)をやることは知っていたので、それが目玉の一つだった。ぼくが観た日にも、リザード組曲を演奏した。
ドラム3機は類例を知らないが、日本のバンドであるトリコ(Tricot)がドラム5機をやってのけたので(笑)、クリムゾンが最多ドラムスではない。でも、ドラム3機をあのようにアレンジし、別々のリズムを叩かせるという意味では、希有な演奏形態と言えるだろう。
クリムゾンのライブで最も注目しているのは、リーダーでありギタリストであるロバート・フリップがどのくらいちゃんと弾けるのか、という点だ。現在72歳、みまごうことなき高齢者。でも、今回のライブも、往年と同じく、みごとなギタープレーを見せてくれた。というか、難しい高速リフを、以前よりも軽々と弾いている印象があった。このプレイをするには、毎日毎日とんでもない時間の練習を要することだろう。少なくとも72歳までは、鍛錬によってはこのような技術水準が可能だ、ということだ。自分もがんばる勇気がみなぎった。何より、フリップが健在なうちは自分は死ねない(笑)、と思い新たにした。
 キングクリムゾンは、時期によって、表現する音楽が異なっている。初期はシンフォニックな曲をやっており、中期はジャズとクラッシックを融合したような音楽を作り、休止のあと再結成してからは、ハードな即興演奏を信条として、80年代に新規クリムゾンとなった際には、(スティーブ・ライヒを思わせる)ミニマル音楽を志向している。90年代以降は、それ以前のすべての音楽を発展・融合させた複雑な楽曲を生み出すようになった。
時期時期によって、フリップが志向する音楽が違うので、それぞれの時期にぼく自身が何をしていたか、ということが重なりを持って記憶に刻まれている。数学者を夢見ていた中高生時代、数学科で落ちこぼれている自分に苦しんだ大学生時代、塾講師時代、経済学部の大学院生時代、大学教員時代、とそれぞれに固有のクリムゾンが存在していた。
そういう意味で、今回のように、あらゆる時代から曲をやってくれると、「懐メロなんかでほだされないぞ」という気持ちとは裏腹に、走馬燈のように人生が蘇って、泣けてきてしまう。ぼくも老人だから、それはしゃーない(笑)。
 とは言え、今は、キングクリムゾンが一番聴く音楽ではない。というか、普段はほとんど彼らの曲を聴かない。普段聴いているのは、Aimerとか、凜として時雨とか、TK from 凜として時雨とか、Tricotとかだ。今年は、Aimerと、椎名林檎と、凜として時雨と、TK from 凜として時雨のライブに行った。来週にはAimerのライブにまた行く。1月には、Tricotの中嶋イッキュウのライブにも行く。人生のバンドと、現在追っかけるバンドは、もちろん違うのだ。
 

来月に、暗号通貨の本を刊行します!

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 年が明けた1月10日頃に新著が刊行されるので、第一弾の宣伝をしておきたい。
新著のタイトルは、『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエだ。カバーデザインは、下のよう。

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 この本は、ビットコインをはじめとした暗号通貨について、総合的に分析した本。ブロックチェーンの仕組み、公開鍵暗号の原理、貨幣の経済理論、ゲーム理論からのアプローチ、オープンソースの文化(コピーレフト思想)など、さまざまな角度からの分析をてんこ盛りにしている。
 具体的な内容については、もう少しあとに告知することにしようと思う。
 これだけで終わるのもなんだから、今週のぼくの行動について、備忘録をしたためよう。
 日曜日:映画『続・終物語を観に行った。物語シリーズの最新作。映画館で、ボールペン、キーホルダー、スケッチブック、クリアファイルなどのキャラグッズを大人買いした。1万円近くかかった。ばかっす。

月曜日:キングクリムゾンのライブに行った。二回目。
火曜日:エメ(Aimer)のライブに行った。
水曜日:キングクリムゾンのライブに行った。三回目。どうしても、最終公演を観ておきたくて、当日券で行った。ばかっす。そういう高齢者で3階まで埋まっていた。
 クリムゾンに一回目に行ったとき、路上で何かを配っている人がいて、いっしょに行った奥さんが「イエスのちらしを配ってる」と言ったんだけど、そのときぼくは、キリスト教系の宗教のオルグだとばっかり勘違いして、ちらしをもらわなかった。あとで、奥さんが、「イエス、来日するんだねぇ」と言ったので、その瞬間に「バンドのイエスのことだったのか」と理解して(笑)、水曜日には率先してちらしを受け取った。
 イエスの来日は、年が明けた2月。セトリが予告されているのが笑った。
Day1:『危機』完全再現、Day2:ベスト・セレクション、Day3:『サード・アルバム』完全再現
となってる。あざといセトリである。
『海洋地形学』完全再現なら、絶対行くんだけどな。今回のセトリだと、行くならDay1かな。

来週、新著『暗号通貨の経済学』が刊行されます!

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あけましておめでとうございます。2019年もよろしくお願いいたします。
2019という数の持つ面白い性質をWEBRONZAに投稿した(2019に隠された数字の神秘 - 小島寛之|WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト)ので、是非お読みくださいませ。
さて、来週、1月10日頃に、ぼくの新著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエが刊行されるので、そろそろ宣伝しておこう。

前回(来月に、暗号通貨の本を刊行します! - hiroyukikojimaの日記)は、本のプロットだけを紹介したので、今回は目次をエントリーする。以下である。

『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエ
目次
序章 暗号通貨が世界を変える
 
第1部 ビットコインブロックチェーンの仕組み
第1章 暗号はいかにしてお金になるか
第2章 ブロックチェーンがもたらす新しい世界
第3章 オープンソースvsプロプライエタリ
 
第2部 お金をめぐる経済学
第4章 お金が社会で果たす役割
第5章 お金のコントロールはなぜ必要か
第6章 お金とは何か、何であるべきか
 
第3部 ブロックチェーンゲーム理論
第7章 ゲーム理論に入門する
第8章 ブロックチェーンという均衡
第9章 お金はどうして交換手段になるのか
第10章 ブロックチェーンが実現するゲーム理論的世界
 
補章 公開鍵暗号ハッシュ関数

第1部は、ブロックチェーンと数理暗号の仕組みをざっくりと説明した上で、暗号通貨がビジネスにどう使われているか、政治をどう変容させるかを説明している。さらには、プログラマーやソフト製作者やネットユーザーの間に存在する、オープンソース派とプロプライエタリ派の思想対立も関連する話題として取り上げている。
第2部は、経済学の立場から貨幣の果たす役割についてまとめている。貨幣は世紀の大発明であるけど、それが故に、国家(中央集権)に権力を付与する。ブロックチェーンは、その権力を打ち砕き無力化する可能性を秘めている。それは、世の中にとって有益なのか危険なのか。経済学が培ってきた知見を駆使しながら、総合的に論じている。
第3部は、ゲーム理論を使って、ブロックチェーンの可能性にアプローチしている。ブロックチェーンは、改ざん不可能なネット上の仕組みであるから、契約を綿密に記述し実行することができる。したがって、それは、戦略記述によって構築されるゲーム理論と親和性が高い。ゲーム理論ブロックチェーンをクロスオーバーさせながら、近未来のIT世界を予測する。
ちょっと自慢なのは、補章だ。この章では、第1部よりも詳しく、数理暗号を説明している。有名なRSA暗号は言うまでもなく、実際に暗号通貨の数理暗号として使われている楕円曲線暗号についてもある程度きちんと説明してる楕円曲線暗号は、ネットで調べても(少なくとも日本語では)あまり良い解説に当たらない。ぼくは、楕円曲線については知識があるが、楕円曲線暗号については無知だったので、書籍で勉強して、この章に導入した。手軽に読める解説で今のところ一番わかりやすいものではないか、と自負している。
 以上、本書は、いろいろな学問のてんこもり集大成の本であり、我ながらエキサイティングな本になったと思うので、是非とも手にとってみていただきたい。


新著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論』が刊行されました!

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 ぼくの新著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社メチエが、大手書店には並び、アマゾンにも入荷されたようなので、販促の追い打ちをかけたい。

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

前回(来週、新著『暗号通貨の経済学』が刊行されます! - hiroyukikojimaの日記)は目次をさらした。普段は、目次のあとは「序文」をさらすことにしてるんだけど、本書には「序文」はない。その代わり、長〜い「序章」があるが、これをさらすわけにはいかない。なので、いつもとは違って、「あとがき」の前半部をさらすことにする。後半部分も読みたい人は、ぜひ、買って読んでほしい。まあ、「あとがき」はそんなには長くもないんだけどね。「あとがき」は以下である。

『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論』のあとがき
 
 本書は、ビットコインを始めとする暗号通貨について、総合解説を試みた本です。暗号通貨は今、非常にホットなトピックなので、集中的にリサーチし多方面から考察できたのは良い経験になりました。
 暗号通貨というアイテムは、筆者にとって、このうえなく興味深い素材でした。なぜなら、次のような様相を持っているからです。
(a) 数理暗号というツールを使うので、純粋数学と接点を持つ
(b) 貨幣である、という点で、経済学と接点を持つ
(c) ブロックチェーンという技術によって可能となる、という点で、ゲーム理論と親和性がある
(d) プログラム可能という意味で、数学基礎論(数理論理学)と関係を持つ
(e) オープンソースと関係するという意味で、「どういう社会が望ましいか」という社会選択の問題と抵触する
(f) アルゴトレーディングに応用できる、という意味で、数理ファイナンスと関係する
これらはみな、筆者の大好物でした。これまで筆者は、RSA暗号楕円曲線の数学、貨幣論ゲーム理論数学基礎論、金融トレーディングについて、それぞれ別個に書籍化してきました。今回は、これらの素材すべてを暗号通貨という一本の剣で貫く、という作業となり、大変ではあったものの、とても楽しい仕事でした。

 ぼくは、ビットコインのことを知ったときは、「へえ、そんな面白いものが提示されたんだ」ぐらいにしか考えていなかった。収容所ではタバコがお金の代わりになるぐらいだから、ネット上の2進法の数字がお金になったって不思議ではない。そんな程度の興味だった。
でも、本書の執筆依頼を受けてから、ナカモトの論文を読んだり、ネット上の解説を読んだりしたら、これがひどく面白かった。上記の「あとがき」に書いたように、ぼくの好物のフルコースというか、食べ放題というか、そういうものだったのだ。なので、資料漁りも、執筆もめちゃくちゃ楽しい仕事だった。そんなぼくのウキウキ感が、本全体にみなぎっていると思う。
是非、書店で手に取ってみてほしい。

坂井豊貴『暗号通貨vs.国家』SB新書は、めっちゃ面白い!

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 坂井豊貴さんの新著『暗号通貨vs.国家』SB新書を読んだ。来月(2月5日)発売の本なので、今はまだ、書店にはない。これは、「プルーフ版」というものらしく、要するに試供品みたいなもの。坂井さん(か、編集者さん)が送ってくださった。ありがとう!

 

 

 ぼくは今月、新著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエを刊行した。坂井さんが暗号通貨の本を書いているのはTwitterで知っていたので、非常に怖れていた。「こりゃ、まずいことになった」というのが正直なところだった。なんてったって、坂井さんはいまや売れっ子のライターなんで。

 で、プルーフ版を読んだ手ごたえはどうか。

 めちゃくちゃ面白い本だ。これはすごい。でも、うれしいことに、拙著とはほとんどかぶってなかった。というか、拙著と相補的と言いたいぐらいだ。坂井さん自身も、1月17日のツィートで、次のようにつぶやいている。

 小島寛之さんから『暗号通貨の経済学』(講談社選書メチエ)をご恵贈いただいた(感謝でございます)。「やばいなあ内容が被ってるんじゃないか」とびびりながら中身をのぞく。結論からいうと、意外なほど異なっていた。良し悪しではなく、私のほうが信仰が深いと思った。 」

 坂井さんのいうように、ぼくの本と坂井さんの本の違いは、暗号通貨に対する心酔の仕方かな、と思える。ぼくは、ビットコインの数理的メカニズムはめっちゃ面白いよ、でもしかし、数理的仕組みだけでは「お金」にはなれないよ、お金にはまだ謎が多く、それには経済学の知見こそが接近できるのだ、というニュアンスで書いた。それに対して、坂井さんの本では、もろ手を挙げて「すごい、すごい」と暗号通貨を絶賛している印象がある。それは、坂井さんが、暗号通貨を「実践」していることからくる違いだろう。

 さて、坂井さんの本のすごさは、その記述スタイルにある。話の進め方が、アメリカのめちゃ売れした本のスタイルと同じになっている。意識してそういう書き方をしたのかもしれない。『ブラックスワン』とか『世紀の空売り』とか、そういうハラハラ・ドキドキの本と同じような進行のさせ方だ。読者は、すぐに暗号通貨の世界に引き込まれると思う。

 やっかみ半分で言うと、ぼくは一点を除いて、坂井さんにすべて負けてて、コンプレックスを持っている。まずは坂井さんは若い。そんでもって、イケメンだ(笑)。テレビに出てても見栄えがいい。さらには、海外で博士号を取得してる。研究業績もすごい。また、学会でのプレゼンもピカイチだと言える。そんな負けっぱなしの中、ただ一点、ライターとしてはぼくに一日の長があるかなと、それだけが防波堤と思っていた。でもいまや、この本で、その防波堤も決壊するんだろうな、とあきらめの境地だ。

 くだらないことを言ってないで、本の中身をちょっと宣伝してあげよう。それがプルーフ版を送ってくれたことへのお返しだから。

  • 1.ストーリー仕立てで書かれているので、わくわくしながら読める。
  • 2.ビットコインが成立する前後の経済的状況が説明されている。
  • 3.暗号通貨を作り上げた人々のキャラクターや背景が説明されている。
  • 4.暗号通貨の仕組みがわかりやすく説明されている。
  • 5.「通貨」というものの持つ経済学的な意味を経済学者としてみごとに解説している。
  • 6.ビットコインだけでなく、他の暗号通貨の仕組みも投入されている。とりわけ、リップルイーサリアムの説明が詳しい。
  • 7.暗号通貨絡みで、これから来る社会の未来像を描いている。国家はどうなるのか、そして、我々の労働環境はどうなるのか。

 この本の良さは、なんというか、一種の「生々しさ」があることだと思う。迫力がすごい。坂井さんって、こういう書き方ができたのか。

 自分の本を推奨する目的で、最後にすこし難癖をつけよう(あくまで、販促動機だから怒らんといて)。

 この本に登場するネット用語、プログラマージャーゴンは、(技術畑の人を除けば)著者が思っているほどには簡単には通じないと思う。ぼく自身は、もしも、暗号通貨の本を書くために勉強していなければ、この本で展開されていることの3割ぐらいは理解できないで終わったと思う。

 あと、この本だけでは、ビットコインの数理的な仕組みがちゃんとはわからない。例えば、数理暗号がどんなものか、とか、ハッシュ値とは何か、とか、演算量証明(プルーフ・オブ・ワーク, PoW)のやり方(Nonceの役割)とか。

 もちろん、新書という媒体を考えての確信犯だと思う。で、それらをもうちょっときちんと理解するには、拙著を読むと良いと思うんだな(笑い)。それが、最初に言った「相補的」という意味だ。拙著では、RSA暗号の仕組みと、楕円曲線暗号の仕組みと、ハッシュ値をどうやって作るかなどをきちんと解説してる。また、数理暗号の電子署名を使ったアトミックスワップの仕組みとかね。

 いずれにしても、坂井さんすげえな、というのが一読した感想。脱帽と言わざるを得ない。

 

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 

 

 

 

宇沢先生の思想について講演をします。

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宇沢先生の思想「社会的共通資本の理論」を中心した講演を行います。資本主義研究会というところの行う「資本主義の教養学」

「資本主義の教養学」公開講演会 | PFC Insights

というものです。

タイトル:宇沢弘文の思想~資本主義に代わる社会システム

日時:2019年2月15日(金)19:00-21:00(開場18:40)

会場:東京大学本郷キャンパス/東洋文化研究所 3F大会議室

詳しくは、

第28回資本主義の教養学講演会 | PFC Insights

で案内されていて、ここから申し込みのサイトに行けます。

サイトに告知した要旨を転載しておきます。

経済学者・宇沢弘文は、資本主義を批判し、「社会的共通資本の理論」と呼ばれる新しい経済思想を樹立した。社会的共通資本とは、環境・インフラ・医療制度・教育制度など市民の生活に欠かすことのできない基盤的装置のこと。これらは市民の基本的人権に関わるため、市場取引に委ねることが許されない。宇沢は、社会的共通資本の整備・管理・制御を通じて、豊かで幸せな社会を造るべきだと訴えた。
宇沢は経済学の研究の末、「資本主義には本源的な不安定性がある」と考えるに至った。したがって、市場への介入と管理は不可欠となる。しかし、政府や官僚がその役割を担うのは適切でない。宇沢はその役割を専門家の集団に期待する。そして、社会的共通資本の適切な運営を通じて、資本主義の不安定性を是正することを提唱したのである。
宇沢のこのような思想は、一見、理想主義的すぎるように見えるが、今世紀には現実味を帯びてきている。例えば、インターネットは、巨大な社会的共通資本として機能している側面がある。現在、インターネットを通じて、経済も社会も大きな変革の渦中にある。
経済理論の方も今世紀に至って、新しい段階に入りつつある。前世紀の経済学が前提とした、「経済主体の超越的な合理性」は実験によって否定され、経済行動の背後の性向・動機が見直されつつある。これらの観察と整合的な理論が模索され、構築が試みられている。
この講演では、宇沢の思想を軸に、今後の経済社会をうらない、最新の経済理論を展望する。

 

 ふるってご参加ください。会場でお会いできるのを楽しみにしております。

 

ビットコインの元論文の解説+抄訳を公開しました。

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まず、前々回のエントリー

宇沢先生の思想について講演をします。 - hiroyukikojima’s blog

で告知した来週の講演会のことを繰り返しておこう。

タイトル:宇沢弘文の思想~資本主義に代わる社会システム

日時:2019年2月15日(金)19:00-21:00(開場18:40)

会場:東京大学本郷キャンパス/東洋文化研究所 3F大会議室

詳しくは、

第28回資本主義の教養学講演会 | PFC Insights

でどうぞ。

さて、今回のエントリーだ。

拙著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエの刊行のタイミングで、ビットコインの元論文となったサトシ・ナカモトの論文

 Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System(2008)   Satoshi Nakamoto

の解説+抄訳を、現代ビジネスというWEBマガジンで公開した。

gendai.ismedia.jp

これはビットコインの仕組みをQ&A形式で解説した上、論文の該当する部分の抄訳を付け加えたものだ。

 これを書くことになった経緯を少しお話しよう。

実は、担当編集者は、この論文の全訳を新著『暗号通貨の経済学』に収録したいと考えた。それで、この論文に著作権があるかどうかについて会社と話し合った。出版社側からは、たとえサトシ・ナカモトが著作権を放棄していたにしても、それが明記されていない限りは著作権の問題に抵触する可能性がある、という返答だった。それで担当編集者は、本に収録することはあきらめ、講談社のWEBで公開する方針に切り替えた。

 担当編集者はメディアとして「現代ビジネス」を選んだのだけれど、そこでぼくは、公開に関して迷うことになった。その理由は、サトシ・ナカモト論文が無料で公開され、そこで提示されたビットコインというソフト・ウエアもオープンソースとなっているからだ。

 ぼくは拙著の中で、オープンソース文化、というか、オープンソース思想について、(プロプライエタリとの対比において)、共感するような主張をしている。にもかかわらず、自分がサトシ・ナカモトの論文を(販促という)営利目的で利用することに違和感があったのだ。

 それで、担当編集者と議論をすることになった。いったんは「現代ビジネス」をやめて、このブログに公開したらいいんじゃないか、とも考えた。でも、ちょうどその頃に、坂井豊貴さんの新著のプルーフ版をいただいた。(レビューは↓)

坂井豊貴『暗号通貨vs.国家』SB新書は、めっちゃ面白い! - hiroyukikojima’s blog

この本のあとがきに坂井さんは次のように書いている。

サトシやビットコインに関する記録や情報はネット上に多くある。だがそれらは散逸しているうえ、真偽の判定が必ずしも容易ではない。信頼できそうな情報でも、書き手が匿名だったり不明だったりする。多くのウェブサイトで同じことが書かれている、というのは信頼する理由にならない。コピペサイトが多々あるからだ。電子的な贋金づくりであるダブルスペンディングの防止が容易でないゆえんである。

この坂井さんの考えは、担当編集者の考えと全く同じだった。それでぼくは、自分による解説と抄訳を「現代ビジネス」で公開することに意義があると考えを改めた。少なくとも、ぼくの知識や学識のレベル内において品質保証ができるし、ぼくという実名の学者の範囲内で責任をとれるからだ。

 というわけで、ビットコイン論文の解説+抄訳を公開する運びとなった。興味ある方は、是非ご一読ください。そして、「ビットコインって面白いかも」って思えたら、是非とも、拙著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエも併せてお読みください。

 

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 

 

小学生向けの統計学の絵本が刊行されます!

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 今日あたりから、ぼくの新著が書店に並ぶ。

宇宙人ミューとカイのかわいい統計大作戦ミネルヴァ書房という本だ。

f:id:hiroyukikojima:20190308000019j:plain

宇宙人統計本

この本は、小学校高学年の子供に統計グラフの読み方を勉強してもらうもの。

現在、文科省は統計教育に力を入れてて、高校で統計学が数学の単元としてほぼ必修化される。それに応じて、中学でも小学校でも統計が強化されることになっている。

 ぼく自身は、数学という教科の中で統計を教えるのは反対だ。統計学には統計学固有のロジックがあり、数学は使うけど数学とは異なる分野だからだ。例えば、物理を数学のいち単元として教えることになったら反対する人が多いのではないかと思うのに、統計についてはそんなでもないことには驚いている。

 ここでは、その話は詳しく書かないので、興味ある人はWEBRONZAで読んでほしい。

高校数学での統計学必修化は間違っている - 小島寛之|WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト

Twitterでよく、(有料だからだろうけど)最後まで記事を読まないでトンチンカンな批判している人がいるけど、そういうのはいかがなものかと思う。最後まで読まないと論説の趣旨はわからんぞ。(まあ、金払う価値があるかどうかは責任もたないが。笑)。

 繰り返すと、ぼくは数学の中で統計を教えるのは良くないと思うが、統計自体は、子供の頃から親しんだほうがいいと思っている。

 ぼく自身は、30代になるまで統計には一切関心がなかった。中学1年から数学にはまって、数学が三度の飯より好きなくらいだった。でもそれは、抽象世界の数理、形而上学としての数学が大好きだったのであって、現実解析の道具としての数学には全く関心がなかった。

 統計に目覚めたのは、30代で経済学部の大学院に通うことになったときだった。その辺の事情は、次で読んでほしい。

統計学の面白さはどこにあるか - hiroyukikojima’s blog

 経済学を研究するようになって、現実を見る道具としての統計学はものすごく面白いと目覚め、また、統計学から数学を引き算したところに統計学固有の思想が封じ込められている、ということもエキサイティングに思うようになった。

 今では、統計学がとても好きで、だから何冊も統計学の教科書を書いている。その「伝道」的な仕事の一環として、今回の『宇宙人ミューとカイのかわいい統計大作戦』がある。これは、ぼくが小学生のときに読んでいたらひょっとしてぼくの統計に関する興味が180度変わってたんじゃないか、ってコンセプトで書いたのだ。

 

 いつものように、序文を公開する。実は、この本は「子供むけ」「先生向け」「保護者向け」と3種類の序文があるんだけど、今回は、「子供むけ」を引用する。

[はじめに] 

 みなさんは、数字を見るとじんましんが出ますか? 算数は嫌いですか? 

そうですか。わかります。とてもわかります。

算数のややこしい計算や、むずかしい文章問題をやらされると、「なんでこんなこと、やらなきゃならないの?」「こんなことして、何かの役に立つの?」と思うことでしょう。ただただ子供を苦しめるだけの修行を、無理強いされている、そう感じるでしょう。

 そう感じるのは仕方のないことです。

 世の中には、スポーツが得意な子供も苦手な子供もいます。音楽が上手な子供も下手な子供もいます。同じように、算数が好きな子供も嫌いな子供もいてふしぎではありません。何に対しても、好きなことでは思いっきりがんばり、嫌いなことはソコソコにこなせばいいのです。大人になったら、算数が苦手でも、決して人からとがめられたりしませんよ。

 ただ、ここでひとつ、聞いてほしいことがあります。

 みなさんは、身の回りのこと、世界のことを知るのは、きっと興味があると思います。自分が生きているこの世の中には、たくさんの面白さとふしぎさがあふれています。そういう面白いこと、ふしぎなことを知りたい、わかりたい、きっとそう感じていることでしょう。

 そういう君は、ぜひ、本書を読んでください。本書では、身の回りや世界を知るための技術がレクチャーされます。

 身の回りや世界を知るには、「数字」と「グラフ」が役に立ちます。もう少し詳しく言うと、「統計」というのが役にたつのです。

「統計」というのは、世界を「数字」と「グラフ」で捉える技術です。世界は、見た目だけでは捉えられません。見ただけだとだまされてしまうことがよくあります。そういうときこそ、「数字」と「グラフ」がものを言うのです。

 この本は、世界を「数字」と「グラフ」で捉える「統計」について解説しています。ベータ星人のミューとカイといっしょに、ベータ星の博士から「数字」と「グラフ」の見方を学んでください。そして、「統計」を使って、地球を冒険してください。

 この本を読み終えた頃にはきっと、ほんの少しだけかもしれませんが、算数とお近づきになれているかもしれませんよ。

とくに、小学生のお子さんをお持ちの当ブログの読者の皆さんに、是非、書店で手に取っていただきたい。

 

 

文春に拙著の書評が掲載されました!

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 『週間文春』3月14日号に拙著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエの書評が掲載された。

 

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 

 評者は波多野聖さんという作家の方。非常にすばらしい書評でとてもうれしかった。なので、皆さんにも是非、読んでいただきたい。「文春オンライン」で読めるので、リンクを貼る。

暗号通貨を創り出す“技術”はいかがわしい? 「ブロックチェーン」の可能性とは? | 文春オンライン

 

これだけで終わってはなんなので、前回、

小学生向けの統計学の絵本が刊行されます! - hiroyukikojima’s blog

で紹介した小学生向けの統計本の新著ついて、もう一押ししておこう。

前回は「小学生向けのまえがき」を引用したが、今回は「保護者向けのまえがき」を引用する。

現在、文科省の算数・数学教育の方針として、統計学教育が強化されています。高校では、統計学が数学の一分野としてほぼ必修化され、それに伴い、中学校でも小学校でも、その下地作りの統計学習が導入されます。

 このことには、良い点と悪い点があります。

 良い点というのは、数学嫌いの子供もひょっとすると統計は好きになれるかもしれない、という点です。統計というのは、世の中の「事実」を数字で捉える技術です。算数は抽象的でややこしい作業ですが、統計は具体的であり、身の回りのこと、目に見えることを扱っていますから、子供が興味を持てる可能性があります。統計が身近になれば、社会にも理科にも興味が持てるようになるでしょう。

 他方、悪い点というのは、統計の「数字」や「グラフ」を見るには、ある程度訓練と慣れが必要だ、という点です。しかし、最初に下手な教育を受けると、算数嫌いに加えて、統計嫌いなるという、二重苦を背負いかねません。

 だから、最初が肝心なのです。大事なのは次の二点です。

  • あたりまえのこと、基本中の基本をきちんと教わること
  • 面白い統計を例として見ること

本書は、この二点を踏まえて作られています。できたら、保護者の皆さんも、子供さんの傍らで、一緒に本書を読んでください。そして、本書に出て来る統計について、「そうなんだ」とか「そうなのかなあ」とか「ふしぎだね」とか「他はどうかな」など、子供さんとあれこれ議論をかわしてみてください。きっと、子供さんは、あなたと一緒に、世界を冒険している気分になると思います。そして、世界の「事実」に興味を持つようになると思います。

 一部の家庭を除けば、子供と保護者が仲良く教科についての会話ができるのは、小学生のうちだけだろう。その時間は、とても大事だと思う。その貴重な交流の題材として本書を利用していただければ嬉しい。

 

 

 

『フランダースの犬』と社会的共通資本の理論

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 今回は、ウィーダ『フランダースの犬について語ろうと思う。それも、この物語が宇沢弘文先生の社会的共通資本の理論の根拠づけになるんじゃないか、というちょっと突飛な視点だ。

 ちなみにこのことは、前から考えていたんだけど、先日の資本主義研究会での講演

宇沢先生の思想について講演をします。 - hiroyukikojima’s blog

のために、前から温めていた考えをまとめて、満を持して発表したものだ。

 前もって言っておくと、ぼくは日本のアニメ「フランダースの犬」は(最終回以外は)全く観ていないので、アニメ版とは話が食い違っているかもしれない。

 ウィーダの原作を最初に読んだのはもう、20年以上昔のことになる。ベルギーに観光旅行に行ったときだった。『フランダースの犬』はベルギーのアントワープ地方を舞台とする有名な物語だから読んだほうがいいな、と思って、何の気なしにホテルで読んだのだ。

 そしたら、あまりの悲しい物語に号泣してしまった。しかし、それは主人公ネロに対する村人の非道な仕打ちのことではなかったんだ。以下、そのことを書く。今回読んだのは、新潮文庫

フランダースの犬 (新潮文庫)

フランダースの犬 (新潮文庫)

 

  思うに、作者のウィーダ女史がこの物語に込めた想いは、ルーベンスの絵に関することではないだろうか。

 ネロ少年は貧しいあばらやで祖父と二人で暮らしている。そこにひどい労役で死にそうになっておきざりにされた犬のパトラシエを祖父が助け、連れてきたことで、一緒に暮らすこととなった。物語は、少年ネロと犬のパトラシエの友情を描いていく。

 ぼくがこの物語の本質だと思うのは、ネロ少年が絵を描くことに情熱をもっていて、教会が所蔵しているルーベンスの絵を鑑賞することを熱望している、という点だ。しかし、教会はルーベンスの絵の鑑賞に課金をしており、貧乏なネロは見ることが叶わないのである。このことは次のように描写されている。まず、パトラシエの視点

パトラシエを不安がらせたのは、出てくるときのネロのようすがいつも異様で、ひどく顔を紅潮させているかと思えばひどく青ざめていることもあり、教会堂へ立ち寄った日には家に帰っても遊ぼうともせず夢想にふけりながら、黙りこくってすわったまま、運河のかなたの夕空を悲しげな面持でながめている、そのことであった。

「いったい何だろう?」

パトラシエは不思議におもった。とにかく小さい子供がこうして沈み込んでいるのは、あたりまえのことではない、と考え、物言えぬ身ながらネロを日のあたる原や賑やかな市場で、自分のそばにひきつけておこうと、せいいっぱい身ぶりを示して努力した。しかしあいかわらず教会へとネロは行くのであった。

 このように、ネロは教会のルーベンスの絵が見たいがために、何度も教会に足を運んでは失意のうちに帰ってきた。ルーベンスの二枚の絵にはいつもおおいがかけられているからだ。ネロの気持ちは次のパトラシエへのつぶやきに端的に示されている。

「あれが見られないなんて、たまらないなあ、パトラシエ、貧乏でお金が払えないばっかりに! この絵を描いたとき、あの人は貧乏人に見せまいなどとは夢にも考えなかったんだよ。どんな日でも、いや、毎日でも見せてくれたろうに、それだのに、あんなおおいをしておくなんてー暗いところにせっかくの美しいものを!ーだから金持の人が来てお金を払うまでは、日の目にもあわないし、人の目にもふれないんだ。あれが見られさえしたら、ぼくは死んでもいい」

この文章の中に作者ウィーダの強い怒りが結晶しているように思う。教会が拝金主義に陥って、市民みんなの財産であるはずのルーベンスの絵画を金儲けの道具にしている。よりによって教会がそういうことをしている。そういうとめどない怒りなのだと思う。

 市場原理主義の権化で宇沢先生の終生の敵であったミルトン・フリードマンならこういうかもしれない。すなわち、価値あるものは市場で価格を付けて取引されるのが最も効率的である。ネロもそんなに絵が見たいなら、働いて相応の金銭を稼げばいいではないか、と。

うん、そういう考え方があるのはわかるし、そういう考えを信奉する人が少なからずいることは知ってる。それに対して、作者ウィーダは、次のようなシーンを用意して答えたように思う。

 ネロは、村一番に裕福な家の娘アロアと親しくなる。アロアはネロやパトラシエの貧困や不幸なおいたちのことは気にせず、しじゅう一緒に遊ぶ気立てのいい娘だった。ある日にネロはアロアの肖像画を描く。アロアの父親はネロが娘に近づくのが気に入らなかったが、その肖像画には見惚れてしまい、1フランで買い取ることを申し出た。しかしネロは、お金の受取を拒否して、絵を無償であげてしまう。その気持ちはネロの次の言葉に表現されている。

「あの1フランであれが見られたのだがな。だけど、ぼくにはどうしてもアロアの絵は売れなかったんだよーあれのためでさえね」

つまり、ネロは、たとえルーベンスの絵を見たいがためと言っても、自分が心を込めて描いた愛するアロアの大事な絵を、金銭に代えることが我慢ならなかったんだと思う。それは「汚れた行為」だと感じるんではないだろうか。

 こういう感情について、ばかげていると思う人は多いだろう。また「危険な正義感」「危険な倫理観」だという人もいるだろう。しかし、ぼくが共感するのはそういう反論とははずれたところにある作者の思いなのだ。みんなの共有の財産である、教会や、絵画を、市場原理に晒すことに対する作者の怒り。絵画を無償で公開するなど、なんでもないことで、そうすればネロのような少年も、たとえ金銭的な苦境にあっても幸せに暮らすことができるのに、そうしない教会に対する憤慨がこの物語を書かせたに違いないと思うのだ。

 ベルギーで読んだときはただの悲しい物語だと思ったにすぎないのだけど、今回、講演のために読み返してみて、ぼくはこの物語の中に宇沢先生の「社会的共通資本の理論」が結晶していると確信するようになった。

 もちろん、生産設備を十分に確保し、需要を刺激し、雇用を安定させることで、人々は物質的な豊かさを享受できる。それは市民を豊かにする一つの在り方だ。でも他方で、生活基盤インフラや教育や医療や芸術など、人々の厚生の中心になる公共的な財を豊富に整備し、社会で共有の財産として管理運営していくことが、市民が安心して暮らせる、そして豊かであることを無理に自覚することなく享受していく大事な制度に違いないと思えるのだ。それが、宇沢先生が言いたかったことではないかと。

 この『フランダースの犬』は、悲劇的なエンディングを持っている。ネロとパトラシエは、クリスマスイヴの夜に教会で餓死することになる。しかし、死の直前にネロは、念願のルーベンスの絵を見ることになる。作者は、だれがおおいを取ってくれたのかについては触れていない。そこに、作者の強い想いが込められていると思う。それは次の表現に現れている。

この世に生きながらえるよりもふたりにとって死のほうが情け深かった。愛には報いず、信じる心にはその信念の実現をみせようとしない世界から、死は忠実な愛をいだいたままの犬と、信じる清い心のままの少年と、この二つの生命を引き取ったのである。

作者ウィーダの怒りと失望の深さはよくわかる。でも、死に幸せを委ねるなんて悲しいことをしなくても、この世界はちょっとした工夫で、ちょっとした発想の転換で、ネロとパトラシエを幸せにすることはできる。金銭を仲立ちとしない仕組みを市場世界の一部に導入すればいいだけだ。それこそが宇沢先生の思想の根幹だと思うのだ。

 ちなみに、つい先日、宇沢先生の評伝『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』講談社を著者の佐々木実さんが送ってくださった。ぼくも取材を受けて、ちょっとだけ貢献したからだ。まだ読んでいないので、読後に書評を挙げるつもりだ。

 うれしいことに、佐々木さんがこの本への思いを綴っているサイトに、「宇沢先生をしのぶ会」で上映されたアメリカの経済学者の追悼のインタビューがアップロードされている。是非、ご覧になっていただきたい。

世界随一の経済学者が、すべてを投げ捨てても守りたかったもの(佐々木 実) | 現代新書 | 講談社(1/3)

アカロフスティグリッツとソローとアローの4人。全員がノーベル経済学賞受賞者。すごすぎるメンバーだ。宇沢先生がどんなに彼らに愛されていたか、どんなに尊敬されていたかがよくわかる。

 

資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界

資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界

 

 

 

 

 

 


複素関数を感覚的に理解するには

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このところ、複素関数論(複素解析)を復習してた。

というのは、素数についての本格的入門書を執筆中だからだ。ぼくは、一昨年(2017年)に『世界は素数でできている』角川新書を刊行した。この本は、素数について、お話だけじゃなく、ある程度きちんと理論の中身を紹介するものだった。

 相当にがんばって書いたけど、二つの限界があった。第一は新書だからページ数が限れらていること。第二は、縦書きだから数式をあまり入れられないこと。もちろん、だからこそ多くの人が読める良い本に仕上がった。でも、一方で、数学が好きでもっと詳しく知りたい人の期待には応えられなかった。だから、横書きでページ数のたっぷりとれる本で、素数ファンに素数のすべてを提供したい、という気持ちが残った。そういう本を今、執筆中なのだ。

 そのために必要になる課題が二つある。ひとつは、素数の個数を数えるための「ふるい法」をわかりやすく解説するための資料を入手すること。これはいい本を入手できた。もうひとつは、ゼータ関数を理解するために不可欠な複素関数、とりわけ、複素積分を簡単に解説する技を編み出すことだ。

 後者については、すごく良い本2冊に出会うことができて、ほぼ準備が完了した。その二冊を今回紹介しよう。

一冊は小野寺嘉孝『なっとくする複素関数講談社。もう一冊は山本直樹複素関数論の基礎』裳華房

なっとくする複素関数 (なっとくシリーズ)

なっとくする複素関数 (なっとくシリーズ)

 

 

複素関数論の基礎

複素関数論の基礎

 

 この二冊の教科書の共通の特徴は以下のよう。

(1) 公理論的な厳密な組み上げより、直感的な理解を重視している。

(2)   計算の意味・内容をきちんと「言葉」で教えてくれる。

(3)  重要な定理だけに制限し、計算例や応用例もわかりやすいものだけに厳選している。

 とは言っても、二冊にはアプローチの違いもある。

前者の小野寺版は、相当に直感的だ。言いすぎになるかもしれないが、公理論的に相当やばい橋を渡っている。そういう意味で証明には危ないところがある。よく言えば明解、悪く言えば乱暴。でも、だからこそめっちゃわかりやすい。実は、ぼくの理解はこれに近いし、自分の本でもこの方針で解説しようと思っている。

それに比べて、後者の山本版はぎりぎり公理的な組み上げを踏み外さないでいる。にもかかわらず、面倒なところのうまい省略によって、読者の苦痛が最小限に抑えられるように工夫されている。

なので、未修者へのお勧めとしては、「小野寺版をば~っと一気読みして全体像を掴んで、そのあと山本版でもう少しきちんと理解する」という勉強方針を選ぶことだ。

 複素関数については、次の定理たちが代表的なもの。

1.コーシー・リーマン関係式:複素関数微分可能なとき正則といい、正則な関数は実部と虚部の関数の偏微分について、特定の偏微分方程式が成立する。

2.べき級数展開:正則関数は無限回微分可能でべき級数展開できる。

3.コーシーの積分定理:閉経路C内で正則な関数を、C上でぐるっと一周積分するとゼロになる。

4.コーシーの積分公式:関数f(z)を閉経路C内で正則とする。C内部の任意の点aに対して、関数f(z)/(z-a)をC上でぐるっと一周積分すると、f(a)になる。

5.ローラン展開:関数f(z)が中心をbとするドーナツ型開領域の内部で正則とする。このとき、関数f(z)は[係数×((z-b)のn乗)]の無限和で表現できる。ただし、nは負の整数も含む。

6.留数定理:関数f(z)は閉経路C内にいくつかの特異点を持つとする。そのとき、f(z)をC上でぐるっと一周積分した値は、(特異点における留数の総和)×2πi、となる。

ここで留数とは、その特異点ローラン展開したときの(指数n=ー1)における係数。

 だいたいこれらの定理をおさえれば、ゼータ関数にも、リーマン面にも、素数定理にも、なんとかかんとかアタック可能になる。でも、通常の(古典的な)複素解析の教科書でこれらの定理を全部理解しようとすると、きっとどこかで挫折を余儀なくされる。他方、紹介している二冊なら、ほとんど苦痛なくこれらを全部習得できるだろう。

 実は、上記「2.べき級数展開」を前提としてしまえば、他のすべてはあたり前に見えるのだ。複素積分でも「微分積分は逆操作」という「微積分学の基本定理」は成り立つ。言い換えると「fの原始関数Fが存在するなら、aからbへの経路でのfの積分値は終点の値F(b)から始点の値F(a)を引いたものになる」が成立する。べき級数展開は、係数×((z-c)のn乗)の和(ただし、nは0以上の整数)だから、各項には原始関数が存在する。閉経路での積分では(始点a)=(終点b)だから、積分値がゼロになるというコーシーの積分定理は当たり前と「納得」できる。次に実関数の積分でも、xの(ー1)乗以外のxのn乗には原始関数が存在したことを思い出そう。xの(ー1)乗だけ原始関数に対数が関わって変なことが起きていた。実は、この事情は複素関数ではより強烈になる。(z-a)の(ー1)乗が掛け算されるコーシーの積分公式も、(z-a)の(ー1)乗の係数だけを見ればいい、という留数定理もこの事情から出てくることが当たり前じゃんと「納得」できてしまう。

 このような書き方をしているのが、小野寺版だ。したがって、ほんとに腑に落ちる展開になっている。そして、そういうジェットコースター方式で解説しているからこそ、最後に解析接続の章とリーマン面の章を導入することに成功している。(z-a)の(ー1)乗の部分の振舞いがどちらでも大事なイメージ例となるのだ。とりわけ、解析接続の説明は出色だと思う。

 でも、公理論的には、上記「2.べき級数展開」を前提にするのはかなり乱暴なのだ。なぜなら、通常これは、「4.コーシーの積分公式」から導かれるからだ。

 山本版では、ちゃんとこの順序を踏襲している。その分、ある程度の厳密性が保持されている。他方、理解スピードがやや遅くなる恨みがある。

 ただ、山本版は1.から6.の定理たちのイメージを鮮烈にするための工夫が盛りだくさんだから、公理論的苦痛を相当に緩和してくれる。例えば、「1.コーシー・リーマン関係式」の導出は他書に比べて相当にわかりやすい。また、これを「zの複素共役zバーでの偏微分がゼロ」と言い換える工夫がめっちゃ良い。この見方をすると、「正則」とはどういうことかが直感的にストンと腹に落ち、関数の式を見ただけで正則・非正則を見抜けるようになる。

 また、「6.留数定理」の解説では、「n≠-1に対応する展開係数たちはすべて役に立たないガラクタで、積分に必要なすべての情報はn=-1に対応する係数に圧縮されている」という大事な見方を与えてくれる。その上、この定理を「積分しなくても、積分が計算できてしまう」と表現し、「コーシーの夢は、積分の統一的計算法であったという。この夢の成就の形として、留数定理は、まさに文句のないものといえよう」とほめたたえている。こういうの読むと、がんばって勉強してよかったな、と素直に喜べる。

 複素関数を勉強したい人、ゼータ関数素数定理リーマン面を理解したい人は、小野寺版→山本版、という順序で勉強することを強くお勧めする。

 

『リーマンの夢』とメルセンヌ素数予想と

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今回は、黒川信重『リーマンの夢』現代数学社についてエントリーしよう。

この本は、一昨年(2017年)に刊行なので、少し時間がたってしまった。入手当時も一読しているが、今ぼくは素数についての啓蒙書を準備していることもあり、再読してみたのだ。すると、前とは少し違う感慨があったので、それを語りたくなった。

リーマンの夢 ゼータ関数の探求

リーマンの夢 ゼータ関数の探求

 

 本書のタイトル『リーマンの夢』は、まさに、数学者リーマンが当時に夢見たであろうことを著者の黒川さんが想像して書いた、という意味だと思う。もっというなら、「リーマンが黒川さんに憑依して書かせた」と言ったほうが正しいかもしれない。それほど幻想的でかつ斬新な本なのだ。

 リーマンは19世紀に活躍した数学者で、たくさんの業績があるが、代表的なものは、ゼータ関数の発見、素数公式の導出、リーマン予想の提出、リーマン面の構成、などなど。残念なことに39才の若さで亡くなってしまった。

 そのリーマンの数学について、ゼータ関数を中心に語ったのが本書だ。本書が斬新である点を箇条書きしてみよう。

(A)  リーマンのゼータ関数の研究と黒川さんの「絶対ゼータ関数」の研究とがクロスオバーしながら、行きつ戻りつする構成になっている。

(B) リーマンが草稿だけを残した研究についても黒川さんの感性から詳しく紹介している。

(C) リーマン予想を解決するための本質的なアイテムについての解説がある。

(D) メルセンヌ素数BSD予想についての珍しい解説が読める。

(E) セルバーグやラングランズとの黒川さんの交友のエピソードが読めて、黒川さんという数学者の位置づけがしみじみわかる。

(F) 数学が夢のある学問であることが実感できる。

以下、もう少し詳しく説明していこう。

ゼータ関数というのは、そもそもはオイラーの研究から始まったものであり、「自然数のs乗の逆数の総和」のことだ。これをζ(s)と記す。これは、例えばs=2での値ζ(2)が「円周率の2乗を6で割った数」になるなど、非常に面白い性質を持っているのだが、最も重要な発見は、素数ぜんぶを使って積表示できることだ。これを「オイラー積」という。

リーマンはこのζ(s)を複素数全体で定義し、その虚の零点(ζ(s)=0を満たす虚部が0でないsたち)を使ってx以下の素数の個数を表す公式を得た。それが「素数公式」である。だから、ゼータ関数の虚の零点がわかれば、x以下の素数の個数を完全に掌握することができるわけだ。

リーマンは「虚の零点たちすべての実部が1/2であろう」と予想した。これがリーマン予想だ。つまり、虚の零点は、複素平面上の直線上に分布している、という予想なのである。大胆な言い方をすれば、素数ゼータ関数の零点というフィルターを通すと、その不規則性の一部が封じ込められる、ということだ。

 このリーマン予想が、提出から150年以上経過した現在も解けていない。フェルマー予想落城のあと、難攻不落の未解決問題の代表となっているのだ。

 黒川さんは、リーマン予想の解決を夢見て、数学の研究を続けてきた。そこで到達したのが、「絶対ゼータ関数という新しいゼータ関数の創造だ。

 (A)(B)は、黒川さんがリーマンの研究の中に絶対ゼータ関数の影を見ていることの解説である。したがって、絶対ゼータ関数の解説とリーマンの研究(草稿)とを行きつ戻りつする。通常の数学書は時系列に研究を紹介していくので、この手法は非常に斬新だ。まるで、黒川さんがリーマンと対話しているかのようである。これを読んでいくと、リーマンの草稿に、絶対ゼータ関数の概念が萌芽していることが判明し、リーマンの天才性にただただ驚かされる。黒川さんは、リーマンが長生きすれば、絶対ゼータ関数を使ってリーマン予想を解決したのではないか、という「夢」を見ているのだ。ただし、絶対ゼータ関数については、本書ではあまり詳しく説明されないので、提示されている参考文献を入手する必要がある。

 ゼータ関数は、リーマンの研究後、複素平面以外にさまざまなアイテムに対して創造された。楕円曲線や、代数体や、リーマン面や、ガロア表現や、行列や、保型形式や、離散グラフなどなど。そして、これらのいくつかについては、リーマン予想の類似が証明されている。本書はこの点についても語るが、非常に大づかみな解説なのが、かえってアプローチの本質を浮き彫りにしてくれる。それが(C)だ。ぼくの理解では、要するに、ゼータ関数行列式(det)で表現して、固有値問題に帰着されるのが有望なのだ。黒川さんは、絶対ゼータ関数にこのようなアプローチをすれば、本家のリーマン予想が解けると期待している。

 ぼく自身がこの本ですごくわくわくしたのは、(D)の点だ。

 メルセンヌ素数とは、「2のべき乗から1を引いてできる素数」で、3、7、31などがそう。現在見つかっている巨大な素数はすべてこのメルセンヌ素数だ。メルセンヌ素数には、コンピューターで実用的時間内でチェック可能な判定法があるのだ。このメルセンヌ素数は、現在、51個見つかっているが、数学者の多くは無限に存在していると予想している。この予想「メルセンヌ素数予想」については、ほとんど文献がないのだが、本書には紹介されており、非常に貴重だ。それは、「メルセンヌ多項式予想」というものだ。

 「メルセンヌ多項式」とは、素数pに対する1+x+(xの2乗)+・・・+(xのp-1乗)というxの多項式((xのp乗-1)/(x-1)としてもいい)で、素数ℓの剰余体において既約多項式となるものをいう。x=2を代入すればメルセンヌ数になるから、メルセンヌ素数に対応する概念となる。これに関して、次の二つの結果が得られているという。

命題1.代数体のゼータ関数に対するリーマン予想を仮定すると、素数ℓを原始根とする素数pが無限個存在することがわかる。

命題2. 相違なる素数ℓと素数pに対して、次が同値。

 (1) 1+x+(xの2乗)+・・・+(xのp-1乗)は素数ℓの剰余体でのメルセンヌ多項式

 (2)  ℓはpの原始根

(ここで「ℓはpの原始根」というのは、(ℓのp-1乗-1)が初めてpの倍数となること)。

これを踏まえると、「代数体のリーマン予想」が解ければメルセンヌ多項式が無限に存在することが証明されることになる。もちろん、代数体のリーマン予想は未解決で、まだほど遠いので、メルセンヌ多項式予想もほど遠いが、めっちゃわくわくする話だ。以前、黒川さんと対談したとき、メルセンス素数予想の解決には適切なゼータ関数の発見が必要と仰っておられたが、こういう意味だったのか、と本書で初めて理解した。ちなみに、命題2は黒川さんの発見らしい。

 BSD予想(バーチとスィンナートンダイアー予想)は、ゼータ関数に関する(リーマン予想とは別の)予想で、1億円がもらえるミレニアム問題のひとつである。この問題についても、世の中にあまり知られてない重要なことが解説されている。すなわち、ミレニアム問題に取り入れられているBSD予想ではなく、おおもとの(2つあるもうひとつのほうの)BSD予想は、リーマン予想よりも強く、元祖BSD予想が証明できればリーマン予想が証明できる、ということだ。ミレニアムBSD予想も系として出てくるから、ミレニアム問題がふたつ同時に解けて、2億円もらえる(かどうかは知らない)。これを深リーマン予想(DRH)と呼ぶらしい。このいきさつも面白い。

 でも、数学ミーハーのぼくにとってすごく楽しかったのは、(E)の点だ。そして、非常に驚いたエピソードでもある。二つほど引用しよう。

私は、30年近く昔になりますが、1988年5月にプリンストン高等研究所を訪問した際に、偶然、セルバーグ先生にお目にかかることができました。その折にセルバーグゼータ関数の話をさせていただいたことから、セルバーグ先生のオフィスに招待され、セルバーグゼータ関数のことをいろいろとうかがうことができるという幸運にめぐまれました。しかも、ちょうど書き上がったばかりの「ゲッチンゲン講義録コメント」をいただき感激したものです。このコピーは、セルバーグ先生自らしてくださったのでした。

すごい! そして、うらやましい。もうひとつ引用しよう。

私にとっては、ラングランズの``メルヘン論文''は思い出深い論文です。ラングランズ先生から出版前に手紙とともに送られてきました。論文に引用されている通り、私が1976年にジーゲル保型形式のラマヌジャン予想に反例があることを発見したこと(1976年2月24日付手紙でプリンストンの志村五郎先生に伝えた)はラングランズにラングランズ・ガロア群を巡る問題を考える一つのきっかけを与えたのでした。

すごい! そして、うらやましい。

本書にはこういう美味しいエピソードが入ってるし、さらには、ユーモラスな冗談も書かれていて笑わしてもくれる。一つだけ紹介しよう。

ところで、今回のメルセンヌ素数を本として印刷すると通常の10進表記では数千ページになりますが、2進表記なら1が74207281個並ぶシュールな本――本というよりも壁紙――になります。

いや、暗黒通信団なら、2進表記の本を刊行しそうな気がするぞ。

さて、黒川さんの『リーマンの夢』を読む前に、以下のぼくの本を読んでおくことを激しく推薦しておこう。

 

 やっぱ、数学って楽しいよね。

 

 

 

チェビシェフの定理のラマヌジャンの鮮やかな証明

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 前回も書いた通り、素数についての啓蒙書を書く準備をしているので、いろいろ資料を集めている。「リーマン予想」にかかわるゼータ関数関係は、黒川先生の著作がたくさんあり、それでカバーできるので準備は十分。でも、「双子素数」関連の解説も入れたいと思っている。双子素数とは、3と5、11と13のように差が2の素数のペアのこと。「双子素数は無限組ある」という予想が「双子素数予想」だ。

 双子素数予想に関しては、ここ数年で、非常に大きな進展があった。「差が246以下の素数のペアは無限組ある」という証明が得られたのだ。これはめちゃめちゃ大きな進展である。この証明には、「ふるい法」という方法論が使われるので、この最新の結果の解説自体は(ぼくの能力的に)不可能であるにしても、「ふるい法」そのものはなんとか解説したいと思っている。最も有名なものは「エラトステネスのふるい」で、これは多くの人がご存知だと思う。他に、ブルンのふるいや、セルバーグのふるいなどがある。

 「ふるい法」をなんとか理解したいと手に入れたのが、Cojocaru&Murty「An Introduction to Sieve Methods and Their Applications」という洋書である。

 

An Introduction to Sieve Methods and Their Applications (London Mathematical Society Student Texts)

An Introduction to Sieve Methods and Their Applications (London Mathematical Society Student Texts)

 

 「ふるい法」の和書は、非常に難しくわかりにくい本が多いのに対して、この本はとても読みやすいし、しかもかなり新しい結果も収められていて良い本だった。

 例えば、ほぼ冒頭に、「ベルトラン&チェビシェフの定理」のラマヌジャンによる証明が解説されている。しかも、相当わかりやすくて感動する。

 「ベルトラン&チェビシェフの定理」というのは、ベルトランが予想してチェビシェフが証明した定理で、「n≧1のとき、n以上2n以下に必ず素数が存在する」というものだ。チェビシェフはθ(x)という関数を使って、これを証明した。θ(x)とは、「x以下の素数の対数値の総和」である。

 それに対して、ラマヌジャンは、ψ(x)という関数を利用している。ψ(x)とは、「1以上x以下の素数べき(pのm乗)たちに対し、その素数の対数値(log p)を加えた総和」である。

ラマヌジャンは、非常に初等的な方法で、

ψ(x)-ψ(x/2)+ψ(x/3)≧(log 2)x+(log xに比例程度の関数)

ψ(x)-ψ(x/2)≦(log 2)x+(log xに比例程度の関数)

を証明する。そしてこれらから、ラマヌジャンは、

ψ(x)-ψ(x/2)≧(1/3)(log 2)x+(log xの2乗に比例程度の関数)

を証明した。ざっくり言えば、「ψ(x)とψ(x/2)との差が、xの1次関数ぐらいの水準で開いていく」、ということだ。したがって、「十分大きいxに対して、xとx/2の間には、必ず素数べきが存在する」ことがわかる。そこで、ちょっと考えると、これから「十分大きいxに対して、xとx/2の間には、素数が存在する」こともわかるのだ。

 理解できてみると、「さ~すが、天才ラマヌジャンだなあ」と思わずうなってしまう証明方法である。なみの数学感覚じゃ思いつかない。

 まあ、このブログにきちんと証明を書ききるのは難しいので、きちんと理解したい人は、ぼくの本が刊行されるのを待ってほしい。(前掲の洋書を読んでもいいけど、けっこう飛躍があって、それを自分で埋めるのは慣れてないと苦労すると思う)

 実はラマヌジャンは、この定理を改良して、次の定理を証明した。

ラマヌジャンの定理

x≧2, 11, 17, 29, 41,・・・のとき,π(x)-π(x/2)≧1, 2, 3, 4, 5, ・・・がそれぞれ成り立つ

ここでπ(x)はx以下の素数の個数を表す。 したがって、π(x)-π(x/2)≧1というのがベルトラン&チェビシェフの定理を表す不等式だが、ラマヌジャンは、「xとx/2の間に素数が少なくとも1個ある」だけではなく、「十分大きいxに対しては、いくらでも多く存在できる」を示したわけだ。実際先ほどのψ(x)の不等式から、こういうことが成り立つのはなんとなく想像できるだろう。ここで、定理の最初のところに登場する「2, 11, 17, 29, 41,・・・」というのが、「ラマヌジャン素数」と呼ばれるものである。きちんと言うと、「π(x)-π(x/2)≧kとなる最小のx」のことだ。ラマヌジャンの定理によって、「ラマヌジャン素数は無限に存在する」ことがわかる。

 ラマヌジャンラマヌジャン素数については、拙著『世界は素数でできている』角川新書のコラムを参照してほしい(このエントリーより情報量がわずかに多いだけだけなんだけど)。

 次回は、同じ洋書から、双子素数についてのことをエントリーする予定。

 

 

 

『楕円曲線と保型形式のおいしいところ』のおいしいところ

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 今、D.シグマ『楕円曲線と保型形式のおいしいところ』暗黒通信団を少しずつ読んでいる。これは、息子が父の日のプレゼントに買ってきてくれた本なのだ。

 というのも、以前、息子がコミケに行くとき、暗黒通信団のブースも見てくる、というので、この本の購入を頼んだのだ。しかし、残念ながら本書は売り切れになっていた。まあ、別にどうしても欲しいわけではなかったので放置していたのだが、最近、ぼくがアマゾンからコブリッツ『楕円曲線と保型形式』丸善出版を取り寄せて眺めているのをみて、息子は急に思い出したらしく、書店でD.シグマ『楕円曲線と保型形式のおいしいところ』暗黒通信団を探して買ってきてくれたのだ。

楕円曲線と保型形式のおいしいところ

楕円曲線と保型形式のおいしいところ

 

 そうして読んでみたら、ぶっとんだ。これこそがぼくの求めている本だった。

 著者のD.シグマ氏は、誰だか知らないが、最先端の数学者かそれに匹敵する院生だと思う。あまりに数論のことがよくわかっている。

 なにがすごいかというと、わずか79ページ(しかも小型の本)で、楕円曲線と保型形式の「おいしいところ」を書ききっていることだ。もちろん、こんなページ数ですべてを丹念に説明できるわけないので、証明をはしょってる部分が大半だが、これぞという定理には証明をつけてあるし、あるいは証明のアウトラインを書いてくれている。こういう芸当は相当な知識と筆力がないとできない。

 楕円曲線というのは、(yの2乗)=(xの3次式)という方程式で定義される曲線で、複素数の空間ではドーナツ型になっている。楕円曲線上の有理点には、「足し算(アーベル群)」を導入できる。実は、この足し算を使った暗号が実用化され、暗号通貨で利用されている(拙著『暗号通貨の経済学』講談社選書メチエ参照のこと)。

 一方、保型形式というのは、モジュラー変換(複素平面の分数変換の一種)に対してある種の不変性を持つ関数だ。

 この楕円曲線と保型形式という生まれの全く違う存在が、ゼータ関数を仲立ちにしてつながってしまう、というとんでもないことがわかったのだ。そして、このことが、フェルマーの最終定理を解決する源となったのである。

 しかし、このことを理解するのはものすごく敷居が高い。ぼくも、けっこうな時間をかけて勉強しているのだが、片手間だとなかなか急所の理解に到達しない(数学の専門家じゃないから、細部まで理解する欲求はない)。しかし、このD.シグマ氏の本では、ひょっとするとそれが可能になるかも、という予感がある。

 本書の「おいしいところ」を箇条書きにしてみる。

1.基本的に具体例で説明しているので、直感的な理解が可能。

2.  楕円曲線のアーベル群構造の証明が、通常の方法ではなく、ワイエルシュトラスのp関数によるパラメトライズを使っているので、めっちゃ簡単(ぼくはこの証明法を知らなかった。プロの間では普通なのかもしれない)。

3. 保型形式の説明も、具体例を基本に据えているので、直感的な理解ができる。

4. 楕円曲線から作るゼータ関数と保型形式から作るゼータ関数の一致がどのように証明されるのか、おおよそ説明されている。

5. 谷山予想のワイルズによる解決がどのような仕組みでフェルマーの最終定理を系として与えるのかが、他のどの啓蒙書よりも詳しく、他のどの専門書よりもわかりやすく書かれている。

 この5点を知るだけで、この本がどんなに面白い本か伝わることだろう。

とりわけ、4の楕円曲線から作るゼータ関数と保型形式から作るゼータ関数の一致については、「p進表現のテイト加群へのガロア表現」を用いて示されることが(それなりに)わかりやすく説明されている。p進数という実数と別の距離空間を通り、そこでのガロア群の構造を見ると楕円曲線と保型形式がつながるなんて、数世界ってなんて良くできているんだ、と思わず叫ばずにはいられない。これが、ぼくがずっと知りたかったことのひとつだ。

 そして、5のフェルマーの最終定理についての解説は、感涙むせぶ。フライの考え出したフライ曲線という楕円曲線に関して、それが保型形式からこない(モジュラーでない)というリベットの証明の概略が書かれている。これはぼくが読んだどの啓蒙書にも書かれていなかったことだ(専門書ではない。念のため)。さらには、ワイルズの谷山予想の証明のアイデアの急所も書かれている。これも、ぼくが読んだどの啓蒙書にも書かれていなかったことだ(専門書ではない。念のため)。

 そういう意味で、本書は、タイトルに偽りなく、「おいしいところ」を書きまきくったおいしい本だと思う。

 最後に序文(1ページ)の最も「おもしろいところ」だけ引用しよう(営業妨害してやる)。

現代では、このFermatの台詞を記述式の試験に適用できると勘違いしてしまった理系大学生が、余白は十分ある期末テストの解答用紙にこの台詞だけを記した結果、次年も同じ授業を受けることになるという悲劇が後を絶たない。なお、アンサイクロペディアでこの台詞について調べると、「驚くべき証明を見つけたがそれを書くには余白が狭すぎる(英文は省略)とは数学における証明の手法のひとつ、だがそれを完全に説明するには余白が狭すぎる」と記載されているが、情報にはとかくガセがつきものなので十分に注意していただきたい

 実は来週末に、ぼくの『天才ガロアの発想力』の「完全版」が刊行されるのだ。事前にこのD.シグマ氏の本を読んでいれば、ガロア表現のことを挿入できたのに、とちょっと残念だった(とさりげなく、宣伝をしておく。ちゃんとした宣伝は、次回にエントリーする)。

 

 

 

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 

 

 

『完全版 天才ガロアの発想力』が今週末に刊行されます!

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今週末、7月6日に、『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社が刊行される。これは、2010年に刊行された拙著『天才ガロアの発想力』技術評論社の完全版だ。

 

何が「完全」なのかというと、旧版では収録できなかった「ガロアの定理」の完全証明を収録した、ということである。その辺の事情を説明するために、まずはこの新版の「はじめに」を公開しよう。

完全版「まえがき」

本書は、2010年に技術評論社から刊行した『天才ガロアの発想力』の新版です。旧版に対して、大変大幅な加筆をしました。目的は、「ガロアの定理」の完全証明を収録することでした。

 旧版では完全証明を諦めしました。理由は二つです。第一に、ページ数が限られるので証明を書き切るが難しかったこと。第二に、当時入手できていたガロア理論の資料では、一般読者でも理解できるレベルの完全証明を解説する自信がなかったこと。それで旧版では、完全証明を諦め、かわりに位相空間ガロア理論(本書の第8章)を導入することにしたのです。旧版は多くの読者に評価された一方で、証明の欠ける部分を残念に思う読者も多く、著者として無念に思っていました。

 嬉しいことに新版が企画された今回、前述の二つの困難が解決しました。まず、ページ数を大幅に増やすことが了承されました。その上、旧版刊行後に、ガロア理論に関する良書が見つかったり、新たに刊行されたりして、一般読者もがんばれば理解できるレベルの証明を解説できる見通しが立ったのです。そこで、本書は「完全版」と銘打つことになりました。

 旧版との大きな違いは、ベクトル空間を導入して「ガロアの基本定理」の完全証明を解説したこと、四則とべき根で解けない具体的な5次方程式を証明とともに紹介したこと、「アーベルの定理」の証明を収録したことです。 

(以下は、旧版まえがきの一部の再録です。)

これから、皆さんには、約200年前に生まれたフランスの少年に恋をしていただこうと思います。名前は、エヴァリスト・ガロアといいます。彼は二十歳の朝、銃による決闘で命を落としました。決闘前夜に書いた遺書は、なんと一編の数学論文でした。そして、その論文で生み出された数学理論は、その後、ガロア理論と呼ばれるようになり、現在に至るまで数学を刷新し続けているのです。ガロアが解いたのは300年も未解決の問題でした。「2次、3次、4次方程式は四則計算と2乗根、3乗根などのべき根をとる操作で必ず解くことができるが、5次以上の方程式ではそうはいかない」というものです。このことを突き止めるためにガロアは、「群論」と呼ばれる全く新しい数学を編み出したのでした。n次方程式のn個の解の「区別のつかなさ」を群によって表現し、方程式の解法に接近したのです。

この本で最も書きたかったことは、不良で生意気ではねっかえりで、純粋で無軌道という、ガロア少年のかっこよさです。読者の皆さんも、そんなガロアとそして数学そのものに恋をしてくださいませ。

もう少し旧版についての事情について補足しよう。

実は2011年がガロア生誕200年にあたり、そういう意味で、2010年のうちに書店に並べたい、という出版社の意向があり、執筆をせかされていたのだ。十分に時間があれば、資料を集めて、ガロアの定理の(数学や物理の学生以外の)一般の人にも読解できるレベルの証明を構築できるのかもしれなかったのだけど、本当に時間がなかった。

また、ガロア生誕200年は当然、他の出版社の編集者も企画として狙っており、次々とガロア関係の本が刊行されている状況下だった。

そんな中ぼくは、もちろん、それらの本と自分の本を差別化したいと強く望んだ。それでガロアの定理の証明を完全化するよりも、「位相空間ガロア理論(被覆空間のガロア理論)」を紹介することで独自性を出そうと企てた。そのため、余計にページ数が制限されることになり、ガロアの定理の完全証明を放棄することになってしまった。

 でも、アマゾンの書評などで、証明を端折っていることを残念がる(あるいは酷評する)レビューもあがり、ぼくなりに後悔が募ることとなった。

 それで今回の完全版では、証明を完全に書ききることを遂行したのである。ページ数も大幅に増えてしまったし、内容も旧版よりずっと難解になったことは否めない。でも、難解なところは読者がスキップすればいいだけのことだ。ぼくとしては、積年の思いを果たすことができた。

 今回導入したガロアの定理の証明は、ぼくが知っている範囲で、最も予備知識のいらない、最も一般人にわかりやすい証明だと思う。それが書けたのは、旧版後に刊行された(あるいは、以前に刊行されていたが知らなかった)ガロア理論の教科書を入手したおかげだ。それらについては、次回のエントリーで紹介したいと思う。

 旧版を持っている人にも損をさせないつもりなので、是非、書店で手に取って中身を見てほしい。

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