『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社が、アマゾンにも入荷され、書店にも並んだので、前回に引き続いて、今回も宣伝をしたい。
これは、2010年に刊行した『天才ガロアの発想力』の新版なのだが、9年たった今、完全版を出した理由は前回
『完全版 天才ガロアの発想力』が今週末に刊行されます! - hiroyukikojima’s blog
で説明したので、そちらで読んでほしい。
今回は、「完全版」として、どんな「定理の証明」を補ったかを説明する。
完全版は、旧版で省略した多くの定理の証明を加筆した。しかも、その証明はさまざまな教科書から個別に持ってきたものだ。
ちょっと脇道にそれるが、昔、銀座のフレンチ・レストランに夫婦でランチを予約して食べに行ったことがあった。入店すると、隣のだれもいない席にすでにシャンパンがクーラーに冷やされて準備されていたので、どんなお客が来るのだろうと興味津々だった。来店した客は、どちらかと言えば若い風情の男性だった。連れはおらず、一人で昼食を予約したらしい。それだけでも珍しいのだが、常連客のようでソムリエがずっとぴったり張り付いて話相手をしていたので夫婦して聞き耳をたてた。男は、ひとしきりワインと料理についてうんちくをたれた後、シェフを呼び出して、料理について感想を述べた。そのあと、おもむろにシェフとソムリエに、「日本で一番の中華料理って、どうやって食べるか知ってる?」となぞかけした。ソムリエは首をかしげながら、「どちらの中華店でしょうかねえ」と答えた。すると男は、「まず、前菜は○○に行くでしょ、そしたらタクシーで○○に移動して、北京ダッグを食べる。そして次にタクシーで○○に行ってエビを食べる、そして・・・最後は○○で杏仁豆腐でしめる」と滔々と語った。つまり、男がいう「最高の中華料理屋」とは、「料理別に違う中華店にはしごする」、ということだったのだ。
我々夫婦は、その常連客の様子がなんだか可笑しくて、観察しながらランチを食べてたので、正直、料理の味を覚えていないくらいだった(笑)。
さて、何が言いたいかというと、今回の新著『完全版 天才ガロアの発想力』ではまさにこの「最高の中華料理店」をやった、ということなのだ。つまり、定理の証明別に、引用する教科書を変えたのである。
専門的な数学の教科書には、必ず、著者の意図というのが存在する。だから、ある定理に関しては非常にわかりやすいエレガントな証明をしていながら、別の定理に関しては抽象的で入りくんでわかりずらい証明を書いている。どういう証明を選ぶかは、その本の到達点としてどこを目指しているかに依存するので、どうしてもそんな風になってしまうのだ。
ぼくは今回の本では、とにかく、初等的で予備知識がなるべく無くて済むイメージしやすい証明を解説することをテーマとした。そんなわけだから、ガロアの定理に関する証明を4冊の本から、「おいしいとこ取り」をしたのである。4冊は次のものだ。
[A]中島匠一『代数方程式とガロア理論』共立出版(2006年)
[B]イアン・スチュアート『明解ガロア理論』[原著第3版]講談社(2008年)
上の2冊は、旧版刊行前に出版されていたが未読だった。下の2冊は旧版の刊行後に出版された本だ。この下の2冊を入手したのが大きかった。とにかく、証明がわかりやすい。これを読んだので、ガロアの定理に関する、(数学を専門的に勉強していない)一般の読者にもがんばれば理解できる、そういう証明を紹介することが可能だ、という手ごたえが得られたのだ。以下、加筆した証明それぞれについて、どの定理の証明をどの教科書から引っ張ったかを列挙しよう。まずは、最も重要な二つから。
ガロアの基本定理
これは、体Fのガロア拡大体Kと、KのF上の自己同型の群G(ガロア群)に関して、Gの部分群と、KとFの中間体の間に、1対1対応が存在する、という最も基本となる定理
これについては、黒川[C]から証明を引っ張った。これは、アルティンという数学者の証明した方法だ。アルティンのガロア理論の本も持っていたのだが、わかりずらくて読む気がおきず、放置してた。しかし、黒川さんの本を読んで、初めて、「こんなに明解な証明だったのか!」と開眼した。現在、多くのガロア理論の本では、このアルティンの証明が書かれているので(中島[A]もスチュアート[B]もそう)、最もエレガントな証明なのだろうと思う。黒川さんの本を読んで、基本的に線形代数が重要な働きをしていることを悟った。だから、今回の完全版にはベクトル空間の説明も簡素に導入した上で、アルティンの証明を紹介した。
黒川[C]は、そもそもはゼータ関数のことを解説するものだ。ゼータ関数についてのリーマン予想を解決するには、ガロア群に関するガロア表現というのが重要なのだ。この本は、そこに向かうためにガロアの基本定理の証明のわかりやすい説明を準備することから始まっているである。
四則とべき根で解けない5次方程式
特定の5次方程式は四則とべき根では解けないのだけれど、それの根本は、その5次方程式の解を有理数体に付加して作る体の自己同型の群(ガロア群)にある性質を持った部分群の列が存在しない、ということから出てくる。ある性質とは、ハッセ図の中の正規部分群の列で、ひとつ上の正規部分群をひとつ下の正規部分群で割った商群が巡回群となっているもののこと。
このことを「5次対称群の非可解性」と呼ぶのだけど、これも多くの教科書ではかなり抽象的でわかりにくい証明をしている(一般性があるからそうするんだと思うんだけどね)。でも、辻[D]で、目の覚めるようなわかりやすい証明を書いている。ぼくがこれまで読んだ証明の中で、最も直感に訴え、最も印象的な証明だと思う。
この辻さんの解説は、P.デュピュイ『ガロアとガロア理論』というガロアの伝記に数学的な解説として追加されたものだ。でも、正直、本編の『ガロアとガロア理論』より、辻さんの解説のほうがずっと価値が高い。ガロアの伝記だったらむしろ、加藤文元『ガロア 天才数学者の生涯』中公新書を読んだほうがずっといいと思う。でも、辻[D]での辻さんの解説部分はあまりにすばらしい。ガロアの定理の証明もさることながら、そのあとに付加されている楕円曲線のガロア理論は、そうとう簡単に書かれており、目から鱗そのものなのだ。これを読まない手はないと思うぞ。
コーシーの定理
この定理は、有限群Gの要素数が素数pで割り切れるならば、Gの要素gで、gをp個掛け算する(g○g○・・・g○g)と単位要素eになるものが存在する、という定理
このコーシーの定理は、特定の5次方程式の解全部を有理数に付加して作った体Kのガロア群が5次対称群になることを証明するのに使う。シンプルな定理だけど、初等的に(予備知識を最低限に)証明するのは、けっこうハードな道のりなのだ。この証明は、スチュアート[B]から引用した。類等式という「群の要素の分類方法」を使うのだけど、手品のような証明で、正直驚いた。(コーシーって、ガロアを不幸にした数学者じゃないんだっけ?といぶかりながら読んだ)。
この本の著者イアン・スチュアートは、数学の啓蒙書をたくさん書いていて、翻訳もたくさんある。例えば、『現代数学の考え方』ちくま学芸文庫はすごくわかりやすく、すごく面白く書かれている名著だ。なのに、このスチュアート[B]は抽象的で読みにくい。自分の専門について書くとこうなっちゃうのかな、と正直残念だった。ただ、部分的には非常に冴えた証明が導入されている。これがその一つだ。
ガロア群が5次対称群であるような具体的な5次方程式
虚解を2個、実解を3個持つ5次方程式について、その解たちから作ったガロア拡大体の自己同型は5次対称群となる
例えば、(xの5乗)-10x+5=0がそういう5次方程式にあたる。この証明もスチュアート[B]から引っ張った。前記のコーシーの定理を使うものだが、対称群(並べ変えの群)を勉強した経験があれば、(なくてもそれなりに)、相当わかりやすい証明だ。
正規拡大体はガロア拡大体
n次方程式の解全部を有理数に付加してつくった体を正規拡大体という。体Kの体F上の自己同型によって不変な体がFであるような体をガロア拡大体という。実はこの正規拡大体とガロア拡大体が一致する、というのがこの定理。
実は、旧版でガロアの基本定理の証明を書くのにひるんだのは、この定理を書ききる自身がなかったことも大きい。正規拡大体はとてもわかりやすい。方程式の解全部を有理数に加えて四則で膨らませるだけだからだ。でも、ガロアの定理(5次方程式の非可解性)を示す立役者になるのは、ガロア拡大体の性質(固定体がFとなること)なのだ。だから、この二つの体概念が一致する、という定理は、非常に不思議なことで、これを発見したガロアの天才性が浮きたつ。
この定理の証明は、中島[A]に頼った(ただし、分離多項式についてはスキップした)。スチュアート[B]にもあるけど、非常にわかりずらい。中島[A]という教科書は、とてもわかりやすい書き方をしているのだけど、とにかく分厚すぎる。このページ数を進んでいくと、普通の読者は、きっとどこかで挫折してしまうのではないかと心配になる。だから、ぼくの完全版では、中島[A]からおいしいところだけをパクることにしたのである。
アーベルの定理
5次方程式には四則とべき根で表現することのできる「解の公式」は存在しない。
この定理も旧版では導入を諦めた定理だ。そもそも、「ガロアの定理」と「アーベルの定理」は素人には区別が難しい。どちらも「5次方程式は四則とべき根では解けない」ということを意味しているからだ。
違いは、「具体的な有理数係数の5次方程式」を扱っているのか、「抽象的な文字係数の5次方程式」を扱っているか、という点なのだ。前者がガロアで後者がアーベル。ガロアの定理が成り立てばアーベルの定理は自動的に成り立つが、逆はそうではない。なぜなら、文字を係数とした5次方程式に四則とべき根による解の公式が存在しなくとも、個々の具体的な5次方程式には、それぞれ別個に四則とべき根による解法があるかもしれない。「解の公式」は、どんな具体的な方程式も「同じアルゴリズムで解ける」ことを意味するからだ。
証明はアーベルの定理のほうがガロアの定理より格段に易しい。だけど、解を付加したガロア拡大体をイメージするのは、(素人には)アーベルのほうがたぶん難しい。だから旧版では、読者が混乱するのを危惧して、アーベルのほうは一切解説せず、ガロアのほうに集中した。でも、今回、体について、ベクトル空間として見る見方など、かなり抽象的な内容も解説したので、アーベルの定理の証明もきっと理解してもらえると思った。だから、最後の最後に証明を導入したのだ。出典はスチュアート[B]だ。
以上のように、「最もわかりやすい証明」のお店をはしごする、というのがこの新版の特徴だと言っていい。たぶん、どの啓蒙書よりもきちんとした証明を導入し、どの教科書よりも少ないページ数でそれを達成し、どの教科書よりもイメージしやすい証明を紹介できたと自負している。だから、ぜひぜひ読んでみてな。
最後に紹介した本にリンクを貼っておく。