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『完全版 天才ガロアの発想力』のお勧めポイント

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『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社が、アマゾンにも入荷され、書店にも並んだので、前回に引き続いて、今回も宣伝をしたい。

 これは、2010年に刊行した『天才ガロアの発想力』の新版なのだが、9年たった今、完全版を出した理由は前回

『完全版 天才ガロアの発想力』が今週末に刊行されます! - hiroyukikojima’s blog

で説明したので、そちらで読んでほしい。

今回は、「完全版」として、どんな「定理の証明」を補ったかを説明する。

 完全版は、旧版で省略した多くの定理の証明を加筆した。しかも、その証明はさまざまな教科書から個別に持ってきたものだ。

 ちょっと脇道にそれるが、昔、銀座のフレンチ・レストランに夫婦でランチを予約して食べに行ったことがあった。入店すると、隣のだれもいない席にすでにシャンパンがクーラーに冷やされて準備されていたので、どんなお客が来るのだろうと興味津々だった。来店した客は、どちらかと言えば若い風情の男性だった。連れはおらず、一人で昼食を予約したらしい。それだけでも珍しいのだが、常連客のようでソムリエがずっとぴったり張り付いて話相手をしていたので夫婦して聞き耳をたてた。男は、ひとしきりワインと料理についてうんちくをたれた後、シェフを呼び出して、料理について感想を述べた。そのあと、おもむろにシェフとソムリエに、「日本で一番の中華料理って、どうやって食べるか知ってる?」となぞかけした。ソムリエは首をかしげながら、「どちらの中華店でしょうかねえ」と答えた。すると男は、「まず、前菜は○○に行くでしょ、そしたらタクシーで○○に移動して、北京ダッグを食べる。そして次にタクシーで○○に行ってエビを食べる、そして・・・最後は○○で杏仁豆腐でしめる」と滔々と語った。つまり、男がいう「最高の中華料理屋」とは、「料理別に違う中華店にはしごする」、ということだったのだ。

 我々夫婦は、その常連客の様子がなんだか可笑しくて、観察しながらランチを食べてたので、正直、料理の味を覚えていないくらいだった(笑)。

 さて、何が言いたいかというと、今回の新著『完全版 天才ガロアの発想力』ではまさにこの「最高の中華料理店」をやった、ということなのだ。つまり、定理の証明別に、引用する教科書を変えたのである。

 専門的な数学の教科書には、必ず、著者の意図というのが存在する。だから、ある定理に関しては非常にわかりやすいエレガントな証明をしていながら、別の定理に関しては抽象的で入りくんでわかりずらい証明を書いている。どういう証明を選ぶかは、その本の到達点としてどこを目指しているかに依存するので、どうしてもそんな風になってしまうのだ。

 ぼくは今回の本では、とにかく、初等的で予備知識がなるべく無くて済むイメージしやすい証明を解説することをテーマとした。そんなわけだから、ガロアの定理に関する証明を4冊の本から、「おいしいとこ取り」をしたのである。4冊は次のものだ。

[A]中島匠一『代数方程式とガロア理論共立出版(2006年)

[B]イアン・スチュアート『明解ガロア理論』[原著第3版]講談社(2008年)

[C]黒川信重ガロア理論と表現論』日本評論社(2014年)

[D]辻雄「ガロア理論とその後の現代数学」、P.デュピュイ『ガロアガロア理論』東京図書(2016年)の解説として所収

上の2冊は、旧版刊行前に出版されていたが未読だった。下の2冊は旧版の刊行後に出版された本だ。この下の2冊を入手したのが大きかった。とにかく、証明がわかりやすい。これを読んだので、ガロアの定理に関する、(数学を専門的に勉強していない)一般の読者にもがんばれば理解できる、そういう証明を紹介することが可能だ、という手ごたえが得られたのだ。以下、加筆した証明それぞれについて、どの定理の証明をどの教科書から引っ張ったかを列挙しよう。まずは、最も重要な二つから。

ガロアの基本定理

 これは、体Fのガロア拡大体Kと、KのF上の自己同型の群G(ガロア群)に関して、Gの部分群と、KとFの中間体の間に、1対1対応が存在する、という最も基本となる定理

これについては、黒川[C]から証明を引っ張った。これは、アルティンという数学者の証明した方法だ。アルティンガロア理論の本も持っていたのだが、わかりずらくて読む気がおきず、放置してた。しかし、黒川さんの本を読んで、初めて、「こんなに明解な証明だったのか!」と開眼した。現在、多くのガロア理論の本では、このアルティンの証明が書かれているので(中島[A]もスチュアート[B]もそう)、最もエレガントな証明なのだろうと思う。黒川さんの本を読んで、基本的に線形代数が重要な働きをしていることを悟った。だから、今回の完全版にはベクトル空間の説明も簡素に導入した上で、アルティンの証明を紹介した。

 黒川[C]は、そもそもはゼータ関数のことを解説するものだ。ゼータ関数についてのリーマン予想を解決するには、ガロア群に関するガロア表現というのが重要なのだ。この本は、そこに向かうためにガロアの基本定理の証明のわかりやすい説明を準備することから始まっているである。

四則とべき根で解けない5次方程式

 特定の5次方程式は四則とべき根では解けないのだけれど、それの根本は、その5次方程式の解を有理数体に付加して作る体の自己同型の群(ガロア群)にある性質を持った部分群の列が存在しない、ということから出てくる。ある性質とは、ハッセ図の中の正規部分群の列で、ひとつ上の正規部分群をひとつ下の正規部分群で割った商群が巡回群となっているもののこと。

このことを「5次対称群の非可解性」と呼ぶのだけど、これも多くの教科書ではかなり抽象的でわかりにくい証明をしている(一般性があるからそうするんだと思うんだけどね)。でも、辻[D]で、目の覚めるようなわかりやすい証明を書いている。ぼくがこれまで読んだ証明の中で、最も直感に訴え、最も印象的な証明だと思う。

 この辻さんの解説は、P.デュピュイ『ガロアガロア理論』というガロアの伝記に数学的な解説として追加されたものだ。でも、正直、本編の『ガロアガロア理論』より、辻さんの解説のほうがずっと価値が高いガロアの伝記だったらむしろ、加藤文元『ガロア 天才数学者の生涯』中公新書を読んだほうがずっといいと思う。でも、辻[D]での辻さんの解説部分はあまりにすばらしい。ガロアの定理の証明もさることながら、そのあとに付加されている楕円曲線ガロア理論は、そうとう簡単に書かれており、目から鱗そのものなのだ。これを読まない手はないと思うぞ。

 コーシーの定理

 この定理は、有限群Gの要素数素数pで割り切れるならば、Gの要素gで、gをp個掛け算する(g○g○・・・g○g)と単位要素eになるものが存在する、という定理

このコーシーの定理は、特定の5次方程式の解全部を有理数に付加して作った体Kのガロア群が5次対称群になることを証明するのに使う。シンプルな定理だけど、初等的に(予備知識を最低限に)証明するのは、けっこうハードな道のりなのだ。この証明は、スチュアート[B]から引用した。類等式という「群の要素の分類方法」を使うのだけど、手品のような証明で、正直驚いた。(コーシーって、ガロアを不幸にした数学者じゃないんだっけ?といぶかりながら読んだ)。

この本の著者イアン・スチュアートは、数学の啓蒙書をたくさん書いていて、翻訳もたくさんある。例えば、『現代数学の考え方』ちくま学芸文庫はすごくわかりやすく、すごく面白く書かれている名著だ。なのに、このスチュアート[B]は抽象的で読みにくい。自分の専門について書くとこうなっちゃうのかな、と正直残念だった。ただ、部分的には非常に冴えた証明が導入されている。これがその一つだ。

ガロア群が5次対称群であるような具体的な5次方程式

 虚解を2個、実解を3個持つ5次方程式について、その解たちから作ったガロア拡大体の自己同型は5次対称群となる

例えば、(xの5乗)-10x+5=0がそういう5次方程式にあたる。この証明もスチュアート[B]から引っ張った。前記のコーシーの定理を使うものだが、対称群(並べ変えの群)を勉強した経験があれば、(なくてもそれなりに)、相当わかりやすい証明だ。

正規拡大体はガロア拡大

 n次方程式の解全部を有理数に付加してつくった体を正規拡大体という。体Kの体F上の自己同型によって不変な体がFであるような体をガロア拡大体という。実はこの正規拡大体とガロア拡大体が一致する、というのがこの定理。

実は、旧版でガロアの基本定理の証明を書くのにひるんだのは、この定理を書ききる自身がなかったことも大きい。正規拡大体はとてもわかりやすい。方程式の解全部を有理数に加えて四則で膨らませるだけだからだ。でも、ガロアの定理(5次方程式の非可解性)を示す立役者になるのは、ガロア拡大体の性質(固定体がFとなること)なのだ。だから、この二つの体概念が一致する、という定理は、非常に不思議なことで、これを発見したガロアの天才性が浮きたつ。

この定理の証明は、中島[A]に頼った(ただし、分離多項式についてはスキップした)。スチュアート[B]にもあるけど、非常にわかりずらい。中島[A]という教科書は、とてもわかりやすい書き方をしているのだけど、とにかく分厚すぎる。このページ数を進んでいくと、普通の読者は、きっとどこかで挫折してしまうのではないかと心配になる。だから、ぼくの完全版では、中島[A]からおいしいところだけをパクることにしたのである。

アーベルの定理

 5次方程式には四則とべき根で表現することのできる「解の公式」は存在しない。

この定理も旧版では導入を諦めた定理だ。そもそも、「ガロアの定理」と「アーベルの定理」は素人には区別が難しい。どちらも「5次方程式は四則とべき根では解けない」ということを意味しているからだ。

違いは、「具体的な有理数係数の5次方程式」を扱っているのか、「抽象的な文字係数の5次方程式」を扱っているか、という点なのだ。前者がガロアで後者がアーベル。ガロアの定理が成り立てばアーベルの定理は自動的に成り立つが、逆はそうではない。なぜなら、文字を係数とした5次方程式に四則とべき根による解の公式が存在しなくとも、個々の具体的な5次方程式には、それぞれ別個に四則とべき根による解法があるかもしれない。「解の公式」は、どんな具体的な方程式も「同じアルゴリズムで解ける」ことを意味するからだ。

 証明はアーベルの定理のほうがガロアの定理より格段に易しい。だけど、解を付加したガロア拡大体をイメージするのは、(素人には)アーベルのほうがたぶん難しい。だから旧版では、読者が混乱するのを危惧して、アーベルのほうは一切解説せず、ガロアのほうに集中した。でも、今回、体について、ベクトル空間として見る見方など、かなり抽象的な内容も解説したので、アーベルの定理の証明もきっと理解してもらえると思った。だから、最後の最後に証明を導入したのだ。出典はスチュアート[B]だ。

 以上のように、「最もわかりやすい証明」のお店をはしごする、というのがこの新版の特徴だと言っていい。たぶん、どの啓蒙書よりもきちんとした証明を導入し、どの教科書よりも少ないページ数でそれを達成し、どの教科書よりもイメージしやすい証明を紹介できたと自負している。だから、ぜひぜひ読んでみてな。

 最後に紹介した本にリンクを貼っておく。

 

代数方程式とガロア理論 (共立叢書 現代数学の潮流)

代数方程式とガロア理論 (共立叢書 現代数学の潮流)

 

 

 

明解ガロア理論 [原著第3版] (KS理工学専門書)

明解ガロア理論 [原著第3版] (KS理工学専門書)

 

 

 

 

 

ガロアとガロア理論 (MATH+)

ガロアとガロア理論 (MATH+)

 

 

 

 

 


文春に書評を寄稿しました!

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週間文春』7月18日号に書評を寄稿した。

評した本は、ジョージ・ギルダー『グーグルが消える日』SBクリエイティブ

書評は、以下の文春オンラインで読めるので是非。

「古臭いビジネスモデルはもうすぐ消える?」 グーグルを滅ぼす新勢力とは何か | 文春オンライン

この本の邦題はかなり過激だが、原題は「Life after Google」だから、「消える」とまでは言ってない。

400ページ以上ある大部なので、この字数では中身を全部伝えられていないが、でもそうとう巧く要約したつもり。

半分くらいが、ビットコインとかイーサリアムなど暗号通貨とそれを可能とするブロックチェーンの説明に費やされている。それゆえ、『暗号通貨の経済学』講談社選書メチエを刊行したぼくに書評の依頼が来たのだ。

書評に書かなかった読みどころとして、ビットコインの発明者であるサトシ・ナカモトの正体について、噂される候補者や名乗り出た人物の真偽にわりとページ数をさいて論じていることがあげられる。ここだけでも買う価値が十分ある。

また、グーグルのビジネスモデルの真相もよくわかる。

原文が悪いのか、翻訳が悪いのかわからないが、少し読みづらいという欠点があるが、それを差し引いても読んでおいて損のない本だ。

 

グーグルが消える日 Life after Google

グーグルが消える日 Life after Google

 

 

 

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 

 

高木貞治の数学書がいまさら面白い

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 昨日、『天気の子』を観てきた。渋谷で夕方に観たんだけど、満員だった。客は若い子たちが大部分だという印象だった。

 『君の名は。』も大好きだったが、『天気の子』も同じくらい好きな作品だった。とにかく作画がすばらしい。これがアニメか、と思えるくらいの美しさだ。あと、今回の作品は、いろいろなアニメやSF映画へのオマージュというか、トリビュートというか、そういうシーンがたくさんあって楽しかった。RADの曲も相変わらず素晴らしい。ネタばれにならないよう、感想はこのくらいに留めておこう。

 さて、今回は高木貞治『初等整数論講義』共立出版を紹介する。これは昭和6年、つまり、1931年初版のふる~い本である。めちゃくちゃ古典なんだけど、いま、なんだかすごく新鮮な気分で読んでいる。

 高木貞治と言えば、『解析概論』岩波書店が有名だろう。年配の理系出身者たちは一度はトライしたのではないかと思う。さすがに今はあまり手にしないかもしれないが、ぼくらが大学生の頃は全員が持っていたように思う。

 高木貞治の本には、ある種の癖があり、合わない人には合わないだろう。合う人は大好きかもしれない。かなり厳密に理論展開するので、わかりにくいといえばわかりにくいし、読みにくいと言えば読みにくい。ぼくも、そんなには読みこんだことはなく、他の教科書をメインテキストにして、これは参考程度というか辞典替わりに使っていた記憶がある。

 高木貞治の著作についてぼくは、『解析概論』『代数学講義』『初等整数論講義』『代数的整数論』が4部作だと思っている。全部20代で買って持っている。いま、その中から、偶然、『初等整数論講義』を読んでいるのだ。

 なんで今頃読んでいるのかというと、このブログで何度も書いたように、素数についての本を準備しているからだ。とある最近の整数論の本で二次体の数論(ルート数の世界を使って素数の性質を分析する分野)を読んでて、ふと高木貞治はこれをどういう風に理論展開してたっけ、と気になったからだ。

 で、読んでみたら、『初等整数論講義』がなんだかとっても面白いのだ。若いころに読んだときは、全く面白いと思わなかったのに、なぜだか今は、わくわくしながら読んでいるから、めっちゃ不思議だ。

 何が面白いって、中学生で習う2次方程式とかルート数を題材にしながら、非常に興味深い性質の分析が展開されているのだ。「ルート数の連分数が循環する」とか、「どんなルート数が同じ判別式を持つか」とか、「連分数とペル方程式とのつながり」とか。しかも、それらがモジュラー変換という有名な変換で統一的に分析できるところがすごい。モジュラー変換というのは、行列式が±1になる整数成分の行列による変換のことで、ルート数に用いる場合は分数変換として使う。このモジュラー変換は、現代でも保型形式を理解する重要なアイテムともなっている。(詳しくは、

『楕円曲線と保型形式のおいしいところ』のおいしいところ - hiroyukikojima’s blog

のエントリーを参照のこと)。モジュラー変換って、こんなに古くから研究され、こんなにいろんなところに顔を出すのか、とめっちゃ驚き、感動した。

 実は、この『初等整数論講義』は思い出深い本だ。これを買ったのは、忘れもしない19歳のときだった。一浪のあと、なんとか東大に合格し、親戚から合格祝いでもらったお金で買った本だった。合格したら買おうと心に誓って、ある意味、願を掛けて、買わないでいた本だった。憧れの本だった。

 中学生のときフェルマーの大定理から数学の虜になったぼくは、当時には最大の攻略の武器と思われていた代数的整数論を勉強したいと思っていた。だから、この本を読みたかったのだ。でも、大学入学後も、数学科進学後も、そして大学卒業後も、まともに読まなかった。そして、不思議なことに、購入から40年以上もたった今、むさぼるように読んでいるのだ。人生とは異なもの。いろいろなことが起きる。遠くにあったものが、再びめぐりめぐってくる。

 ちなみに、『代数的整数論のほうは、半分ぐらいまでを相当真面目に読んだ。数学科在籍当時、3年生にはグループを作って自主的に輪読をする演習科目があった。担当の先生は最後に審査をするだけで、基本的に学生だけで勉強をするのだ。十冊程度の候補の本から選択するのだけど、その中の一冊だった。ぼくらは3人のグループで週一回集まってこの本を読んだ。非常に難しくて、読解に苦労した。

 最後の教員の審査は、普通は口頭試問なんだけど、我々はペーパーテストを課された。先生が言うには、2年ほど前にこの本を輪読した先輩たちが、本に赤線をいっぱい引いていながら、本を閉じてみると束なったページが非常にきれいで、手垢がついておらず、全く読んだ形跡がなかった。つまり、ぜんぜん輪読なんてしてなかったのだ。そういう事件が発覚したので、ペーパーテストをするようになった、と先生は仰った。全く迷惑な話だった。我々の本は、ちゃんと輪読していたので、手垢で汚れていたというのにだ。

 『代数的整数論は今読んでもさして面白くない気がしている。それならもっと現代的な数論の教科書を読んだほうがきっといいだろう。でも、『初等整数論講義』は話が別だ。なぜなら、高木貞治が、余裕の中で、一種のエンターティメントを込めながら書いているように思えるからだ。というか、そういうことに、やっと今頃になって気がついた次第なのだ。

 ちなみに、『代数的整数論は高木類体論の本で、要するに「ガロア理論の数論」だと言ってもいい。なので、この本を読むなら、先に拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社を読んでおくと良いだろう。この本が当時あって、せめてこれを読んでからチャレンジしていたら、高木『代数的整数論』をもうちょっと理解できたかもしれない。(タイムスリップして、当時のぼくに拙著を渡すか。笑)

 

 

 

面白さ満点の『零点問題集』

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 今回は、黒川信重『零点問題集 ゼータ入門』現代数学を紹介したい。

 黒川さんは、これまでたくさんの著作を発表しており、ほとんどすべてがゼータ関数に関するものだ。本書ももちろん、ゼータ関数についての本ではあるが、「問題集」である、という点が異色なのだ。しかも、問題集として相当に面白い

零点問題集 ゼータ入門

零点問題集 ゼータ入門

 

 

 本当に面白い問題集というのは、問題自体が興味深くわくわくし、自分では解けないにしても、解答を読みたくなるし、解答を読んでまた楽しくなるものだ。でもそういう楽しさ満点の問題集はごくわずかしかない。(面白い数学書はいくらでもあるが、問題集では、という意味だからね)。

 ぼくが持っている中で楽しさ満点の問題集を挙げるなら、次の二冊になる。

(1)ニューマン『数学問題ゼミナール』シュプリンガー・フェアラーク東京

(2)ピーター・フランクル&前原潤『やさしい幾何学問題ゼミナール』共立出版

(1)は、相当幅広いジャンルから問題がセレクトされている。難易度も、とても初等的なものから専門的なものにまで広範囲にわたる。「どのような実数の数列も必ず単調な部分列を含むことを証明せよ」のようなシンプルなものから、ラマヌジャンの発見した多重根号の珍妙な式の値を求めるものもある。圧巻は母関数の章で、母関数のこんなに初等的な使い方をこんなにたくさん提示している文献をぼくは知らない。

(2)は、離散数学の専門家二人による共著。こっちも相当面白い問題が満載だ。しかも、含意の深いものが多い。例えば「平面上の任意の5点A, B, X, Y, Zについての五角不等式

AB+XY+YZ+ZX≦AX+AY+AZ+BX+BY+BZ」を証明させる問題のあとに、「距離についての三角不等式だけを用いて五角不等式を証明することは不可能である」ことを証明させる。これは、答えを見ると簡単だが、モデル理論のいい導入例となってると言っていいものだ。この問題集を読むと、初等的な数学でも、十分に奥深く、哲学的に意義あるものがたくさんあるとわかる。

 さて、では、黒川信重『零点問題集 ゼータ入門』

これはゼータ関数にまつわる問題集である。しかし、そんなに高度な知識は前提としていない。ここでいう「零点」とは何か。冒頭にこう書いてある。

零点というと数学と結びつけて試験の嫌な思い出がよみがえる人が多いかもしれない。ところが、数学の世界では零点が重要であり、「零点を見るだけで良い」と宣言して差し支えないほどである。タイムトンネルが別の時空への抜け穴のように、零点は真理への秘密のトンネルなのであろう。

そう、零点とは関数の値がゼロとなる点のこと。黒川さんは零点に数学のすべてがあると見ているのだね。むかし、数学科の同人誌に、だれかが「ヒルベルトの零点定理」のことを「テストに出すとみんな零点をとってしまう定理」と書いていて、吹いたことを思い出した。

 黒川信重『零点問題集 ゼータ入門』には、たくさんの問題が掲載されているので、多くを紹介するわけにはいかない。ここでは、二つほどトピックスを抜き出すにとどめる。

 まず、面白さ満点なのは、第2話「ζ(-2)」の章だ。

ここでは、いろいろなゼータ関数を紹介し、その多くにおいて、s=-2におけるゼータの値がゼロになること、言い換えると、-2が零点であることを紹介している。

オイラーとリーマンが研究したリーマン・ゼータ関数とは、「自然数のs乗の逆数和」を関数として見るもの。s=-2のときは、「自然数のs乗の逆数和」=「平方数の総和」だから、普通の数学では発散する。しかし、解析接続というのを使って「自然数のs乗の逆数和」を全複素数に拡張する(意味をもたせる)ことができ、そうした場合、「平方数の総和」には別の意味が与えられる。その別の意味での計算において、値がゼロになるわけなのだ。

第2話では、この証明を5通りも与えている。どの証明も数学的に興味深く、うならされる。

さらに、リーマン・ゼータ関数を代数体(高次方程式の解を有理数に添加してつくる体)に拡張したデデキントゼータ関数に対して、どの代数体においてもs=-2が零点になることを証明している。

そればかりではない。ウィッテンが量子ゲージ理論に導入したウィッテンゼータ関数(コンパクト位相群上のゼータ関数)においても、特定の群について、s=-2が零点であることを紹介している。(これは黒川さんたちの結果らしい)。

 ほほう、不思議だなあ、美しいなあ、と感心していると、次の第3話でs=-2が零点とならないゼータ関数もたくさんあることが紹介されて、な~んだ、となる。笑

 もう一つ紹介したいのは、第9話「固有値と零点」の章だ。

ここでは、⊿_n(x)という多項式列が紹介されている。この多項式列は、漸化式

⊿_n(x)=x⊿_(n-1)(x)-⊿_(n-2)(x)

で定義されるものだから、高校生でも扱うことができる。(本書での定義は対称行列の固有多項式で行われているので、それは高校範囲外だけどね)。この多項式が、実に面白い性質を持っていることが紹介される。例えば、零点が2cos(kπ/n+1)(k=1, 2,・・・,n)となることとか、ゼータ関数のように関数等式が成り立つこととか、sinの積についての面白い公式

Πsin(kπ/2n)=√n/2^(n-1)

を導くとか、⊿_n(3)がフィボナッチ数になるとか、である。実に面白い。

この関数列を発展させて行った上で、黒川さんの次のような思い出話も付加されている。

この問題の背景については、

黒川信重「数学・思い出の1題<<ある宿題>>『大学への数学』2017年3月号, 34-35

に解説を行っている。もともとは、半世紀近く昔の『大学への数学』1970年2月号に出題された「宿題」が起源である。

これを読むと『大数』の影響力はすごいな、と改めて思う。読者から数々の数学者を生み出しているし、日本の受験数学のレベルを高め、また、日本の数学文化を創り上げている。このことは見逃したり無視したりしてはならない事実だと思う。ぼくも『大数』に連載を持ったことがあるので、誇らしくなる。

 最後に宣伝となるが、黒川さんの問題集のような水準ではないものの、数学の面白さ満点の本として、拙著『キュートな数学名作問題集』ちくまプリマ―新書を推薦しておきたい。

 

キュートな数学名作問題集 (ちくまプリマー新書)

キュートな数学名作問題集 (ちくまプリマー新書)

 

 

 

やさしい幾何学問題ゼミナール

やさしい幾何学問題ゼミナール

 

 

 

『大学への数学』9月号、10月号は是非読むべし

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 大学への数学』東京出版は、高校生向けの受験雑誌だが、単に受験技術を身に着けるだけの雑誌にとどまらない。そのことは、前回、

面白さ満点の『零点問題集』 - hiroyukikojima’s blog

にも書いた。今回は、それを受ける形で、先月に出た9月号と今月の10月号を推奨しようと思う。

 

大学への数学 2019年 10 月号 [雑誌]

大学への数学 2019年 10 月号 [雑誌]

 

 

 9月号には、親友の(大学で同期だった)数学者・松木謙二さん(パデュー大学)が「正四面体を最短に切り開く」という記事を寄稿している。扱っている問題は、

紙でできた正四面体をハサミで切り開いて展開図にするとき、ハサミを入れる距離が最も短くなるには、どのように切れ目を入れればいいか?

というものだ。な~んだ簡単じゃないか、と思った人はたぶん罠にはまっている。解答は予想外な切り口なのだよ。

この問題は、単なるパズルのように見えるだろう。ところがどっこい、解答を読んでみると、離散数学と初等幾何を組み合わせた非常に優れた問題だということがわかる。中学や高校で数学を教えている先生方は、実習を組み合わせた題材として使ってみるといいかもしれない。但し、数学的な証明はけっこう難しいので、生徒たちに「切れ目の短かさを競わせる」みたいな形でやったらいい。

松木さんから面白いエピソードを聞いた。松木さんは、この原稿を執筆している最中に、高校生や一般数学愛好家が参加する公開講座でこの問題をプレゼンしたとのこと。その公開講座の主催者の中に、あの有名なフィールズ賞受賞者の森重文先生がいらっしゃった。森先生はこの問題をたいそう興味深く聞いたらしく、講演後の松木さんに「もっと巧い解き方があるよ」、と教えてくれたというのだ。さすが大数学者、目の付け所が違う。松木さんは「悔しいけど、森先生の方法に証明を書き換えた」と言っていた(笑)。

ちなみに松木さんはここ数年、数学の有名な未解決問題「正標数特異点解消」に取り組んでいる(標数ゼロの場合は広中平祐先生が解いてフィールズ賞をとった)。彼がこの問題を解決したら、友人として鼻が高いので、是非、落城させてほしいと願っている。

 次に10月号の方を紹介しよう。

10月号には、親しい数学者・黒川信重さん(ぼくは二冊、共著をしている)が「反転公式とゼータ関数」という記事を寄稿している。これまたすばらしい記事なのだ。

この記事では黒川さんは、受験問題(立正大が2017年出題)から話をスタートしている。それは「オイラー関数」と呼ばれる数論的関数φ(n)に関する問題だ。(数論的関数とは、正の整数を定義域とする関数のこと)。オイラー関数φ(n)とは、

φ(n)=(1以上n-1以下の整数でnと互いに素な整数の個数)

と定義されるものだ。黒川さんは、このオイラー関数を題材に、受験問題から最先端の数学までを一気にたった4ページで解説しているのである。

まず驚くのは、その受験問題のテーマでもある、 

(nの約数mに対するφ(m)の総和)=n 

 という公式を鮮やかに証明していることだ。ぼくはこの公式は(証明も含め)知っていたが、こんなに鮮やか、かつ、わかりやすい証明があるとは知らなかった。これだけでもう儲けもの。

 でもここからが黒川さんの本領だ。

黒川さんは、数論的関数f(n)があるとき、それを使ってゼータ関数を作れることを紹介する。正式にはL関数と呼ばれるものだ。そして、数論的関数f(n)が乗法的であるとき、(乗法的とは、互いに素なm, nに対してf(mn)=f(m)f(n)となること)、そのゼータ関数オイラー積を持つことを示す。ここでオイラー積とは素数たちの式での因数分解のことだ。上のほうで出てきたオイラー関数φは乗法的なのでφからゼータ関数を作ることができる。黒川さんは、それについて、

(φから作るゼータ関数)=ζ(s-1)/ζ(s)

となることを導いている。この導出も数学が得意な高校生なら理解できるはずだ。

面白いのはここからで、黒川さんは、なんとこのφから作るゼータ関数を用いて、「メビウス反転公式」という有名な公式を証明するのだ。 ぼくはこんなことが可能だと初めて知って、ぶったまげた。メビウス反転公式が、整数論で大活躍する公式であることは知っていたが、ゼータ関数と表裏の関係にあることが実感を持って伝わってきた。これだけでもう1344円(増税後)を払う価値がある(笑)。

そして、エンディングは黒川さんの十八番、「絶対ゼータ関数」の登場だ。

絶対ゼータ関数とは、難攻不落の未解決問題「リーマン予想」を解決すべく黒川さんが編み出した「21世紀のゼータ関数」だ。それをこの「φから作るゼータ関数」を使って紹介しているのである。まあ、ここの部分はさすがにかっとんでいて、高校生には難しいと思うけど、なにより「大きな夢がある」。数学に限らず、何に取り組むにしても、「夢がある」ということが大事なのだ。

 たった4ページで、たったの1344円で、こんな夢のある記事が読めるんだから買わない手はない。

 ちなみに、黒川さんが数学の道に進むきっかけになったのは『大学への数学』を読んだことだと、ある記事で書いていた。かつて『大学への数学』に数学者の上野健爾さんが寄稿し、そこで「ラマヌジャン予想」と「リーマン予想」を紹介した。高校生だった黒川さんはその記事を読んで、この二つの未解決問題に「大きな夢を持った」。それで数学者になったのだという。ラマヌジャン予想はまもなく解決されてしまったが、リーマン予想はいまだ未解決だ。黒川さんは今でもリーマン予想に勇猛果敢に挑んでいる。そして、黒川さん自身も、高校生たちに夢を与えるべく、今回の「絶対ゼータ関数」の記事を書いたのだと思う。実際、最後に次のように綴っている。

このような簡明な絶対ゼータ関数からゼータ関数全体を捉えるのが21世紀のゼータ関数論なのであり、新しい研究者を待っている

ぼく自身も、高校生の頃、『大学への数学』でp進数(素数で作る新奇な数空間)の記事を読んでわくわくした経験を持っている。最初にも書いたが、『大学への数学』は単なる受験雑誌にとどまらず、日本の数学文化を支える大事なインフラなのだ。

 ちなみに、絶対ゼータ関数については、黒川さんがたくさん本を書いているけど、ぼくと黒川さんの共著『21世紀の新しい数学技術評論社を推奨しておこう。

 

 

 

 

来週、統計学の新書が刊行されます!

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この10月上旬には、ぼくの新著が二冊、同時に刊行される。一冊は統計学の新書、もう一冊はミクロ経済学の教科書だ。いろいろな事情があって、刊行時期が重なってしまった。

というわけなので、今回は、先に刊行される統計学の新書のほうを紹介し、次回に、ミクロ経済学の教科書のほうをエントリーしようと思う。

統計学の新書とは、『難しいことはわかりませんが、統計学について教えてください!』SB新書である。

 

 この本について、ぼくにとって新しい点が二つある。第一は、ライターさんとのコラボレーションであること、第二はぼくが今まで書いてなかった統計学のアイテムを解説していることだ。

第一の点についてもう少し詳しく言うと、本書は、ぼくがレクチャーした内容をライターさんがテープ起こしをして、それを土台に物語を作り、文章を書いてくださったものである。もちろん、初稿ができたあと、ぼくが全文をチェックし、必要な部分は加筆・修正をした。部分的には全面的に書き換えてしまったところもあるくらいだ。

 ぼくがライターさんに文章を書てもらうのは初めての経験だ。これまで漫画家さんとのコラボやイラストレーターさんとのコラボはあったが、ライターさんに文章を委ねる、ということはしなかった。それは、ぼくとしては、サイエンスライターであるにしても、「文筆家」というスタンスにこだわりがあったからだ。今回、それを返上してライターさんに文章を任せたのは、一つには他の書籍企画を抱えていて、割り込みを許すわけにはいかなかったのもあるにはあるが、もう一つに、ぼくのレクチャーをプロのライターさんが形にしたらどんなふうになるか興味があったからだった。実験的にやってみようと思ったのだ。

 実際、今回の新書はぼくにとってとても新鮮なものとなった。ぼくのレクチャーから数学や統計学には素人のライターさんが何を感じ、それをどう物語るかを見ることができたからだ。さすがこれまでいくつものライティングをしてきただけあって、読みやすく、わかりやすく、面白い文章を展開してくれた。自分のアイデアがライターさんの感性を通してこのような豊かな表情を持つのか、と新鮮な気分になった。付けくわえるなら、ぼくの文章はテクニカルな内容を書いていても、独特の癖があるのだな、と再認識することになったのも収穫だった。このライターさんのような職業的な文章はぼくにはとても書けないし、やっぱりぼくはぼくの文体にこだわり続けたいと思う。

 第二点、つまり、統計学の内容について、もう少し詳しく説明しよう。

ぼくはこれまで、統計学の教科書を二冊刊行している。『完全独習 統計学入門』『完全独習 ベイズ統計学入門』(いずれもダイヤモンド社)だ。これらは読者の評価を得ることができ、前者は12万部のベストセラーに、後者もすでに5刷2万部を重ねている。前者は統計的推定としてカイ2乗分布、t分布を用いた推定方法を基本から解説し、後者はベイズ推定の原理を基本から解説している。

 この二冊で解説していない統計学のアイテムとして、多変量の推定がある。具体的には、相関分析回帰分析だ。相関分析とは、二つの量がどういう関係性にあるかを、正の相関、負の相関、無相関として分類する分析法のこと。回帰分析とは、ある量(説明変数)が他の量(被説明変数)にどのくらいのインパクトを持つかを数値で表す分析法のこと。今回の新書では、この二つのアイテムを、通常の推定(正規分布やt分布による区間推定)に加えて投入したのが真骨頂である。

とりわけ、回帰分析では、どの教科書でも必ず導入部で解説する「最小2乗法」を避けたところが新機軸である。正規方程式を経由せずに別の方向から回帰係数の公式を与えたのだ(もちろん、数学的な説明は省略したから、ごまかしと言えばそうなんだけどね)。この工夫によって、回帰分析を新書の一章の中になんとかかんとか説明を押し込むができたのである。

どういう説明かは読んでのお楽しみ(笑)。

 タイトルは例のごとく編集者さんが付けたので、大げさだし羊頭狗肉かもしれない。でも、新書で、縦書きで、物語で、という体裁の統計学の本としては、画期的な出来なんじゃないかな、と思う。是非、書店で手に取ってみて欲しい。

 

完全独習 統計学入門

完全独習 統計学入門

 

 

 

完全独習 ベイズ統計学入門

完全独習 ベイズ統計学入門

 

 

ミクロ経済学の教科書を書きました!

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前回のエントリー

来週、統計学の新書が刊行されます! - hiroyukikojima’s blog

で予告した通り、ミクロ経済学の教科書が今週末に刊行されるので、その宣伝をしたい。タイトルは、『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社、である。いやあ、これも編集者が付けたタイトルだが、あざとい。まことにあざとい(笑)。

 この教科書のコンセプトは、「社会人になって役立たないミクロ経済学の知識は、潔く切り捨てた」ということだ。

ぼくは、30代後半に経済学の勉強のために大学院・経済学研究科に入学した。ぼくは数学科の出身だから、経済学ががんがん高度な数学を使っているのは、めっちゃ楽しかった。「数学って、こんなふうにも使えるんだなあ」と感慨深かった。

でも、大学でミクロ経済学を教えるようになって、その感覚は正反対になった。「なんで、これから社会に出る大学生たちが、こんなこむずかしい数学で表現された役に立たない経済学を勉強しなくちゃいけないんだろう」とかわいそうになった。ぼくにとって、教科書に書かれているミクロ経済学が役に立ったのは、博士課程への進学資格を得ることと、論文を書くときだけだ。それこそ、日常生活にも、ビジネスにも、納税にも、役に立ったためしがない。

そこで、「役に立たない部分を削除した教科書」を書こう、という企画を持った。本書はそういう意図をもって書かれた教科書だ。だから、定番の教科書とは、少なくない点で内容や構成が異なっている。それは、序文で熱く語っているので、今回は序文をそのままさらすことにする。

  『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』の序文

ビジネスにマジで役立つミクロ経済学を!

 世の中にミクロ経済学の教科書は掃いて捨てるほどあります。それらと比べて本書のウリがどこにあるかについて説明しましょう。

①ビジネスにマジで役立つ題材だけにしぼっている!

あなたが経済学部卒の社会人か経済学部の学生であるなら、次の質問に答えてみてください。「学部で勉強したミクロ経済学が仕事で役立ったことがありますか?」、「学部で学んでいるミクロ経済学が将来、仕事に活かせる予感がしますか?」。どちらの答えもきっと、NO!でしょう。

悲しいことにも、これらの解答は正解なのです。経済学者であるぼくもこれらの解答に激しく同意します。世の中のミクロ経済学の定番教科書が役立つのは、経済学の大学院に進学するごくごくわずかな人にだけで、それ以外の大量の社会人・学生さんには全くの無用の長物にすぎないと思います。

なぜこんな悲劇が起きているかはここではあえて語りません。代わりに、本書はそういう悲しい現実を打ち破る試みとして書いた、ということを胸を張って述べます。

本書は、ミクロ経済学の定番教科書から、ビジネスに不要な部分を削除しました。そして、誰もがビジネスに携わっていく中で活き活き使える「ものの見方・考え方」だけを採用することにしました。以下、どういう点かを説明しましょう。

②難解な無差別曲線・効用関数・微分はバッサバッサと削除した!

ミクロ経済学の定番教科書では、「効用関数を用いた無差別曲線」をたっぷり解説します。ぼくはこれが学習者を落ちこぼす元凶だと思っています。これが問題なのは、分かりにくいだけではなく何の役にも立たないことです。社会で活かせる場面は皆無と言っていいです。

もう一つの元凶は「微分」です。経済学部の学生たちは「文系だったのに経済学部に来たら微分をやらされた」と頭を抱えることになります。ところで、経済の理解に微分って不可欠でしょうか? ぼくは全くそう思いません。微分は経済現象を表現するための一つの道具にすぎず、不可欠なものでも本質でもありません。消費者の心の中の嗜好も、企業の生産計画も微分なんてできません。だから本書は、これらの元凶を思い切って削除しました。そうすることで逆に、いろいろなことをわかりやすく解説できるようになります(例えば、価格と量の軸を逆にするなど)。また、扱うテーマを広げることもできます(例えば、選挙制度など)。だから、難しい数学に苦しむことなく、「経済学の広さと有用さ」を印象的に納得してもらえるようになったと自負しています。

③経済学の根本的な疑問に答える!

 本書のもう一つのウリは、経済学を学ぶ人が抱くであろう根本的な疑問に答えている、という点です。多くの学習者は、「需要曲線って、どこに存在する?」、「需要曲線ってどうやったら描けるの?」、「需要曲線と供給曲線の交点で取引が行われるのは本当?」といった素朴な疑問を持つでしょう。しかし、たいていの教科書はそういう疑問に答えようとしません。その理由は、経済学者という人種がそういう根本的な問いを通らずに来たからに他なりません。でもぼく自身は、そういう素朴な疑問に頭を悩ませた経験を持っています。本書ではできるだけそういう疑問に答えようと試みました。

 ④解いて楽しいオタクっぽい練習問題を導入!

何の教科書であっても、最も大事なことは練習問題を解くことです。しかし、定番教科書の練習問題は無味乾燥で解く気力が起きないものがほとんどです。本書ではそれを打破すべく、練習問題の題材をできるだけ多くの人が楽しめるものに工夫しました。それこそ、「アイドル市場」、「イケメン俳優さんとのデート」、「アニメ・キャラのフィギュア」などのオタクっぽい題材です。これならきっと、読者も興味を持ち、解く気になって、楽しんで経済学を身に着けることができるに違いありません
 ではでは、ミクロ経済学の楽しい勉強をいざ開始することとしましょう!

実はぼくはだいぶ昔にも、ミクロ経済学の教科書を書いたことがある。MBAミクロ経済学日経BPだ。それこそ、経済学者の駆け出しの頃に書いた本なので、ごりごりにコアなミクロ経済学の内容になっていて、野心的を超えて暴走ぎみの教科書だった。しかも、これでも微分を使わず、最適化の方法は受験数学テクニックを使いまくった。そうすれば、賢い、中学生・文系高校生・文系大学生・社会人にも理解できると考えたからだ。しかし、その考えがバカだった!受験テクニックのほうが、多くの人にとってずっと縁遠いものだったからだ(笑)。長く受験塾の先生をしていたので、その辺の感覚がズレてしまっていたのだ。それで、この教科書は、信じられないほど売れなかった!

こんなことなら、素直に微分を使って書けば良かった、と後悔した

 でも、いいこともあった。この教科書をほめてくださる一人の経済学者に出会うことができたからだ。その人とは今でも、経済学について、いろいろ議論させていただいている。いつか共著の論文を書きましょう、という関係になっている。怪我の功名ともいえる。

 今回の『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社は、MBAミクロ経済学日経BPとは正反対の教科書になっている。易しくて・わかりやすくて・面白くて・役に立つ、そういう内容になっている。でも、MBAミクロ経済学日経BPのようなコアな教科書も、いつかリベンジで書いてみたいものだ(売れないと思うけど。笑)。

今回のミクロ経済学の教科書はどこが「斬新」なのか!

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やっと、書店に新著『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社が並んだ。前回のエントリー、

ミクロ経済学の教科書を書きました! - hiroyukikojima’s blog

では、序文をさらしたので、今回はこの教科書に導入した工夫と込めた思いについてエントリーしようと思う。

まず、項目の工夫だ。

 前回にも書いた通り、ぼくは従来のミクロ経済学の教科書の教え方を良いと思っていない。ミクロ経済学の「教義」みたいなものをミクロ経済学の「信者」が語っているにすぎないからだ。信心のある人にはいいけど、そうじゃない人にはちんぷんかんぷんだし、嫌悪感が出ると思う。学習者は心の中に「なんでそれが重要なの?」という困惑を浮かべるものの、「きっと先生が教えてるんだから、大事なことなんだろう」と自分を説得して、「暗記」に走っているのに違いない。かわいそうに。

 ぼくは年を取ってからミクロ経済学を学んだせいか、従来の教科書の項目にはピンとこないものが多い。「教義」を覚えて「徳」を積んで「階級」を上げていこう、という人(大学院生とか学者予備軍)にはいいと思うけど、社会で生きていく基礎的教養とか実践的知識としては無駄・無意味のように思える。

 でも、全部が全部、無駄・無意味ということではない。かなり有効な知識もあるのだ。だから、それだけを取り上げて、なんとか上手に構成したいと思った。そういう考えから作ったのが、次の目次だ。

第1講 需要曲線と供給曲線
第2講 野菜の需要曲線と価格弾力性
第3講 オークションはどんな仕組みになっているか
第4講 売った人の得、買った人の得~余剰の考え方
第5講 人は心の中に「好み」を備えている
第6講 直接交渉をシミュレートする
第7講 手番のあるゲームの戦略
第8講 戦略としての価格付け
第9講 企業はなぜ倒産するまで値下げ競争するのか
第10講 ナッシュ均衡はいろいろな事例を説明できる

 第1講2講は、「需要曲線と供給曲線の交点が均衡」という定番の内容だけど、2講で「ナスの需要曲線」を実際のデータから描く方法を解説してるのは、他と一線を画す(林敏彦先生の教科書から学んだ)。その上で、こういうことは他のほとんどの商品では不可能な理由も説明してる。これは、すごく大事なことなのに、たいていの教科書には書いてない。あとは、いろいろな財・サービスが高かったり安かったりする理由をもちろん需要・供給から説明するんだけど、その際に「価格弾力性一定」の曲線を利用してる。こうすることで、限界原理(要するに微分)を避けたのだ。

次に第3講・4講では、「オークション」を題材に商取引のシミュレートをしてる。オークションは、「需要曲線と供給曲線が浮かびあがる」「均衡を強制的に作り出す」という二つの意味で均衡理論の実践だ(もちろん、実践の歴史は理論よりずっと古いけど)。だから、抽象的な均衡理論よりも直接的に学生さんのイメージに訴えかけられると思う。とりわけ、「消費者余剰」「生産者余剰」を実感するのに適しており、それらの図解もわかりやすく与えることができるこの2講が本書の最もウリだと自慢したい。

第5講・6講は、普通の教科書では消費者理論にあたるところだけど、無差別曲線とか効用関数とかを潔くやめたところが工夫だ。そんなん、大学院に行く学生にしか何の意味ももたない、ただの「教義」、ただの「経典」だと思う。それで代わりに「選好」を導入した。「選好」は一般には中級の教科書に出てくるアイテムだけど、ぼくは「選好」のほうが効用関数よりずっとわかりやすいと思う。その上、「選好」を基礎にするなら、最適化の考え方も簡単に説明できるし、何より、消費者理論以外のミクロ経済学的なアプローチ(例えば、投票とか異時点間代替とか)などにも準備に時間をかけずに進むことができる。この2講も、この教科書の工夫をこらしたところなのだ。

さて、残るは企業理論なんだけど、ここは悩みに悩んだ末、ゲーム理論にすべてを委ねることにした。企業理論は、通常の教科書では最もつまらないところだ。短期と長期がどうしただとか、平均費用と限界費用がどうしただとか退屈このうえない。そこで、もう、こういう退屈な内容はざっぱりやめて、企業の行動をすべてバトルと捉え、ゲーム理論に任せることにした。そのほうが、リアルでビビッドな形で企業の振舞いを学習者に伝えられると思ったからだ。まあ、ここの部分はいろいろなゲーム理論の書籍からぱくった(もとい、引用した)ので、そんなに斬新とは言えないんだけど(笑い)。

 もうひとつ自慢したいのは、練習問題だ。これは良い問題、というわけではなく、学習者の趣味にへつらうようなものである。興味を持ってもらうために、できるだけ卑近な例、いまふうな話題を問題設定とした。例えば、次のようなアイドル方面のもの。

[第2講の練習問題]

グラフは、ある女子アイドルユニット所属のアイドルの需要曲線と供給曲線である。横軸のpは、企業(芸能事務所)に対しては、アイドル1人が稼ぎ出す(平均の)売上げ(CD・ライブ・握手会など)であり、消費者(アイドルファン)に対しては、アイドル1人のために使う総金額である。縦軸のqは、企業(芸能事務所)に対しては、デビューさせるアイドルの人数であり、消費者(アイドルファン)に対しては、推しメンとして支えるアイドルの総人数である。

(以下、略)

あるいは、アニオタ方面の問題だとこういうの。

[第6講の練習問題]

Aさんは最初に、初音ミクの自作フィギャーを10体保有している。Bさんは最初に、自作ガンプラを6体保有している。(x, y)という座標はxがフィギャーの体数、yがガンプラの体数を表すものとする。

Aさんの選好順位は次にようになっている→(略)

Bさんの選好順位は次にようになっている→(略)

この2人が、フリーマーケットで出会い、物々交換の交渉をした状況を考えて、以下のカッコを適切に埋めよ。

(以下、略)

こうしてさらしてみると、自分のバカっぷりが露見して恥ずかしいが、この程度のことでも学生が興味を持って食いついてくれるのは、確認済みである。ぼくの思いは、とにかく、無味乾燥なミクロ経済学の講義をわかりやすく、楽しいものにしたい、ということなのだ。

 


宇沢先生のシンポジウムに登壇します!

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今週末、10月26日土曜日に、

宇沢弘文没後5年追悼シンポジウム All ABOUT UZAWA

が開催される。ぼくも一つのセッションに登壇する予定なので、大々的に宣伝したい。

詳しくは、以下で。

allaboutuzawa2019.peatix.com

ぼくは、プログラム2宇沢が考えた経済学とはなにか」、というセッションに参加する。討論するのは、『資本主義と闘った男』の著者である佐々木実さんと阪大准教授の安田洋祐さんだ。佐々木さんについては、

『フランダースの犬』と社会的共通資本の理論 - hiroyukikojima’s blog

で少し紹介している。安田さんについては、ずいぶん昔に、

イケメンたちが書いたイケメンな経済数学 - hiroyukikojima’s blog

で、イケメン経済学者として(笑)、紹介している。

どんな討論になるか、今からめっちゃ楽しみだ。是非、皆さん、ご来場くだされ。

 これだけで終わるのは、せっかく来訪して読んでくれている読者がいるのにもったいないということで、おまけとして、拙著『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社について、追い打ちの販促をしておこう(いらない、とか言わないの)。

 

世界一わかりやすいミクロ経済学入門 (KS専門書)

世界一わかりやすいミクロ経済学入門 (KS専門書)

 

 

この教科書が、これまでの教科書とはかなり違うアプローチをしていることは、前回、

今回のミクロ経済学の教科書はどこが「斬新」なのか! - hiroyukikojima’s blog

でエントリーした。今回は、この中から特別な講を取り上げて売り込もう。それは、

第5講 人は心の中に「好み」を備えている
第6講 直接交渉をシミュレートする

の二つの講義だ。ここでは、普通の教科書では「効用関数」と「無差別曲線」を使って解説していることを、「選好」を使って解説している。

選好というのは、「AさんはXのほうをYより好む」ということを記述するもの。記号では、

X≻A Y

のように書く。≻は不等号のようだが、不等号とは違う。不等号「>」よりも丸みがある記号だ。「同じくらい好きかより好き」の「≽」と、「等しいかより大きい」の「≥」とを比べればより見やすいかもしれない。

選好「≻」は不等号「>」とほとんど似た性質を持ち、似た操作性を持っているので、不等号でイメージを作ればいいから難しくはない。実際、どちらも集合論における「順序集合」の「順序」にあたるもので、似た性質と操作性を持っているのは当然なのである。

「選好」を持ちだすのが良いのは、次のようないろいろな応用が可能だからだ。

(1)  リンゴ≻A ミカン

(2)  (4 , 3)≻A (5 , 1)  (ここで(x , y)は国産ウイスキーx杯と輸入ウイスキーy杯の消費を表す)

(3)  乃木坂46A  欅坂46

(4)  福祉社会≻A 競争社会

(1)と(2)は消費選択の分析に使えるし、(3)はアイドル選択の分析(笑)に使えるし、(4)は社会選択の分析に使える。もちろん、「効用関数」と「無差別曲線」を使ってもがんばれば同じことができるだろうが、相当な遠回りになることは否めないと思う。

ぼくの教科書では、第5講で「選好記号」を導入して、まず、アイドルのファン投票を例に「投票のパラドクス」を説明する。そして、「選好」だけを使って、いわゆる2財モデルと呼ばれるものの中の「完全代替財」と「完全補完財」を定義する((2)を使う)。その上で、予算制約を満たす消費可能集合の中からの最適選択を(離散的にだけど)説明する。このルートだと「効用関数」「無差別曲線」よりずっと解説が短くて済むのだ。練習問題では、「オストロゴルスキーのパラドクス」(坂井豊貴さんの本から引用した)という政策選択の問題((4)にあたる)を扱っている。こう並べると難しく聞こえるかもしれないが、どっこいぜんぜん難しくない。従来の教科書より世界一わかりやすい(笑)。

第6講では、「選好」を土台に物々交換のモデルを説明している。普通はエッジワース・ボックスという(専門家はめっちゃ好きだが)初学者には難解なツールを使うものを、かなりわかりやすくスピーディに(離散的にだけど)説明できている。その上で、「異時点間の消費選択のモデル」もおおざっぱに紹介する。

 こんなふうに、従来の教科書とはかなり違うアプローチをしているので、是非、ご高覧いただきたい。

 この教科書を書いてて、「選好理論(preference theory)」というのがどこから来たのか知りたくなって、いくつか文献を読んでみた。

冒頭にシンポジウムを告知した宇沢弘文先生の本によれば、19世紀のアービング・フィッシャーとパレートが先駆者と書いてある。そのあと、20世紀にサミュエルソンが顕示選好という概念(観測された消費から選好を導出する)を持ちだし、完成に近づき、それをハウタッカーが完成させたように書いてあった。

英語版のウィキペディアによると、フリッシュという経済学者が1926年頃に最初のモデルを開発した。しかし、フォーマルなモデルを作ったのは、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの『ゲームの理論と経済行動』だということだ。彼らはこの本で、「期待効用」というのを公理化している。その影響を受けて、マルシャック、ハウタッカー、アローらが選好理論を利用するようになったそうだ。そして、現在の形式を完成したのがド・ブリューだが、(なんということか)数学集団ブルバキの影響を受けて、消費者理論を完全構築したとのことだ。

 手前みそになるが、ぼくの考えでは、21世紀のミクロ経済学教育は、「選好」を下敷きに構成したほうがいいように思うのだな。

 もういちどダメ推しするが、シンポジウムに是非ともお越しを!!

 

 

 

 

経済学で最も大事だと思うこと

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前回のエントリー、

宇沢先生のシンポジウムに登壇します! - hiroyukikojima’s blog

で、宇沢先生の追悼イベントAll About Uzawaに登壇することを告知した。そこで、学会だけでなくテレビでも大活躍の阪大の経済学者・安田洋祐さんと(および作家の佐々木さんと)鼎談すると言ったのだけど、その鼎談が思いのほか面白かった。というか、すごく刺激的だった。

そのこともあったので、このところ宣伝しまくっている拙著『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社に込めた思いと絡めて、安田さんとの議論について、ここで紹介してみたいと思う。

世界一わかりやすいミクロ経済学入門 (KS専門書)

世界一わかりやすいミクロ経済学入門 (KS専門書)

 

 まず、ミクロ経済学で大事なのは、(マクロ経済学でもほぼ同じだが)、次の三つだ。

A.主体的均衡→経済主体が与えられた環境と情報の中で最適な選択をする

B.市場均衡→需要と供給がつりあう

C.主体的均衡と市場均衡のズレ

Cを少し説明すると、例えば、「ある主体がそれを飲むことに150円の価値があると評価しているジュースを100円で買うことができたら、50円の得(余剰)が発生している」、などだ。

ぼくは、以上のA、B、Cの中で初学者や専門外の学習者にとって最も重要なのは、(あえて言えば、唯一重要なのは)、Cだと思っている。つまり、AもBもどうでもいい。

 「微分」が役立つのはAでだ。最適化に微分は不可欠だから。そういうことから、ミクロ経済学の講義で微分を教え込まれることになる。迷惑なことにも、だ。

 微分が不可欠なのは物理学もそうだが、その意味合いはぜんぜん違う。なぜなら、「微分=力学」であり、もっというなら、物理学は力学を表現するために微分を発明しただ(ニュートンの偉業だね)。物質現象では微分が本性だということなのだ。微分は物理学が発祥の地と言っていい。

だけど、経済学は(わざと口汚く言えば)物理学に追い付きたくて微分を輸入して、物理学を模倣しようとしたにすぎない。「限界革命(Marginal Revolution)」とかカッコ良く言っているが、なんのことはない、物理学へのコンプレックスの裏返しでしかないと思う。(もちろん、ミクロ経済学マクロ経済学論文では、最適化を無視したらダメなのは当然だ。主体が効率的な行動をしてなくていいなら、どんな結論も導けるから)。

以上のように、ぼくが思うに、微分は物理学では本質だけど、経済学にとってはそうではない。そういうふうな思想と思惑があって、ぼくの教科書『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社では微分を完全除外することにしたのだ。

次に、Bの市場均衡は、Aに比べれば有意義、ということはそう思う。でも、Bは単に「帳尻があう」ということを言ってるだけで、それだけではパワーがあるとはいえない。大事なのは、Cの「主体的均衡と市場均衡のズレ」なのだ。Cを言い換えると「価値と価格のズレ」となる。すなわち、

価値→個人の内面にあるもの

価格→集団で決まるもの

ということだ。そして、この「個人と集団との断絶」を理解することこそが社会というものを理解することであり、経済学の本領であり、初学者にも専門外の学習者にも最も大事なことだと思うのだ。ぼくの教科書は、この点に徹底してフォーカスしているのだと強く主張したいわけなのだ。

  ではここで、冒頭に書いたAll About Uzawaでの安田さんとの議論のことに話を移そう。

この鼎談では、もちろん、宇沢弘文先生の理論と人となりについて語りあった。安田さんは、新古典派のときの論文(ワルラス均衡とブラウワー不動点定理の同値性定理)と「社会的共通資本の理論」についての論文とをひとつずつ解説した。以下、社会的共通資本の理論についてのほうだけ扱うことにする(前者も面白いんだけど)。

 社会的共通資本の理論とは、市民の生活を支える自然資本・社会資本・制度資本のコントロールを通じて、より良い社会を実現する、という思想だ。この考え方に全く重要性を見ない経済学者が多いが、ぼくは非常に貴重な理論だと思っている。その手ごたえとして、ぼくが鼎談で挙げたのは次のようなことだ。

 物理学では、熱現象の理論の構築に紆余曲折があった。熱現象とは分子の運動から生じるもので、分子一個一個はニュートンの力学方程式に従っている。だから、初期には、ニュートンの力学方程式を集団に適用すれば熱現象が説明できる、と考えられた。しかし、それが大きな混乱を呼び起こした。力学方程式には時間の方向性がないが、熱現象には時間の方向性があるからだ。つまり、分子の力学的特性を足し算しても熱現象は説明できず、「熱現象は集団そのものの特性」ということだとわかった。言い換えると、「集団の特性=統計的法則」ということである。

 これと類似のことが、経済学にもあるとぼくは感じている。

新古典派の理論(ミクロ経済学マクロ経済学)は、主体の個別な性質を足し算したものだ。しかし、それで社会という集団に起こる現象を説明できないように思う。説明できないから制御もできない。

 とは言っても、「経済現象における個の合計と集団とのギャップ」は、物理学におけるそれとは違うだろう。経済学の中で、統計力学を経済現象に応用しようとするアプローチも一部で行われているが、あまり筋がいいとは思えない。統計力学は物質の集団に関する統計法則だからだ。

 宇沢先生の社会的共通資本の理論は、社会を「個の合計」としてではなく「集団」そのものとしてアプローチしようとする試みだと思っている。だから、新古典派がぶつかっている壁を打ち破れる可能性を秘めているように思える。

 もちろん、新古典派で飯を食っている「信者たち」は、こういう考えを妄想と揶揄することだろう。

 驚いたことに、安田さんはぼくのこの考え方に一定の理解を示してくれた。安田さんの感覚では、社会を「個の合計」ではなく「集団」そのものとしてアプローチするのがゲーム理論だ、ということだ。その証拠に、「囚人のジレンマ」に代表されるように、個人の合理性が集団の不合理性を生むことが自然に起きる、という。

なるほど。

さすが、安田さん、筋がいい。

 たしかに、ゲーム理論こそ、「個」と「集団」の断絶、主体的均衡と市場均衡のズレを表現できる現状唯一の理論であろう。そういう意味では、社会的共通資本の理論に最も有用なのは現状ではゲーム理論かもしれない。

それでもぼくは、先ほどの自分の妄想にもう少し執着していたいのだが。

 さて、回り道したが、もういちど我が教科書『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社の特性に戻ろう。この教科書では、Aの点は無視した。つまり、微分も、その代替物である無差別曲線も、削除している。その上で徹底したのは、「個」と「社会」とのズレがどこにあるか、というCの観点だ。そして、企業の理論では、限界費用とかのAの観点は無視して、ゲーム理論だけに道具を集中している。

この教科書は、ただの簡素化ではなく、ぼくが思う「経済学の本性」を思想として塗りこめた本なのだ。

 

 

宇沢弘文の数学

宇沢弘文の数学

 

 

 

 

 

 

 

二つの雑誌に寄稿しています!

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現在、書店に並んでいる二つの雑誌に寄稿しているので、宣伝しようと思う。

ひとつは、現代思想12月号 巨大数の世界』で、もうひとつは『現代化学12月号』だ。

現代思想 2019年12月号 特集=巨大数の世界 ―アルキメデスからグーゴロジーまで―

現代思想 2019年12月号 特集=巨大数の世界 ―アルキメデスからグーゴロジーまで―

 

 

 

現代化学 2019年 12 月号 [雑誌]

現代化学 2019年 12 月号 [雑誌]

 

 現代思想12月号 巨大数の世界』では、ぼくは「巨大な素数は世界をどう変えるか」という論考を寄せている。

この特集は、タイトル通り、「巨大数」を紹介するものだ。冒頭の討論は、鈴木真治さんという数学史家のかたとフィッシュさんという(たぶんハンドルネームの)「巨大数論」研究者の方の「有限と無限のせめぎあう場所」というものだ。

ぼくは、このフィッシュさんという方を知らなかったが、ネット通の息子に聞いたら「ネットですごく有名な人だよ」と教えてくれた。なんでも、「グラハム数」という組み合わせ数学(離散数学)を使ってとんでもなくでかい数を定義する方法を刷新して、「ふぃっしゅ数」というのを提唱したとのことだ。

なるほどぉ、とても面白い。

 ぼくはこの号で、「巨大な素数」についてのまとめを寄稿した。言うまでもないが、「巨大な素数」は、数理暗号を経由して、インターネットのセキュリティや暗号通貨の成立要件に関わっている(詳しくは、拙著『世界は素数でできている』角川新書や『暗号通貨の経済学講談社選書メチエを読んでね)。

 その原稿の中で、ぼくがこれまでの自著に書いてない新ネタとして、「ユークリッド・マリン数列」というのと、「スキューズ数」というものを解説した。

ユークリッド・マリン数列」は、ユークリッド原論の中にある「素数が無限にある」証明で提示された素数列。要約すれば、素数2からスタートして、得られた素数すべての積に1を足した数の「1より大きい最小の約数」(自動的に素因数になる)を素数リストに加えることで順次得られる数列である。数学者たちは、この「ユークリッド・マリン数列」にすべての素数が現れると予想しているが、未解決問題だ。この数列を求めるには巨大な数の素因数を求めることが必要だ。しかし、それが困難なことから、数値解析からヒントをつかむのは難しい。したがって、解決にはゼータ解析のような超越的な方法が必要だと思われる。

 一方、「1より大きい最小の約数」を「最大の素因数」に変えても「素数が無限にある」証明は可能だ。このようなプロセスで作られる素数列も「ユークリッド・マリン数列」と呼ばれるが、この数列に現れない素数は無限個あることが証明されている。本稿では、「素数5が現れない」という証明を紹介した。この証明は、高校数学での簡単なエクササイズで、しかし、ぱっと思いつくものではないので、高校の先生は是非参照して、生徒さんに出題してあげてほしい。

 「スキューズ数」とは、素数定理(素数の個数を与えたり近似したりする定理)に関連して定義される巨大数である。ぼくは、この原稿を引き受けるまで知らなかったが、編集者さんに教えてもらって、慌てて論文をダウンロードして勉強した。これは「存在はわかっているのに、実体の特定が困難な数」の一例となっている。

 本号の記事で、ぼくが個人的に面白かったのは、徳重典英さんの「大きな有限の中に現れる構造をめぐって」だ。実はこの徳重さんは(遠い昔の)知り合いだと思う。彼の最近の研究動向がわかって嬉しかった。

徳重さんの論考には、非常にエキサイティングなことがたくさん書いてあって楽しかったが、最もびっくりしたのは、次の最新の定理の紹介だ。

素数のみからなる等差数列でいくらでも長いものが存在する

この定理は、グリーンとタオが2008年に証明した。素数のみからなる等差数列については、中学生の頃から興味があったが、直近にこんな進展があったことは知らず、思わずのけぞった。しかも証明の技法は、徳重さんの解説によれば、エルゴード定理のようなある種の「ランダムネス」を利用するらしい。

さっそくグリーンとタオの論文をネットでみつけてダウンロードした。それによれば、現状、計算機数学によって発見されている最長の素数等差数列は、

56211383760397+44546738095860k;   k =0 ,1,...,22. 

の23個の素数からなる等差数列だそうだ。とても楽しい。

グリーン・タオの証明はまだ読んでいないが、がんばって読んでみたいと思っている。ちなみに、素数が等差数列を作る場合、面白い性質が知られている。すなわち、「n個の素数から成る交差がdの等差数列があるなら、dはnより小さいすべての素数で割り切れる」というものだ。実際、上記の交差d=44546738095860は、2から19までのすべての素数で割り切れる。(証明は拙著数学オリンピックに問題に見る現代数学ブルーバックスに載っているけど、残念ながら絶版。どこかの編集者さん、これを復刊しませんか?笑)

 最後に『現代化学12月号』に対する寄稿についても簡単に紹介しておこう。これは、書評だ。三冊の本を紹介しながら、統計力学に対するぼくの想いを書いた。取り上げた三冊は次である。

朝永振一郎『物理学とは何だろうか』(上巻・下巻)岩波新書

小出昭一郎『エントロピー共立出版ワンポイント双書

加藤岳生『ゼロから学ぶ統計力学講談社

 是非、書店で手に取ってみてほしい。

 

 

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 

 

 

 

 

 

離散数学と線形代数と計算量理論の絶妙なコラボ本

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今回は、マトウシェク『33の素敵な数学小景』(徳重典英・訳、日本評論社)の紹介をしようと思う。

 

 この本は刊行直後に入手していたにもかかわらず、読んだのはつい最近だ。なぜ、つい最近読んだかといえば、前回のエントリー、

二つの雑誌に寄稿しています! - hiroyukikojima’s blog

に書いたように、現代思想』の特集号「巨大数の世界」で徳重さんの記事を読んだからだった。その記事には、本書の内容の紹介もあり、「ああ、そういうことが書かれた本だったのか」と判明して、興味がわいて、早く読んでみたいと思ってひもといたのだ。

そうしたら、予想外にとても面白い本だとわかった。

この本は、簡単にまとめれば、「離散数学線形代数と計算量数学の絶妙なコラボ」というひじょーに面白いテーマを持っている本だ。そういうテーマの本はぼくは他に知らない。

 33個の話題のうちの6個程度を読んだだけなので、本書を的確に書評できる段階ではないけど、読んだ話題はみんな面白かったので、この段階でエントリーしておこうと思う。

 現段階で読んだトピックについて感想を簡単に言えば、「こんなことにも、線形代数が有効に使えるのか!」という驚きである。

 もちろん、線形代数微積分と並んで、最も多方面で役に立つアイテムであることは疑いない。物理学では言うまでもなく、統計学なんか線形代数の植民地と言っていいぐらいだし、経済学でさえところどころでお世話になる。

でも、それらの使用性は、「見るからに」なものなのだ。

 それに対して、本書での線形代数の利用は、(離散数学の専門家以外には)かなり意表を突くものとなっている。

 読んだ中で一番感心したのは、次の定理だ。

定理  平面上の四点で、どの二点間の距離も奇数のものはない。

これはもう、見るからに、離散数学(組み合わせ論グラフ理論)の典型的な定理だ。そんなこの定理の証明に、まさか線形代数が大活躍するなんて思わないだろう。

 詳しくは本書で厳密な証明を読んでもらうことにして、おおざっぱに証明の手筋をまとめよう。

まず、ベクトルの内積を用いて、「距離が奇数」という情報を「内積をmod.8で表したもの」に変換する。そのうえで、この情報を内積を並べた対称行列の階数の問題に書き換えるのである。そうすると、行列の積のよく知られた階数の性質に帰着され、鮮やかに解決される。

 証明はトリッキーで意表を突くものだけど、それより何より、このような「定形外の問題」に対して、標準的な線形代数の技法が有効になる、ということ自体に感動する。

 この例は「計算量」とは関係しないが、次のような問題が「計算量」の形となっている。

 今、行列の積の計算を特定のアルゴリズムで計算機に実行させたとしよう。

脇道にそれるが、ファミコンの64かなんか買ったとき、スーパーマリオの新作のソフトだけまず入手した。そうしたら、そのCGがすごかった。3Dでまわりを簡単に見回すことができるのだ。当時、工学部で情報理論をやってる知り合いがいた。で、そいつとそのことについて話してたら、そいつが「小島さん。あれは、3Dの回転を瞬時に計算する行列計算のチップが入ってるんですよ」と教えてくれた。ゲーム用のチップに行列を直接計算するアルゴリズムが入っている、ということに心底驚いた経験をしたのだな。

 さて、話戻って、行列の積の計算結果が正しいかどうかを検証するには、別のプログラムを組んで、実際に積をもう一度計算して答えを比較すればいいが、一般に行列の積のアルゴリズム実行には相当な時間がかかる。そこで、著者が提唱しているのは、1と0だけからなるベクトルを掛け算してみて、一致するかどうかを見ることだ。その際に、「計算間違いを検出できる確率は少なくとも1/2より大きい」ということが証明できるのである。だから、10個の01ベクトルで検証すれば、間違う確率は1/1000以下になる。01ベクトルとの積は簡単なアルゴリズムなので、これはかなり効率のいい検証法を与える。

 行列の積に関する本書の別の話題もある。それは、「n次正方行列2個の積には、nの3乗回の積計算が必要だが、もう少し計算量を少なくできる」、という話題だ。これについては、訳者・徳重さんによる付録に、「Strassenの方法」が例示されている。2×2行列2個の積には、(2の3乗=)8回の積計算が必要なのだが、工夫をすれば、7回の積計算で済むというのである。ぼく自身は、計算機数学にはあまり関心がないが、「そういう風にやるのか」とちょっと驚いた。

 本書の最も初歩の話題の中に、「フィボナッチ数」についてのものがある。フィボナッチ数列とは、

 1項目と2項目が1

という出発で、

 前の2項の和が次の項になる

という漸化式で与えられるものだ。

 この数列が「ルート5」のかかわる無理数2個のべき乗を使って式表現されるのは、優秀な受験生ならだれでも知っている。また、その公式がいわゆる3項間漸化式の定番の解法で求められることも常識である。しかし、本書で著者は、「無限次元のベクトル」を使ってそれを線形代数の問題に帰着させて求めている。受験数学のテクニックとまっすぐ対応させることは可能であるけれど、線形空間の性質を無限次元ベクトルに適用するのを目の当たりにすると、線形代数を熟知していてもちょっとサプライズがある。「そっかあ、線形代数ってものごとをわかりやすくするなあ」とため息が出る。

 以上は、本書のほんのわずかな部分にすぎないが、全体はさまざまなトピックで彩られているから、読んでいて飽きないと思う。ただし、ページをめくるごとに、トピックが難しくなることは覚悟しなければならない。そうではあるが、本書で使われる数学技術に通じていない人には訳者が詳しい補足解説を付録として書いてあるので、(意欲があれば)心配しなくていいと思う。

 いやあ、線形代数ってほんとすごいんだな、と思い知らされる。是非、数学ファンには一読していただきたいものだ。

行列の理論についての図形的イメージを得たかったら、ぼくの『ゼロから学ぶ線形代数講談社が大お勧めであることは言うまでもない。

 

ゼロから学ぶ線形代数

ゼロから学ぶ線形代数

  • 作者:小島 寛之
  • 出版社/メーカー:講談社
  • 発売日: 2002/05/10
  • メディア:単行本(ソフトカバー)
 

 

 

映画『ジョーカー』はすごかった!

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 年末に家族で映画『ジョーカー』を観に行った。メディアやツイッターで評判を見ていて、気になっていたので、思い切って観に行ってみたのだ。

 行ってよかった。いや、行くべき映画だった。

f:id:hiroyukikojima:20200104022505p:plain

あまりのすごさに打ちのめされた。

 昨年観た映画(テレビやレンタルも含む)で、邦画ベストは『天気の子』、洋画ベストはこの『ジョーカー』だった。『ジョーカー』については昨年だけでなく、ここ10年に見た邦画・洋画含め、ベストワンだと思う。

 『天気の子』と『ジョーカー』には、共通するプロットがいくつかある。

第一は、貧困層を描いていること、

第二は拳銃が物語上で重要な役割を果たすこと、

第三は世界の崩壊を暗示していること、

この三つだ。

でも、すべての点で、『ジョーカー』のほうがプロットの扱いが勝っていると思う。もちろん、それは決して『天気の子』を腐そうとして言っているわけではない。『天気の子』にとっては、上記の三点はメインのアイテムではないから、別に勝ち負けを決めることに意味はない。再度言っておくが、『天気の子』は大好きな映画だ。

第一の点に関して言えることは、アメリカの貧困問題は、日本のそれに比して、本当に深刻だと言うことだ。だから日本の貧困は放置していいなどとは決して言わない。解決の道すじを作らなくていけないのは同じことだ。ただ、アメリカの貧困は相対的に深刻だと言いたいのだ。

ぼくが経済学者としてグッと来たのは、『ジョーカー』には主人公が病み、狂気に落ちていく貧困の、その社会的原因が、ある程度きちんと描かれている、という点だ。『天気の子』にはそういう社会性が欠落している。(別にテーマじゃないからいいんだけどね)。そういう意味で『ジョーカー』のシナリオは本当によく練られていると思う。

第二の点について言うと、『ジョーカー』では主人公が拳銃を手にすることは不可欠な展開だが、『天気の子』ではどちらかと言えば不要だ。もちろん、それなりの役割を果たしてはいるけど、無ければ無くてもいいアイテムだと思う。

第三の点については、どちらも大切なプロットだ。『ジョーカー』は一触即発の社会状況へのメッセージであり、『天気の子』は地球温暖化への警告ととれる。

 とにかく、『ジョーカー』のシナリオはほとんど瑕疵が無く、展開も伏線も完璧と言っていい。観ている大部分の観客は、完全無欠の悪であるジョーカーに肩入れしてしまうと思う。そして、その悪の進化を観ながら、切なくて涙ぐんでしまうと思うのだ。

 『ジョーカー』は、スコセッシ監督の映画『タクシードライバー』とよく比較され評されている。実際、スコセッシの撮影チームが撮影でサポートしたらしいし、『タクシードライバー』の主役ロバート・デニーロが『ジョーカー』でも重要な役を演じている。

しかし、ぼくには『ジョーカー』は『タクシードライバー』を凌駕した映画に思える。

 もちろん、共通点は多い。『タクシードライバー』はベトナム戦争という社会問題を背景に持っている。また、一人の男が狂気に落ちていく過程を描いている。その過程で拳銃が重要なアイテムになっている。そして、大統領候補の暗殺を企てる点もプロットとして近い。

 でも、どこか決定的に違うと思うのだ。

タクシードライバー』は、どちらかと言えば、ハードボイルド映画のカッコ良さを追った映画であり、社会問題は刺身のつまでしかない。拳銃はハードボイルドのアイテムだ。でも、『ジョーカー』には、強い社会的メッセージと救いようのない経済問題を打ち出している。拳銃はどうしようもない落伍者の主人公に強さを与えていく特殊アイテムになっている。

 とにかく、『ジョーカー』のような映画にはなかなか出会えないと思う。これが、「バットマン」というコミックヒーロー物のスピンオフであるとは驚きである。これを見てしまうとむしろ、「バットマン」が金持ちが道楽で正義をやっている胡散臭い人物に見えてきてしまうからやばい。

 バットマン・シリーズで言えば、『ダークナイト』も傑作と言われているが、ぼくは観たけどピンとこなかった。それに対して、『ジョーカー』は本当に超傑作だと思う。というか、バットマン・シリーズである必要は全くないとさえ思うのだ。

 

WEBRONZAに新しい論考を寄稿しました!

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WEBRONZAに、新しい論考を寄稿した。タイトルは、

数学女子に育てたければ、女子校に入れよ - 小島寛之|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

というものだ。

このブログでは、主に、経済学や数学の理論の紹介、専門書・啓蒙書に対する書評、小説・映画・音楽のレビューをエントリーしている。

それに対して、WEBRONZAでは、経済学の論文から一般の人々にも価値があるだろう内容を引用して、できるかぎりわかりやすく、そして刺激的に紹介することにしている。だから、WEBRONZAでの論考は、理論よりデータ(実証)を重視している。

 ぼく自身は、経済学の研究者としては実証を全くやっていない。けれど、最近、WEBRONZAの寄稿のために実証系の論文も読むようになっている。それはぼく自身にもすごく楽しく、また、勉強になることなのだ。執筆と研究の両面に効能を持っているのだな。

 実証系の論文は、同僚や友人の経済学者から教えてもらっている。こういうことができるのは、学者のコミュニティにいるからで、そういう点では、学者になって本当によかったと痛感する。

京都で宇沢先生の思想についてレクチャーします!

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 来週、京都のお寺で、宇沢先生の思想についてのレクチャーをする。具体的には、

宇沢弘文を読む』

日時:2月17日(月) 17:00~19:00

場所:法然院 

京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町30番地

登壇者:小島寛之(帝京大学 経済学部 教授)

詳しくは、以下のサイトから↓

宇沢国際学館 #5 | Peatix

関西方面に居住の方は、是非、ふるってご参加ください。

 宇沢先生の制度学派としての仕事「社会的共通資本の理論」については、先生のお弟子さんの一部が、継続して研究を進展させておられる。一方で、宇沢先生には、東大での教え子がものすごくたくさんおり、しかも、皆さんとても優秀で業績の高い方々であるのに、そのほとんどの方は「社会的共通資本の理論」に興味を示さず、貢献もしていない。その現状を打破すべく、宇沢先生のお嬢さんである占部まりさんが、(医師という職業を持ちながらも)、宇沢先生の思想を広め、深める活動をしておられる。今回のレクチャーも、お嬢さんが企画したものだ。

 宇沢先生の弟子筋学者のほとんどの方が、先生の理論・思想に興味を持っていないのは、ぼくには、「悲しい」というより、とても「不思議」なことなのだ。

 「社会的共通資本の理論」はそんなに魅力のない考え方なのだろうか。そんなに荒唐無稽な思想なのだろうか。

 ぼくには全くそうは思えない。プロの経済学者となり、主流の経済学の研究をかなりな水準で理解できた今でも、その思いは同じだ。主流派の(新古典派的な)経済学の理論が、先生の理論・思想に比べて、突出して優れていて、段違いに「真実である」ようには全く思えない。

 もちろん、主流の経済学は、数理モデルを使って構築する、というルールを決めたことで、「勝ち負け」を判定しやすくなり、「競争」に適するようになったのは事実だろう。将棋や囲碁のように、「競う」方法が明確になり、序列(ランキング)をつけやすくなった。そういう構造を作れば、「組織的秩序」を生み出しやすい。優れた知的能力を持った人々は競うのが大好きだから、そういう構造・秩序は動学的に安定的(進化ゲーム理論で言うところの、進化的な安定)であろう。

 でも、経済学って、そういう学問でいいんだろうか?

ぼくはそういう素朴な疑問をぬぐえない。経済学は、「科学」であって欲しい、のと同時に、「思想」でもあって欲しい、というのがぼくの切なる願いなのだ。だから、単なる「数学的遊戯」に陥って欲しくない。

 「社会的共通資本の理論」に対して、理論として曖昧過ぎる、という批判があるのもわかる。(そりゃ、主流派のようなルールの明確さがないからね)。あるいは、「単なる公共財の理論に毛の生えたもの」という評価もわかる。(公共財の理論も、非常に手厚く研究されているからね)。現在のぼくには、そういう批判・評価に抗する材料も成果もない。

 ただそれでも、この理論・思想に中に、「空虚ではない何かの存在」を感じるのだ。

 最初は、一般市民として宇沢先生に市民講座でレクチャーを受けて、この思想に素人の熱狂をしたのに過ぎなかった。その後、大学院で主流派の経済学の手ほどきを受け、主流派の経済学(ミクロ経済学マクロ経済学や社会選択理論やゲーム理論など)の数理科学的なみごとさを理解した。そうした上で、というかそれだからこそやっぱり、主流派の経済学に欠けているものがあるという感触に至った。「欠けているもの」というより「届かないもの」と表現したほうがいいかもしれない。それは、喩えてみれば、力学方程式を足し算して行っても統計力学に到達しない、みたいな「届かなさ」だ。これについては、前のエントリー、

経済学で最も大事だと思うこと - hiroyukikojima’s blog

を参照して欲しい。宇沢先生もたぶん、同じことを感じて、新しい方法論を模索したのだと思う。その「届かないもの」にたち向かうには、「社会的共通資本の理論」のような制度学派の方法論を取り入れるしかないような気がするからだ。

 そんなわけで、ぼくは先生のお嬢さんに協力しつつ、それをムチにして、バネにして、宇沢先生の思想の進展に自分を鼓舞しようとしている。今回の法然院のレクチャーをお引き受けしたのも、自分の研究活動推進の一環なのだ。

 そんなわけなので、時間に余裕のある、関西方面在住のかたは(もちろん、日本のどこのかたでも)、是非、聴きにきてほしい。

 

 


今頃になって、なんでか代数幾何が面白い

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 今回は、お正月から読みつないでいる代数幾何の教科書について紹介しよう。読みつないでいるのは、河井壮一『代数幾何学培風館だ。

現代数学レクチャーズ B 5 代数幾何学

現代数学レクチャーズ B 5 代数幾何学

 

 この本は、数学科の学部生だった頃に購入して、数学科の院試を受験している頃にチャレンジした本だった。

 ちなみに、ぼくは、学部では代数幾何を専攻していた。残念ながら、好きだったから選んだわけではない。数論を勉強したかったがゼミの応募者が多く、成績が悪くて落とされたゆえ、やむなく選んだ専門だった。

 堀川先生のゼミで、Mumford``Algebraic Geometry Ⅰ:Complex Projective Varieties'' Springer Verlagを輪読した。輪読した、と言っても、1章(20ページ程度)を終えたか終えないか程度で一年が終わってしまったから、ほとんど読んでいないに等しい。なぜそんなに進まなかったかというと、毎週、発表者が先生に撃墜されて、お説教を受けて終了、の繰り返しだったからだ。この体験談については、

堀川先生三部作とキング・クリムゾンの頃 - hiroyukikojima’s blog

続・堀川先生とキング・クリムゾンの頃 - hiroyukikojima’s blog

などで読んでほしい。

 当時の噂に聞いたところでは、著者のMumfordは非常に変わった偏屈な人物だが、堀川先生は友人だったらしい。堀川先生は、実力のある数学者だったが、(ある事情←今回は略、があって)、なかなか教授になれなかった。それで親しい数学者たちが、Mumfordに、「堀川先生が教授になれるように推薦してあげてほしい」と頼んだのだそうだ。そのときのMumfordの答えは、「堀川はdifficultだから嫌だ」というものだったという。偏屈で有名なMumfordにdifficultと言われるとは、どんだけ堀川先生が困った性格だったかがしのばれる。

 今、Mumford``Algebraic Geometry Ⅰ''が横に置いてあって、めくってみたが、表紙裏に雑誌の切り抜きが貼ってある。それは、数学セミナー』に掲載された小平邦彦先生のコラム「ノートを作りながら」だ。思い出してみるとこれは、堀川先生がわれわれの体たらくに激怒した際に、自分で探して読むようにと命令したコラムだった。実際、これは今読んでもすごいコラムだと思う。ちょっとだけ引用しよう。

数学の本を開いてみると、まずいくつかの定義と公理があって、それから定理と証明が書いてある。数学というものは、わかってしまえば何でもない簡単明瞭な事項であるから、定理だけ読んで何とかわかろうと努力する。証明を自分で考えてみる。たいていの場合は考えてもわからない。仕方ないから本に書いてある証明を読んでみる。しかし一度や二度読んでもわかったような気がしない。そこで証明をノートに写してみる。すると、今度は証明の気に入らない所が目につく。もっと別の証明がありはしないかと考えてみる。それがすぐに見つかればいいが、そうでないと諦めるまでにだいぶ時間がかかる。こんな調子で一カ月もかかってやっと一章の終わりに達した頃には、初めの方を忘れてしまう。仕方ないから、また初めから復習する。そうすると今度は章全体の配列が気になりだす。定理3より定理7を先に証明しておく方がよいのではないか、などと考える。そこで章全体をまとめ直したノートを作る。

いやあ、小平先生でさえこのような勉強をしていたのだと思うと、数学の勉強って、荒行そのものだよな。

 では、もとの話に戻ろう。Mumfordは難しすぎて歯が立たないので、院試の勉強のために、河井壮一『代数幾何学を購入した。しかし、いくら読もうとしても、どうしても面白いと思えず、数行読んでは挫折、の繰り返しとなった。小平先生の勉強方法とは似て非なる状態だ(笑)。結局、学部時代には読まずじまいに終わり、院試にも落ちてしまった。それ以来、長い間、代数幾何の勉強は封印していた。

 それがなぜ、今頃になってこの本を読み始めたか、というと、意外なことから代数幾何への興味がやってきたからだ。それは、雑誌『現代思想』の数学者リーマン特集で、黒川信重さんと加藤文元先生と三人で鼎談したことだった。その鼎談は、リーマンの数学と思想について、ぼくが聞き手となって、お二人からリーマンへの愛と敬意を引き出すものだった。

 その中で加藤先生の次の発言がずっと心にささっていたのだ。

加藤 (前略) 

リーマンは、関数は一つの概念として自体存在、それ自体が存在するものだということをどうもやり始めているようなのです。それはリーマンの関数論へのアプローチにもよく表れています。リーマンは式をあまり書かないわけですが、関数を扱う上で非常に直観的なんです。例えば面というものを扱ってそれによって関数を書く。複素関数論の話になりますが、例えばリーマン球面上の正則関数は定数しかないわけです。そういう意味では、リーマン球面上の関数は特異点の位置で決まるわけです。このように、目で見てわかる幾何学的な状況で関数を書こうということを彼は始めたわけです。そしてそれが面の話になっていく。そうして彼は「関数は面である」ということを言い出すわけです。もちろん、そこまでだったらリーマンがいなくても誰か他の人がやったかもしれません。しかし、ここがとても大事なところですが、リーマンはその逆も言っているのです。つまり「関数は面である」というだけではなく「面は関数である」ということまで言い出した。要するに、面と関数は同じだということまで言っているわけです。つまり彼は関数を本当に見えるものとして捉えようとしていたわけです。(後略)

ぼくは、この発言を聞いたとき、正直、震えるような驚きを覚えた。加藤先生の念頭にある「リーマン面」というアイテムについては、予習して行ったせいもあって、多少の知識があった。けれども、リーマン面を考えたリーマンの頭の中にあったイメージが、「関数と面は同じだ」というとてつもない発想であるとまでは理解していなかった。だから、近いうち、そのことをもう少しきちんと理解したい、という願望が生じたのだ。

 この鼎談から3年以上が経過してしまったが、今年の正月に、ふと戯れに、書棚から河井壮一『代数幾何学を取り出して、ページをめくってみた。そうしたら、あら不思議、読めそうな気がしてきて、その上、すごく面白そうにさえ思えたのだ。

 そして読んでみたら、まじ面白かった。どう面白かったのか?

1.この本は、代数曲線の話から始まっている(リーマン面ではなく)。

ここで、代数曲線とは、(xとyを変数とする多項式)=0という方程式で定義される曲線。ただし、曲線とは言っても、高校で習う放物線とか円とかとは異なる。xとyは複素数なので、4次元空間の中の(太さのある)「線」。その上、曲線を考えるのは、射影空間という特殊な空間だ。他方、多くの代数幾何の教科書は、リーマン面(複素平面の開集合をぺたぺた張り合わせて作られる多様体)から入るので、多様体のイメージがないとなかなか何をしようとしているかわからない。ぼくには、リーマン面より代数曲線のほうがイメージしやすい。それは、高校数学での知識が多少役に立つから。

2.この本は、図形的なアプローチをしている(代数的ではなく)。

普通の代数幾何の教科書は、代数的なアプローチをする。環とかイデアルとかヒルベルトの零点定理とか必ず出てくる。ぼくは、こういう代数的(環論的)アプローチになじめなかった。でも本書は、解説を、非常に図形的に展開する。図が描いてあるので、イメージを作って解説を読み進むことができる。この手法は、久賀道郎『ガロアの夢』日本評論社を想起させる。『ガロアの夢』は、証明を数式一辺倒ではなく、図形と言葉で展開した斬新な本だ。詳しくは、次のエントリーで読んでほしい。

ガロアの夢、ぼくの夢 - hiroyukikojima’s blog

実際、久賀先生の本で勉強して、拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社で解説した「被覆空間」が、河井壮一『代数幾何学でも重要な役割を果たしていて、非常に役立った。(皆さんは、被覆空間について、拙著のほうで勉強してほしい)。

3.この本では、代数幾何のおいしい話たちが早めに出てくる。

代数幾何には、ベズーの定理(m次曲線とn次曲線の交点数は、重複も含めると、mn個)とか、「2次元複素射影空間の解析的曲線は代数曲線」(複素微分可能な関数の零点で定義される曲線は実は多項式で定義されるのと同じ)とか、「2次元多様体の局所的正則関数の作る環では、因数分解の一意性が成り立つ」とか、かっこいい定理がいっぱいあるが、たいていの教科書では、たくさんのうんざりする準備のあとに解説される。でも、この本では、全体の3分の1ぐらい(60ページ程度)まで読めば、これらの証明を理解することができる。しかも証明が図形的なため、めっちゃ理解しやすい。

4.この本では、「関数と面とは同じだ」、の証明が、とてもわかりやすい。

この「関数と面とは同じだ」という定理も、本の真ん中くらいで出てくる。要するに、多項式f(x, y)=0で定義される代数曲線と多項式g(x, y)=0で定義される代数曲線があるとき、それらの「非特異モデル」が複素多様体として同型ならば(つまり、同じ形をしているならば)、それらの上の関数体は同型であり、逆もまた成り立つ、ということが示される。ちなみに、非特異モデルとは、代数曲線には自分同士で交わる点(特異点)が有限個あり得るが、その交差する点で一方の枝を持ちあげて立体交差にして、交わらないようにしたもの。

ただし、この関数体をちゃんと理解するには、多項式の作る環をイデアルで割った商集合を理解してなくちゃならないので(そいつの商体と同型になるから)、そのためには、拙著『数学は世界をこう見る』PHP新書を読むと助けになるだろう(笑)。

 以上で、この本のおおよそ前半部分については紹介できたと思う。まさか、40年も経過してから、この本がこんなに面白いと思えるようになるとは想像もしなかった。タイムリープして当時の自分に教えてあげたい。この本の「はしがき」には、

現在活躍中の某氏が、かつて学生時代、「代数幾何をやらないやつの気が知れない」と言って、他分野の同級生達のひんしゅくを買ったという話があるが、そのような言葉が口からでるほど代数幾何はおもしろいものだということを伝えおきたい。

とあるが、このはしがきが、なまじ嘘には思えなくなってくるほど面白い。

 ただ、この本の唯一の、そして無視できない弱点は、「具体例がほとんどない」ことだ。具体例がないと、実際、定理たちがどういう計算で確認されるのかがよくわからない。そのために、ぼくは、以前から買ってあった上野健爾『代数幾何入門』岩波書店を併読した。

代数幾何入門

代数幾何入門

 

 この本は、もうまるで、河井壮一『代数幾何学の「資料集」として書かれたような本であることがわかった。実際、この本では、次に読む本として河井本を勧めている。上野本は、厳密な証明に拘泥することなく、具体例で代数幾何の醍醐味を伝えた貴重な本だ。残る半分くらいは、河井本とは異なるアプローチをしているが、並行して読むと双方の理解が深まると思う。

 ぼくが代数幾何を勉強したいもう一つの理由は、もちろん、スキーム理論やカテゴリー理論を理解して、リーマン予想の解決された部分を理解したいからだ。だから、河井本の残り半分もなんとか読破して、再度、スキーム理論にチャレンジしたい。

ガロアの夢―群論と微分方程式

ガロアの夢―群論と微分方程式

 

 

【完全版】天才ガロアの発想力 ―対称性と群が明かす方程式の秘密― (知の扉シリーズ)
 

 

 

 

 

 

多項式版フェルマーの大定理の証明

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 今回も前回の続きで、河井壮一『代数幾何学培風館の紹介をしよう。前回のエントリー、

今頃になって、なんでか代数幾何が面白い - hiroyukikojima’s blog

を読んでない人は、先に読んでおいてくれるとありがたい。ついでに、黒川信重さんの新著『リーマン予想の今、そして解決への展望』技術評論社も併せて紹介したい。

 

リーマン予想の今,そして解決への展望 (数学への招待)

リーマン予想の今,そして解決への展望 (数学への招待)

  • 作者:黒川 信重
  • 発売日: 2019/09/20
  • メディア:単行本(ソフトカバー)
 

 

 今回話題にするのは、「多項式フェルマーの大定理」だ。

フェルマーの大定理」は、門外漢にも知れ渡った有名な定理で、「nが3以上の自然数のとき、(aのn乗)+(bのn乗)=(cのn乗)を満たす自然数a, b, cは存在しない」という定理だ。17世紀フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーが予想し、1995年にイギリス人の数学者アンドリュー・ワイルズが解決した。解決まで360年かかった超難問であった。

 実はこの大定理には、「多項式版」がある。それは、

「nが3以上の自然数のとき、(a(t)のn乗)+(b(t)のn乗)=(c(t)のn乗)を満たす、複素数係数の、定数でなく、かつ互いに素であるようなtの多項式、a(t), b(t), c(t)は存在しない」

という定理だ。

  ここで「定数でない」という条件は不可欠だ。定数でいいなら「a(t)=1, b(t)=1, c(t)=(2のn乗根)」が解になる。また、「互いに素」というのは「共通解を持たない」ということだが、これも不可欠。互いに素でなくていいなら、「a(t)=f(t), b(t)=f(t), c(t)=(2のn乗根)×f(t)」とか、「a(t)=0, b(t)=f(t), c(t)=f(t)」などが解となるからだ。さらには、「nが3以上の自然数」の条件も不可欠。n=2の場合は、「a(t)=(f(t)の2乗)-1, b(t)=2f(t), c(t)=(f(t)の2乗)+1」などが解となるからだ。

 ぼくは、「フェルマーの大定理」が未解決の難問であることを中学生のときに知って、数学ファンになった。この「多項式フェルマーの大定理」が既にずっと前に証明されていることも知識としてあったが、あまり興味を持たなかった。多項式は変数が含まれるので、条件が強くて、簡単に証明されても不思議ではないという感想を持ったからだ。

でも、その後、黒川信重さんと共著で本を作ったり、望月新一先生がabc予想を解決する論文を発表したりしたことで、意識が変わって、「多項式フェルマーの大定理」にも興味を持つようになった。

数学を専門的に勉強すると、「多項式の集合」と「整数の集合」には、代数的な類似性が大きいことがわかる。例えば、「割って余りを出すことができる」とか、「素因数分解の一意性が成り立つ」とか、「ユークリッドの互除法で最大公約数が出る」とか、「イデアルがすべて単項イデアルである」とかなどだ。(念のため言うと、これらの性質は独立ではなく、互いに関連性を持っている)。これらについて、詳しくは、拙著『数学は世界をこう見る』PHP新書で勉強してほしい。

したがって、多項式の世界と整数の世界には類似の定理が成り立つことが多々ある。「フェルマーの大定理」と「abc予想」はその最たるものであり、どちらも「多項式版」のほうが先に証明され、証明も初等的であった。「フェルマーの大定理」では、「整数版」のほうもワイルズによって証明された。望月先生の論文が正しいと確認されれば、「abc予想」の「整数版」も解決することになる。

 さて、「多項式フェルマーの大定理」の証明だが、これは黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』で読むことを強く推奨したい。ネット上にも証明がアップされているが、黒川さんの書いた証明が最もわかりやすいと思う。

 証明の概略を書くと次のようになる。まず、等式「(a(t)のn乗)+(b(t)のn乗)=(c(t)のn乗)」の両辺を微分する(合成関数の微分法)。次に、微分してできた等式と元の等式から、b(t)を消去する(連立方程式の要領)。すると、互いに素の条件から、多項式の倍数・約数関係が導かれる。それから次数についての不等式を導く。以上の作業を、a(t)の消去、c(t)の消去に対しても実行し、得られた次数についての不等式をうまく処理すれば、矛盾が導かれる仕組みだ。詳しくは、黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』を読んで欲しい。この証明は、数Ⅲを学んだ、多少数学の得意な高校生なら理解できる、お手本のような証明だが、自分ではなかなか発見できないようなものなので、高校生にも高校の先生にも数学ファンにもすごく勉強になると思う。

 ちなみに、黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』は『リーマン予想の探求~ABCからZまで』技術評論社を、最新情報を加えつつ、大幅に改定したもの。後者を持っている人も購入して損はない。リーマン予想、深リーマン予想絶対数学abc予想など、数学ファンには堪えられない面白い本だ。「関数体版abc予想」の完璧な証明も収録されている。

 さて、ここからが前回のエントリーの続きとなる。

 河井壮一『代数幾何学を第5章まで読み進んだ。第5章は、代数曲線(2変数の多項式=0で定義される複素射影空間の曲線)とその特異点を解消した「非特異モデル」(リーマン面)の「形」について解説した章だ。

 結論を言えば、「円盤にg個の穴を開けた形状」になる。gのことを専門の言葉で「種数」という。

 この種数についての定義とその性質を導くのだけれど、それがめちゃめちゃわかりやすい。ぼくの所有しているいくつかの代数幾何学の本(例えば、小木曽啓示『代数曲線論』など)では、種数とその性質を定義するのに、「層のコホモロジー」を経由する。きっと、そのほうがあとあと巧いことになるのだろうけど、ここまでの道のりが険しく、また、初学者には抽象的すぎてついていけない。わかったようなわからんような朦朧とした気分で進むしかない。それに対して、河井壮一『代数幾何学では、非常に簡単に、そしてクリアーな議論で種数の定義とその性質を導く。
代数方程式→重複点での分岐→分岐被覆→多角形の張り合わせ→穴の個数

というイメージしやすい議論を使うからだ(被覆については、拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社を参照のこと)。そこでポイントになるのは、多面体についてよく知られたオイラー指標である。オイラー指標とは、「(頂点の数)-(辺の数)+(多角形の数)」という計算で、穴の個数が固定されればどんな多面体でも一定数になる。

今までは、どれを読んでも曖昧模糊となっていた種数(穴の個数)の意味が、この本で初めて理解できた。

 この第5章のクライマックスは、「多項式フェルマーの大定理」の証明だ。この本ではこれを「Kummerの定理」と呼んでいるので、これがクンマーが証明した方法だからなのかもしれない(あるいは別の方法で証明した可能性もある)。ちなみに、黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』では、R.リュービルという数学者が1879年に証明した、と紹介している。このリュービルは「リュービル超越数」のリュービルとは別人ということだ。

 さて、河井壮一『代数幾何学で解説している「多項式フェルマーの大定理」の証明は、おそろしく簡単で、たったの9行で済ませている。

 その手続きは、「(f(t)のn乗)+(g(t)のn乗)=1(n≧3)」を満たす定数でないtの有理式f(t), g(t)があったとして矛盾を導く、というものだ。

そのため、まず、「(xのn乗)+(yのn乗)=1」という式で定義される曲線Cを考える(リーマン面)。この曲線Cの種数(穴の個数)は、(n-1)(n-2)/2となる。ここで、「(f(t)のn乗)+(g(t)のn乗)=1」という仮定から、(f(t), g(t))はリーマン球面(複素平面無限遠点を加えて球面にしたもの)から曲線C(リーマン面)への正則写像(つまり、tの有理式でパラメーター表示できるってこと)となる。このとき、一般的な種数の公式を利用すれば、

2-2×(リーマン球面の種数)=m×(2-2×(曲線Cの種数))-(分岐指数から1を引いたものの総和)

が成立しなければいけないけれど、リーマン球面の種数=0から、この等式は成り立ちようがない。もっと簡単に言えば、リーマン球面には穴がないけど曲線Cには穴があるのでこの等式は成立しないから、パラメーター表示する写像があるはずがない。したがって、矛盾が生ずる、ということなのだ。

 この証明からは感ずるものが大きい。最初に紹介した黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』における証明が、微分という解析的性質とか、多項式の約数・倍数関係という代数的性質とかに強く依存しているのに対して、この証明は「穴が複数個開いた円盤」という「形」だけに、(つまり位相だけに)、依拠している、という点だ。これを読むと、数論は「ものの形状」から相当な情報を引き出せるんだろうな、という予感がひしひししてくる。簡単な定理ではあるが、現代数論のエッセンスを見た気になれるのである(単なる気分だと専門家に叱られるかもしれないが)。

 

 

 

 

 

Tricotの無観客ライブは、本当にすばらしかった。

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今回は、久しぶりに音楽のことをエントリーする。

話題は、日本のバンドTricotの無観客ライブのこと。

Tricot(トリコ)は、女性3人と男性1人からなるJ-popのバンド。ボーカルの中嶋イッキュウさんは、ジェニーハイで有名になったので、Tricotももっともっと売れていいと思うのだが、チケットが手に入らなくなるのは困るので、痛しかゆしだ。

 彼らの音楽を何かのジャンルに当てはめるのは適切でないように思えるが、ぼくは「新世代のプログレ」に分類している。この辺のことはあとで説明する。

Tricotのライブには、もう10回ぐらい行ったと思う。それについては、

渋谷でトリコのライブを観てきますた - hiroyukikojima’s blog

赤坂ブリッツで、Tricotのワンマンライブを観てきた。 - hiroyukikojima’s blog

この世で観られる最高の音楽〜Tricot - hiroyukikojima’s blog

などで読んでほしい。

先週の3月14日にもTricotのライブが予定されたのだが、ぼくはもちろん、チケットを確保していた。しかし、コロナ肺炎感染拡大を受けて、ライブは振り替えとなり、演奏は無観客で行われ、それがネット配信された。

ぼくは高齢者なので、ライブが決行されても行かないつもりだった。今回を逃しても、生きてあと10回彼らのライブを観たほうが幸せだと判断したからだ。でも、予期せぬ幸運で、無観客の演奏をネットで観ることができた上、10月のライブにチケットは振り替えできた。めっちゃ嬉しかった。

無観客ライブは、リアルタイムで視聴したけど、その後もネット上に置いてあったので、夜中にもう一度観て、翌日以降にも2回ほど観た。めちゃめちゃ得した気分だ。

tricotはこれまで自主レーベルだったが、去年エイベックスに移籍し、つい最近、メジャーデビューアルバム「真っ黒」をリリースした。そのレコ発ツアーだっただけに、無観客ライブになったのはさぞ無念だったと思う。

真っ黒(CD+Blu-ray Disc)

真っ黒(CD+Blu-ray Disc)

  • アーティスト:tricot
  • 発売日: 2020/01/29
  • メディア: CD
 

  さて、このニューアルバムは、ものすごい名作だと思う。これまでもいいアルバムを作ってきたけど、そろそろネタが尽きるかと思いきや、どうしてどうして、こんなに斬新なアルバムを作れるのはすごいことだと思う。

このCDには、ブルーレイ付き(またはDVD付き)があって、フルライブの映像が観れるので、そっちを買うのがお勧めだ。14曲全部好きだが、とりわけ「秘蜜」「危なくなく無い街へ」がめっちゃ好きだ。特に前者は、「こんな曲を現代に作れる人がいるのか!しかも、女子が」とびっくらこいた。

 Tricotの音楽は、ぼくの中では「プログレ」なのだが(プログレは、プログレッシブの略)、現代の分類でいうと「Math music」というのに属するらしい。Mathは数学のこと。つまり、数学的な音楽のことだ。奇数拍子、変拍子、リズムの転換、リズムずらしなどを真骨頂とする。

 ぼくらの時代には、「プログレ」はキング・クリムゾンピンク・フロイド、イエスジェネシスなどたくさんあった。一大ムーブメントだった。ぼくは、この中ではキング・クリムゾンが一番好きだった(今でも好きだ)。この手の音楽は今のJ-popのメジャーシーンにはほとんど見かけないから、Tricotは貴重な存在なのだ。

 実は、Tricotで作曲をしているギタリストの木田モティフォさんは、キング・クリムゾンの影響を受けているのではないか、という邪推をしている。根拠は三つある。第一は、ギター2本のずらし(ポリリズム)を多用すること。第二は、ネットのインタビュー番組で、彼女の使っているエフェクターが父親譲りだと答えてたので、父親がギターを弾く人だということは、父親の影響でクリムゾンを聴いてて不思議ではないこと。第三は、彼女の作った曲「bitter」に、はっきりクリムゾンのリーダーのロバート・フリップへのトリビュートを感じること。ちなみに、この曲「bitter」は、前掲の「真っ黒」のブルーレイ・ライブ映像で演奏しているで、是非、聴いてみてほしい。

たぶん、「bitter」がトリビュートしているのは、ロバート・フリップのソロアルバムとか、ソロユニット「リーグ・オブ・ジェントルメン」のアルバムに収められている「Under Heavy manners」という曲だと思う。これは、トーキング・ヘッズのデビッド・バーンがボーカルをやっている。「マルクシズム」とか「ニヒリズム」などたくさんの「~イムズ」を連呼し続ける不思議な曲だ↓。

https://www.youtube.com/watch?v=_HNStzPtZ2M

そして、Tricotの「bitter」も、「~イムズ」を連呼し続ける曲(かなりふざけているが笑)。もしも「Under Heavy manners」を知らずに作曲したなら、それこそ恐れ入る。

 ちなみに、この頃からフリップは、フリッパートロニクスというエフェクターを自分で作成して使い始める。これはたぶん、オープンリールに即興で作ったフレーズを録音して、それをリピートさせながら、そこに新しいフレーズをかぶせていくマシン。メロトロンというキーボードから発想したんだと思う。これによって、フリップは、ギター一本で即興演奏をできるようになった。その後、このエフェクターは、サンプリングシンセの機能で簡単に使えるようになり、多くのギタリストが使っている。木田さんも最近よく使っている。

 還暦過ぎて、最も愛するクリムゾンの音楽の影を感じる音楽を、若い女性たちのバンドで聴けるなんて、自分は果報者だと思う。

 それにしてもつくずく思うのは、現代における視聴環境の激変だ。

トリコの無観客ライブは、ライブ配信でもあるが、ライブ後にも(一週間だけだが)観ることができる。こんな時代が来るとは想像もできなかった。

 忘れもしない高校3年のとき、NHKの洋楽ライブ番組「ヤング・ミュージック・ショー」でイエスのライブを放送することになったのだが、その放映日が不運にも、模試と重なってしまった。そのイエスのライブは、アズベリーパークで行われた伝説のライブで『海洋地形学の物語』を演奏したものだった。実は、ぼくはイエスの中では、大評判のアルバム『危機』や『壊れもの』より『海洋地形学の物語』が好きだった。だから、どうしても観たいに決まってた。仮病を使って模試を休むとか、行ったふりして友達の家で観るとか、いろいろ作戦を考えたが、まじめなぼくは結局模試を選んだ。問題を解いている間、頭を『海洋地形学の物語』が旋回して、集中できなかったのを今でも覚えている。そして、その後、ずっと後悔し続けた。とにかく当時は、オンエアーの時間にテレビの前にいないとどうにもならなかったのだ。そして、ビデオデッキはまだ庶民には買えなかったので、頭に焼き付けるしかなかったのだ。

 その後、新宿のAという有名なインディーズビデオ店で、イエスの「ヤング・ミュージック・ショー」の(非合法)ビデオを入手したときは嬉しかった。店主は、NHKの職員がお忍びでときどき査察にくるが、雰囲気でわかるので、NHKのビデオを全部隠すって言ってた。笑

 ヤング・ミュージック・ショーで秀逸だったライブ演奏に、ピンク・フロイドの「ポンペイ・ライブ」がある。これは、映画用に撮られた無観客ライブだ。ポンペイの遺跡で撮られたすばらしい演奏であった。ピンク・フロイドと言えば、『狂気』とか『ウォール』とかが名作と言われているけど、(もちろん、ぼくもそれらが大好きだが)、このライブではそれ以前の「神秘」とか「ユージン斧に気を付けろ」とか「エコーズ」とかを演奏している。これらの曲は真にプログレッシブ(アバンギャルド)で、ピンク・フロイドの本領だと思うから、すばらしいライブだった。

 ちなみに、自分でビデオ・デッキを買ったときは、真っ先にこのピンク・フロイドポンペイ・ライブ」のビデオ・ソフトを購入した。記憶では2万円ぐらいした。(あと日活ロマンポルノも2万ぐらい出して買ったのは内緒。笑)。

 このような苦労に比べると、今の若者は幸せだと思う。無観客ライブをネットで観ることができ、youtubeであらゆる音楽が聴ける。定額のサブスクで、いくらでも聴きたい音楽を聴くことができる。ぼくらの青春時代には、それなりに工夫をして、なんとか音楽を入手し、それはそれで楽しかったが、現代に若者でいたかったのは間違いない。

 数学クラスタで(クラスタって言葉は、今は鬼門だね)このブログを楽しみにしている人のために、ちょっとだけ数学ネタに触れておこう。今ぼくは、小野孝『数論序説』を読んでる。こっれがもう、めちゃめちゃいい本なんだ。それについては、次回にエントリーしたいと思う。 

 

 

 

 

 

高木貞治『初等整数論講義』の続きで読むべき数学書

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 前回のエントリーからだいぶ時間が経過してしまったが、予告した通り、小野孝『数論序説』裳華房を紹介しようと思う。この本は、整数論の本だ。そして、ぼくの個人的印象ではあるが、高木貞治『初等整数論講義』共立出版を意識して書かれた本だと思う。そして、その意識の仕方が実にみごとで、だから、高木貞治『初等整数論講義』のあとに是非とも読むべき数学書なのだ。

 

数論序説

数論序説

  • 作者:小野 孝
  • 発売日: 1987/01/25
  • メディア:単行本
 

 高木貞治『初等整数論講義』を中級の数学書とすれば、この小野孝『数論序説』は上級の数学書なので(ちなみにもっと難しい本を、ぼくは「専門書」と呼んでる)、ある程度数学科的数学になじんでいないと読みこなせないと思うので、万人向きではないから注意してほしい。

実際、「はしがき」に次のようにある。

第2章以降は`中等整数論'とでもいうべきものである。内容は高木貞治先生の2著「初等整数論講義, 共立出版, 1983」、「代数的整数論, 岩波書店, 1971」を適当に攪拌し当世向きに調合したものとでもいえようか。

したがって、もちろん、この本を読む前に高木貞治『初等整数論講義』を読破すべきだし、読破できたなら、(現代的な数学の心得が多少あれば)、本書にチャレンジするのが適切だと思う。(高木『代数的整数論』はわかりにくい本なので、読まないでこっちに進むのが吉)。ちなみに、『初等整数論講義』に対するぼくの感想は、

高木貞治の数学書がいまさら面白い - hiroyukikojima’s blog

にエントリーしたので、参考にしてほしい。

 『初等整数論講義』(以下、[高木]と略す)は、おおまかに言うと、「連分数」「平方剰余相互の法則」「2次体の数論」がテーマの本。ここで「連分数」とは、分数の分母が再び分数で、その分母が再び分数で・・・という形式で実数を表わす技術のこと。「平方剰余相互の法則」とは、素数を法とする合同式において、与えられた整数が平方数と合同になるかどうかを簡単に判定できる法則、「2次体の数論」とは、整数のルート数を有理数に加えた2次体(有理数+有理数√mの数の集合)において整数を定義し、その素イデアル分解を考察する分野のこと。

『数論序説』も、基本的には、同じテーマ「連分数」「平方剰余相互の法則」「2次体の数論」を踏襲している。ただ、その扱い方は、より現代的になっている。つまり、初等的に証明できる定理も、わざと現代数学の道具を使ってアプローチしているのである。

 「連分数」では、行列の成す群を駆使している([高木]にも多少は出てきてはいるが)。

 「平方剰余相互の法則」の証明ではそれは顕著で、[高木]では格子点を使って、非常に初等的に(中高生でも理解できる)証明しているけど、この本では「アーベル群の指標」というのを使って、「ガウス」を見ることで証明している。「アーベル群の指標」というのは、可換性のある有限群(有限アーベル群)から複素数への写像で、群演算を積とみなして保存するようなものだ。「ガウス和」とは、指標たちに1のべき根を掛けて足し合わせた和。これがある種の循環性を持つために、うまく「相互則」が出てくる仕掛け。

この「指標」と「ガウス和」を使う証明のほうが(難しいけど)優れていると思うのは、あとで(2次体を含む)「代数体の数論」を展開するとき役に立つからだ。例えば、「奇素数のルート数を添加した2次体が、円分体(1のべき根を有理数に添加して作る体)の部分体となること」が簡単に証明できるし、「フェルマー素数の正多角形がコンパスと定規で作図可能である」証明も著しく簡単になる(この証明はほんとにみごとで、[高木]より明快)。

 「2次体の数論」に至ると、これはもうすごくて、ガロア理論から「代数体の数論」を一般的に導出して(たぶん、[高木]よりエレガント)、そこから2次体の整数環に話を還元する。

 なによりぶったまげるのは、「2次体の数論」を完成するために、な、なんと!コホモロジー」を持ち出すのである。たかが2次体のために、たかがルート数のために、最先端の武器である「コホモロジー」という最強呪文を唱えるのだよ。

 「コホモロジー」というのは、集合たちと写像たちが、→A→B→C→、のようなつながりをしていて、Aの要素を2回の矢印で写像するとCにおいて0になるような構造を持つものに定義される量だ。最先端の数学をつかさどってると言っても過言ではない。

 ぼくは、ずっと「コホモロジーって要するになに?」を知りたくて、数学書を勉強してきた。でも、普通は代数幾何で、例えば、リーマン面の理論の中で扱われるのが常なんだけど、それが異様にわかりずらい。局所的な関数の集合を扱うから、定義もわかりにくいし、何をやらんとしてるのかがつかめないからだ。挫折を余儀なくされる。

 ところが、この本の「コホモロジー」はけっこうわかりやすいのである。それは、「有限群」(しかも、「巡回群」という簡単な群)を対象とするコホモロジーだからだ。定義もわかりやすいし、6角形を成す「完全系列」(「像」=「0の逆像」が成り立つ系列)の補題も簡単に証明を追える。だから、「コホモロジーって要するになに?」の解答を得るのは、この本が一番ではないか、と思えるのである。実際、ぼくは、「コホモロジー」目当てでこの本を購入した。

 おまけとして付け加えると、この本で与えられている「ガロアの基本定理(部分群と中間体の一対一対応)」の証明は、現存する最短の証明じゃないかと思った。わずか8ページで完成している。

 ただし、証明は「代数的閉体」を使うので、かなり超越的。ツォルンの補題とか出てくるからね。数学科の数学に通じてない素人読者がこの定理を理解するには、拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社が、最も初等的で最短で最適だと思うぞ(自画自賛)。

 とは言っても、まだ、前半の2章しか読んでないので、後半も読んだら、また紹介するつもり。

 

初等整数論講義 第2版

初等整数論講義 第2版

 

 

 

 

 

 

 

還暦すぎて初めてたどりついたリーマン・ロッホ

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 大学の講義が5月いっぱいまではオンラインになったため、運動不足をふせぐ目的で、毎日部屋でエアロバイクをこぐことにした。これは、東日本大震災の余震に見舞われていた日々以来、久しぶりのことだ。

 バイクをただこぐのは退屈なので、音楽を聴きながら、数学書を読むことにしている。専門の経済学は真剣に研究しなくてはならないので(笑)、趣味である数学のほうの書籍を読んでいる。

 それで(ほぼ)読破したのが、河井壮一『代数幾何学培風館だ。

この本については、

今頃になって、なんでか代数幾何が面白い - hiroyukikojima’s blog

多項式版フェルマーの大定理の証明 - hiroyukikojima’s blog

でも紹介したので、これらを先に読んでくださるとありがたい。

 この本の最終章である第6章は「1つのRiemann面上の議論ーー微分積分、Riemann-Roch」となっている。ついにこの章まで到達して、「リーマン・ロッホの定理」を理解できてしまったのだ。「リーマン・ロッホの定理」といえば、代数幾何学習の一つの(最初のというべきか)到達点。数学科在籍時以来、苦節40年、還暦過ぎてついに「リーマン・ロッホの定理」に到達した。

 前の2つのエントリーでも書いたが、とにかくこの本はわかりやすい。そのうえ読み進むのが楽しい。もちろん、数学の議論のわかりやすさは人それぞれだから、こういう書き方が好みじゃない人もいて不思議ではないが、ぼくにはめっちゃわかりやすく、めっちゃ楽しい数学書なのだ。

 それはこの本が、図形的で直感的な説明や証明法を用いているからだ。それは「リーマン・ロッホの定理」の説明でも一貫している。こんなにわかりやすくこの定理にたどりつく本は他にしらない。しかも、証明が図形的なので、どういう仕組みでなりたつかがおおまかに理解できるようになっている。

 この本での「リーマン・ロッホの定理」は、次のように提示されている。

(リーマン・ロッホの定理)

種数gのRiemann面X上の任意の因子Dに対して、

dim L(D)=deg D-g+1+dimΩ(-D)

が成り立つ

ここで種数gは、リーマン面に空いてる穴の個数。因子Dというのは、いくつかの点で(n重の)零点をもち、いくつかの点で(m重の)極をもつ(極というのは関数の分母が0になる点、つまり値が無限大になる点)ことの表現。deg Dはその重複度を(プラス・マイナスとして)総和したもの。 L(D)というのは、Dを足すと極が消えるような関数のつくるベクトル空間のことで、dim L(D)というのはその次元のことだ。Ω(-D)というのは、-Dを加えると極が消えるような第1種微分(正則なアーベル微分)の作るベクトル空間のことで、dimΩ(-D)はその次元のこと。

ざっくり言えば、 L(D)もΩ(-D)も零点や極の重複度に制限を指定した関数または微分のことと見なせる。

この「リーマン・ロッホの定理」とは、零点や極のあり方を制限して指定した関数たちがどのくらい存在するか、についての知識を与える定理なのである。例えば、

種数gに対してnがn≧2g-2を満たすなら、任意の点Pにちょうどn+1位の極を有する有理型関数が存在する

などということが証明できる。

 この本における「リーマン・ロッホの定理」の証明は、この本の中でのさまざまな定理の証明の中では最も長いが、7ページ程度だからがんばればなんとか読める。多くの代数幾何の本では、この定理は「コホモロジー群」を使って表現し、証明されるみたいだ。例えば、小木曽啓示『代数曲線論』朝倉書店でもそうなっている。次の式が「リーマン・ロッホの定理」だ。

h^0(O_X(D))-h^1(O_X(D))=1-g+deg D

ここでh^0、h^1は、0次コホモロジー群、1次コホモロジー群の次元のこと。この定理の証明は小木曽啓示『代数曲線論』では、2ページぐらいで済んでいるが、その前に、h^1の次元の有限性の証明のために14ページの難行苦行が待っている(笑)。

河井版のリーマン・ロッホと小木曽版のリーマン・ロッホは形式が違うが、小木曽啓示『代数曲線論』によれば、小木曽版にセールの双対定理を使えば、河井版が得られるとある。コホモロジー理論は、数学のあちこちで出てくるから、理解するにこしたことはないが、h^1(O_X(D))はイメージがわかないベクトル空間なので、わからない概念を使ってわからない公式を表している感じで、素人には大変つらい。h^1(O_X)が種数、つまり、図形の穴の個数だと言われても、「なんでやねん」となってしまう。河井版では、種数はコホモロジーではなく、もっと直接的に定義してあるから、胃もたれしない。だから、河井版を先に理解してから、小木曽版にチャンレジすることをお勧めしたい。(もちろん、そのルートでも、ある程度の純粋数学の経験が必要である)。

 河井壮一『代数幾何学第6章にはひとつだけ難点がある。それは、微分形式(アーベル微分、第1種微分)の詳しい解説がないことだ。もちろん、定理の証明に必要な知識は与えられるが、実際のところ第1種微分とは何のことなのかが具体的にイメージできない。それについては、小木曽啓示『代数曲線論』に詳しい説明があるので、こちらで勉強したほうがいい。微分形式とは、要するに、空間での微分(作用素)のことで、イメージ的には接空間を思い浮かべればいい。リーマン・ロッホ(河井版)とは要するに、リーマン面(たとえば、浮袋型)の上の関数の空間と、その接空間上の微分の空間との関係を表すものだと理解できる。

 ちなみに、小木曽啓示『代数曲線論』では、とかくイメージのわかない1次コホモロジー群(H^1)の次元について、リーマン球面のバージョンを具体的で直接的な証明を与えてくれているので、すごくうれしい。こういう例は貴重だ。

 リーマン・ロッホは、数論にも出てくるっぽく、普遍的な定理みたいだ。還暦すぎてたどりついても時すでに遅いかもしれないが、なんでも目標達成は嬉しいものなのだ。

 

講座 数学の考え方〈18〉代数曲線論

講座 数学の考え方〈18〉代数曲線論

 

 

 

 

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