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酔いどれ日記5

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 今日はリースリングを2杯目。Zind-Humbrechtとかいうやつ。リースリングにしてはすっきりしている。

 昨日は、キングクリムゾンのライブを渋谷オーチャードホールで観てきた。

ぼくは、新型コロナが起きてから、「もうライブには行くまい」と決めたんだった。だから、今年から5限に講義を入れた。しかし、クリムゾンの来日で決意はもろくも崩れ去ってしまった。

 もう最終公演も終わったので、多少のセトリの話をしても邪魔にはならないだろう。今回のライブは、名曲オンパレードという感じで、「みんな、これが聴きたいんでしょ」という曲の連発だった。前回の来日では、「リザード組曲」を全編演ったり、「船乗りの話」をやったり、マイナーだけどマニアックでかっこいい曲を演奏してくれたけど、今回は本当に代表曲の嵐だった。ファンとしてどちらも嬉しいものだ。

 今回、一番聴き応えがあったのは、「ディシプリン」だった。ギタボの若いプレーヤーがギターの腕をあげたので、「ディシプリン」のずれていくミニマル音楽が非常に綺麗に再現された。とりわけ、トリプル・ドラムと合わさるポリリズムがあまりにかっこよく美しく演奏された。1981年に「ディシプリン」を発表したとき、ボブ・フリップの脳裏には、こういうトリプル・ドラムのリズムが鳴っていたのだろうな、と思うと、とてつもない音感だな、と思う。

 ぼくがクリムゾンのライブに行くのは、ボブ・フリップに会うためだ。もちろん、クリムゾンの音楽はいつ聴いても楽しいが、フリップ郷に会って、自分の座標を確かめるというのが大事なことなのだ。フリップが逝くのが先かぼくが逝くのが先か、否、フリップを見送ってからぼくも逝く、という覚悟。そういう気持ちがぼくの内面に厳然とある。

 ぼくがキング・クリムゾンの音楽と出会ったのは13歳と14歳の間のどこかだったと思う。13歳のぼくは友達の影響で、グランド・ファンク・レイルロードの「孤独の叫び」を買った。ぼくが買った初めてのロックのシングル・レコードだった。それからヒットチャートを聴くようになり、当時ヒットしていたELP(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)の「ナットロッカー(くるみ割り人形のこと)」が好きになった。それで、ELPの「トリロジー」というアルバムを買った。これがぼくが初めて買ったアルバムだった。ELPグレッグ・レイクに惹かれるあまり、ELPを結成する前にレイクが所属していたキング・クリムゾンに興味を持った。偶然、友人のお兄さん(高校生)が、クリムゾンのライブアルバム「アース・バウンド」を持っていて、それをカセットテープに録音させてもらい、収録されている「21世紀のスキッサイドマン」とか「船乗りの歌」にぞっこんになってしまった。それで、お金をためて、クリムゾンのデビューアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」を買ったんだ。最初は、「アース・バウンド」における「21世紀のスキッサイドマン」と演奏の違いに戸惑ったが、すぐに大好きなアルバムになった。「エピタフ」や「ムーンチャイルド」なども名曲だったからだ。

 それから、結局、活動休止までの7枚のアルバムを全部聴くことになった。すべてのアルバムがすばらしかった。

休止後は、フリップとブライアン・イーノの共作である「ノー・プッシーフッティング」とか、フリッパートロニクスのアルバム「レット・ザ・パワー・フォール」とかソロアルバムの「エクスポージャー」とか、パンクアルバム「リーグ・オブ・ジェントルメン」とか聴きながら、クリムゾンの活動再開を待っていた。

そして、1981年、待ちに待った新クリムゾンのアルバム「ディシプリン」が発表され、しかも!来日公演が行われたんだ。浅草で4日連続で公演を観た。本当に涙にむせんだ毎日だった。その日々のことは以前、こんなふうに書いた(もとはこれ)。

ぼくは、連続4日のクリムゾンのライブに行った。ライブはすばらしいものだった。アルバム「ディシプリン」と「ビート」の真ん中の期間で、名曲「ニール・アンド・ジャック・アンド・ミー」の初期バージョンの演奏がされ、もう涙がむせんだ。ぼくらは、ライブの前に浅草「藪そば」で酒を飲み、終わったあとは「神谷バー」で黒ビールと電気ブランを飲んだ4日間だった。

ああ、この頃も飲んでたね。笑。

フリップは、前から兆候はあったものの、このアルバム「ディシプリン」から、スティーブ・ライヒ流のミニマル・ミュージックに傾倒することになった。表題曲「ディシプリン」はギター2本がリフをユニゾンから徐々にずらしていく曲。高校生だったとき、友人が耳コピして、二人でアコギ2本でチャレンジした。1音ずつずれていくときは気持ちいいのだけど、相手のアルペジオに巻き込まれるともう終わり。大失敗となる。十数回のチャレンジで完璧に出来たときはものすごく嬉しかったものだ。ちなみに、日本のバンドで現在、この方法論を実践しているのは、Tricotだと思う(他にもいるのかもしれないけど)。

 ぼくは13歳か14歳からもう50年もクリムゾンを聴いている。これはすごいことだと思う。そんなバンドは他にはいない。「人生のバンド」とはまさにこのことだ。ぼくの人生の大部分は、クリムゾンとともにある。こんな奇跡的なことがほかにあるだろうか。

 

 

 


酔いどれ日記6

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 今日は残っていたリースリングを1杯飲んで、赤にシフト。ボーヌロマネ2018。勤務先の近くのワインショップが1割引き券をくれたので、思い切って買った。懇意にしてる店員さんのお勧めなのもあって。ぼくにはワインの知識も自信もほとんどないので、基本的に信頼できる店員さんの勧めてくれるものを購入する。行くたびに、このあいだのは美味しかった、とか、コスパは良かったね、とか、すっぱかった、とか匂いが良かったとか伝え続けると、自然とぼくの好みを把握して勧めてくれるようになってくれる。決して、高いワインを売りつけようとはせず、いろんな価格帯のワインを紹介してくれるから信用できる。

 今は、TK from 凜として時雨のブルーレイをかけながらこれを書いてる。あるときから、男の歌声をうけつけなくなったぼくの体だけど、TKだけはなぜか聴くことができる。

 今夜は、また、村上春樹の小説のことを書こう。

『女のいない男たち』文藝春秋を、3編読み進めた。エアロバイクをこぎながら、一日に一編ずつ読んでいる。『独立器官』『シュエラザード』『木野』の三編を読んだ。

みんな面白いけど、三編を競わせて軍配をあげるなら、やはり、『木野』だな。春樹さんらしい幻想小説だから。

 『独立器官』は、主人公が親しくなる整形外科の開業医の話。いわゆるドン・ファン的な男で、女には(というかセックスには)不自由せず、患者の女性たちとの情事を楽しんでいる。女性たちは独身もいるし、既婚者もいる。その開業医が結局は破滅する物語。それはいい年をして、生まれて初めて恋に落ちてしまうからなんだよね。それもひどくつまらない女に。この小説も非常に緻密に構成されているんだけど、ぼくにはちょっと物足りなさがあった。まあ、これも年の功で、そういう「高齢でかかる麻疹」みたいなのをよく見てきたから。「思い入れだけの恋愛」とか「相手に幻想をかぶせる恋愛」とかは、中高生のうちに済ませておかないといけないんだ。大人になってからだと重症化する。そういう人を身近に数人目撃した。はたで見てると、「ばかなんじゃないの」とさえ思うんだけど、本人は深刻なんだ。そういう麻疹はぼくは中高生で済ませた(酔いどれ日記1参照)

『シュエラザード』は、変な癖(もちろんやばい悪癖)を持った女の話。非常にありそうな話で感心した。その悪癖は、かなり荒唐無稽なんだけど、実話のように書かれている(いや、どっかで聞いた実話なのかもしれないけど)。主人公の男の正体も、悪癖女の素性も最後までぜんぜん判明しないんだけど、それがまた、物語に深みを与えている。

『木野』は、妻の浮気が発覚して退職してバーを始めた男の話。木野は、その主人公の名前だ。前半は、そのバーで起きるできごとが淡々と描写される。店の片隅でウイスキーの水割りを飲みながら本を読む常連客の神田が、大きな伏線となっている。後半は、どんどん幻想的になっていく。最後は、春樹流が炸裂する。物語はどんどん発散していく。

この短編『木野』のテーマを一言で言うのは難しいけど、村上春樹がずっとテーマとしてきている「禍々しいもの」がその一部だろう。あともうひとつ、「正しい選択とは何か」という問題。そういう意味では、初期の短編に通じるものがある。『パン屋再襲撃とか『品川猿』とか『めくらやなぎ、と眠る女』とか。この三編にぼくが何を見ているか、というのは『数学で考える』青土社あるいは『数学的思考の技術』ベスト新書に収録している『暗闇の幾何学で論じているので、それで読んでほしい。この評論は、もともとは、文芸誌『文学界』に寄稿したものだ。このようにぼくの中での村上春樹は一貫したテーマを拡張しながら繰り返し物語にしてる。

 村上春樹とぼくが共有している、と思われるのは(勝手に思っているだけなんだけど)、「地下鉄サリン事件とは何だったのか」ということだ。村上春樹は、この事件を追って、アンダーグラウンド『約束された場所で』というインタビュー集を作った。前者は地下鉄サリン事件の被害者になった人々に、後者はオウム真理教の信者にインタビューしたものだ。ぼくにとって衝撃だったのは、後者だった。オウム真理教の信者たちはインタビューの中で、自分たちの信教(あるいは信念)が絶対に正しいという立場を表明している。そして、それを理解しない一般人(あるいは教徒以外の人々)は単なる低脳人間なんだ、と見下している。しかし、彼らがよりどころにしている麻原彰晃(あるいは松本智津夫)の教義(あるいは理論)は、ぼくら読者には(普通の人間には)さっぱり理解できない。でも彼らは自信満々だ。

ここで立ち塞がるのは「正しさとは何か」ということだ。こう言い換えてもいい、「自分とオウム信者はどこが違うのか」。たしかに、彼らは地下鉄でサリンをまいて人殺しをした。ぼくらはそんなことはしない。でも、だからぼくらは正しいのだろうか?ぼくらは彼らと同じような人殺しをずっとしない保証があるんだろうか。村上春樹も同じ難問を抱えた気がするんだ。「悪とは何か」「正しいとは何か」。これを「外側から判断するすべはあるのか?」。

もちろん、「外側からの回答」は原理的に不可能なのかもしれない、とは思う。でも、だからと言って、逃げてはいけないとも思うんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

酔いどれ日記7

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今日は、赤ワインを飲んでる。カオール。安いけど、なかなか美味しい。コスパで考えるとかなりいい。

今夜は、大学1年生の頃の一般教養の講義の話を書こうと思う。

一般教養の講義として何を履修したか、今となっては定かな記憶ではないが、東洋史、論理学、法学、近代経済学だったような気がする。どれも、大教室の講義で、どれもあんまり出席しなかった。教室に遅刻していくので、後ろのほうの席しか空いておらず、たいてい最後列に座った。

最後列なので、教員の視界には入らないだろう、ということで、ほとんど推理小説を読んでいた。それも、暇じゃないと読めないような大部の小説だった。四代奇書と呼ばれる推理小説を選んだ。中井英夫『虚無への供物』夢野久作ドグラ・マグラ小栗虫太郎黒死館殺人事件久生十蘭『魔都』だ。

これらの奇書は、浪人して予備校に通ってた頃に知った。予備校で親しくなった人がミステリー狂で、彼から推理雑誌幻影城を教えてもらった。当時の『幻影城』には、泡坂妻夫さん、連城三紀彦さん、竹本健治さんなどがデビューしており、新本格派というか変格派というか、そういうミステリーを知ることになった。彼から聞いて、四代奇書を知ったが、これらはみんな大作なので、浪人時代には封印し、「大学に合格したら読もう」と誓ったのだった。

だから、大学に入学して晴れて読み始めた。一般教養の講義の最後列で。

『虚無への供物』は、衝撃の超傑作だった。もう、講義が耳には入らないほどにのめりこんでしまい、帰宅してから一気に読んで、涙を流し、翌日は大学に行かなかった。翌日だけじゃなく、数日休んだかもしれない。

ハウ・ダニエットとしてもフー・ダニエットとしても優れているが、驚天動地なのは、ホワイ・ダニエットとしての推理小説だということだ。古今東西、こんな「動機」を考えついた推理作家がいただろうか。ここに来て、「虚無への供物」というタイトルの深い意味が飲み込めて感涙になる。

テレビドラマ『虚無への供物』も一応観たのだけど、深津絵里さんが主役をやっていてなかなかだったんだけど、ドラマ自体は原作を体現できてはいなかったと思う。まあ、やろうとしただけで立派だったとは言えるが。

調子にのって次に読んだのは、ドグラ・マグラだった。これもとんでもない小説であり、推理小説と呼べるのかどうかもわからない。この小説の真骨頂はやはり、「小説中小説」という仕掛けによって、「無限」を創出していることだろう。この点については、拙著『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫で、ホルヘ・ルイス・ボルヘスアレフとともに論じているので、是非、読んでほしい。ボルヘスは、数学的な小説を多く書いた、というか、どの小説も数学的であることで有名な作家である。

黒死館殺人事件は、本当に物語の内容がわからなかった。講義中に読んでるから集中できなくてわからないのか?と思って、講義を休んで家で読んでみたが、相変わらず、さっぱりわからなかった。一文一文は意味が通るのだが、つなげると何を言っているのかさっぱりわからない。でも、それでも非常に魅力的で、結局、最後まで読んでしまった。小説の中では「意外な犯人」と主張されているのだが、何が意外なのか、理解できなかった。とは言え、この小説には悪魔的な魅力があり、四冊のうち、今もう一度読むとしたら、この黒死館殺人事件だろうと思う。いつか、再チャレンジするつもり。

『魔都』を最後に読んだのだけど、講談調の語り口調で、最も読みやすく、最もわかりやすく、ものすごく上手な小説であるが、四冊の中では最もインパクトが薄かった。

 一般教養の講義で最も思い出深かったのは、東洋史だった。左翼系の東洋史家の先生で、話がすごく巧かった。余談も多く、興味深い内容だった。ひとつ覚えているのは、「革命前の中国がいかに貧富の差がひどかったか」という話だった。庶民にとって塩が稀少財だったため、鍋のスープを全部飲まず、乾かして塩を抽出して再利用している一方、王は、好きな時間に命じて、好きな料理をいくらでも即座に作らせることができたという。「そんな貧富の差があれば革命が起きるのは当然だ」と先生は断じた。

ところが、何回か休んでいるうちに、なぜか途中で教室変更になり、久しぶりに行ったら教室はがらんどうだった。トンチキなぼくは、変更先の教室を発見するすべがなく、結局そのあと一度も出席しなかった。

 期末テストになったとき、ほとんど諦念の気持ちで教室に入った。驚いたことに教室には先生の姿はなく、すべての席に問題用紙が一枚ずつ置かれていた。空いている席について、問題文を見ると、「あなたとアジアについて、その関わりについて書きなさい」とだけあった。問題文を読んでぼくは「どうしたものか」と思案に暮れた。「あなたとアジア」というテーマに、ある種の書くべき指針を先生は講義中に示したのかもしれない。だとすれば、休み続けたぼくには何も書けない。どうしよう。

でもぼくは、どうせ受験に来たのだから、ダメ元で何か書いて行こうと考えた。

 ぼくとアジアの関わり??ぼくは回顧をめぐらせた。正直に書くとすれば、それは在日の人々との関係になるだろう。ぼくが少年時代を過ごした地域には、在日韓国人の人々や在日北朝鮮の人々がかなりいた。だから、友達にも少なくなかったし、睨みをきかせて敵対してくる近所の子供もいた。ぼくにとって、在日の人々は日常的な存在であり、子供ながらに何かを感じざるを得ない存在でもあった。

ぼくは、解答用紙に、そんな前置きを書いた上で、丸山薫の詩を引用することにした。その題名も「朝鮮」という名の詩だった。

それはこんな詩だ。姫が魔物に追われて逃げている。彼女が逃げながら、櫛を投げるとそれが山になって魔物を遮る。魔物は乗り越えて追ってくるので、今度は巾着を投げる。巾着は池に変わり、魔物の邪魔をする。けれど魔物は苦も無く乗り越える。それで、姫は靴を投げる。こんなふうに姫は身につけているものを次々に投げていく。ぼくは、この姫の姿が朝鮮の姿だ、と答案に書いた。

ぼくは書きたいことを正面から書いたけれど、単位を取るのは諦めていた。でも、意外にも、合格して単位をいただいた。しかも、最優秀のAという成績だった。なんとも言えずこそばゆい気持ちになった。

もちろん、その先生がどの答案も読まず、全員にAを付けた可能性も否めない。なぜなら、翌年にその講義をとった友人が、「`仏'だと聞いたから履修したのに、たくさんのD(不合格、学生はドラと呼んでいた)を出し、撃墜された」と言ってたからだ。その年は定年で退官する最後の年だったから、置き土産のつもりだったのだろう。とすれば、単にぼくにはツキがあっただけなのかもしれない。

 

 

 

 

酔いどれ日記8

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今日は、白ワインのシャブリを飲んでいる。すごく冷えているんで喉ごしはいいんだけど、この酸っぱさはやっぱりちょっと苦手だ。

エアロバイクをこぎながらの読書は、村上春樹については一冊読み切ったので一段落し、また数学書に戻った。今日は数理論理学の専門書、田中一之『数の体系と超準モデル』裳華房を再読していた。チューリング・マシンについて復習したいからだ。復習したい理由は別の機会に書く。

この本の、オートマトンの初歩の例の中に、「3の倍数を2進法で表した数だけを受理するオートマトン」というのが出てくる。前に勉強したときは、「ふ~ん」という感じに読み飛ばしたんだけど、今回は気になって証明を考えてみた。(本には証明は書いてない)。通勤の電車の中で考えて、少し時間がかかったけど、うまくできたときはちょっと嬉しかった。わかってみると、非常に巧妙にできたオートマトンだ。(昔のエントリー、オートマトンの食べ方も参照のこと)

 さて今日は、昔に大学祭で観たライブについて書こうと思う。「フォークの神様」と呼ばれた岡林信康さんのライブだ。

このライブを観たのは、入学した年の五月祭だった。記憶では、キャンパスにテントを作り、その中にステージがあったように思う。岡林は、ぼくらより一世代上の人たちが崇拝するシンガーだった。学生運動の象徴とも言える人。反戦歌とか、差別問題を扱った歌とか、革命を願望する歌とかを作った。

 岡林の歌を初めて知ったのは、中学生のときだったと思う(ひょっとすると小学生だったかもしれない)。(どっちにしても)音楽の先生が若い新任の女性で、「友よ」という曲の歌詞をガリ版刷りで配って、生徒たちに歌わせた。そのときには、これが社会変革を求める反体制の歌だとはみじんも思わなかった。(それにしても、なんで彼女はこんな曲を取り上げたんだろうか)

その後、友人の家でレコードを聴かされ、とりわけ、「山谷ブルース」という日雇い労働者の悲哀を描いた歌とか、「手紙」「チューリップのアップリケ」など部落差別を扱った歌を知って衝撃を受けた。

 でも、五月祭のときのライブで岡林が歌ったのは、「転向後」の曲ばかりだった。彼はあるとき、シンガー生活を投げ出して、「下痢を治しに行ってきます」という書き置きを残して、山にこもり、農業をすることになった。しばらくして、復帰し、アルバムを作ったが、人が変わったように昔の面影はなかった。演歌にシンパシーを持ったみたいだった。だから、五月祭のライブでは、彼は、反体制の歌も、革命の歌も、一切歌わなかった。

 岡林の曲で、一番歌詞がすごいと思ったのは、初期の曲「私たちの望むものは」だった。この曲は、「私たちの望むものは~ではなく、私たちの望むものは~なのだ」と「~」のところを入れ替えながら繰り返される歌詞である。例えば、「私たちの望むものは生きる苦しみではなく、私たちの望むものは生きる喜びなのだ」から始まり、「私たちの望むものは社会のための私たちではなく、私たちの望むものは私たちのための社会なのだ」と続き、「私たちの望むものはあなたを殺すことではなく、私たちの望むものはあなたと生きることなのだ」と展開していく。そして、鳥肌が立つのは、後半、歌詞が逆転していくところだ。どきっとなる歌詞だ。

 面白いことに、(そう言っていいかどうかわからないんだけど)、アルバムのサポートバンドをやったのは、デビューしたての「ハッピーエンド」だった。ハッピーエンドは、細野晴臣大瀧詠一松本隆鈴木茂から成るすごいバンドだ。後に、日本のロックの一時代を作り上げたと言っていい人たちである。はっきり言ってしまえば、岡林よりずっと高い音楽性を備えた人たちだった。そして、(たぶん)、彼らは学生運動とはあまり関わりがない。その彼らが、岡林のサポートをやっていたというのは、なんとも奇妙というか、時代のなせる奇遇というしかないと思う。

 ぼくは、岡林の曲をギターで弾き語りがしたくなり、コード譜付きのスコアを買った。そのスコアには、スコアとして非常に珍しいことに、巻頭に詩が掲載されていた。岡林作の詩ならわかるのだがそうではなかった。

 その巻頭の詩は、芥川龍之介のものだった。ネットで調べたところ、『或阿呆の一生』三十三 「英雄」が出典で、「レーニン」をモチーフにしたものらしい。

 

 

 

 

酔いどれ日記9

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今日は、赤ワインのロッソ・ディ・モンタルチーノを飲んでる。ぶどうはサンジョヴェーゼ。イタリアワインのぶどう品種では、ぼくはサンジョヴェーゼが一番好きだ。

 さっきまでゼミ生とスタジオで録画撮りをしていた。今年もゼミライブをライブハウスで実施することができず、結局、動画制作をすることになった。ゼミ生たちの就活の都合もあるので、たった2回のスタジオ入りで撮影せざるを得なかった。まあ、それでも、伝統イベントを繋いだ、ということで一安心。

 今夜の日記では、昨夜に観た原一男監督のドキュメンタリー『全身小説家について書こうと思う。

 この映画は、小説家・井上光晴の晩年5年間を撮影したドキュメンタリー映画だ。井上光晴は、左翼系の小説家で、数々の優れた小説を書いた。映画は、井上の交友関係、講演会、小説作成教室、読書会などを取材して編集したもの。途中に、彼の幼少期の記憶を再現したイメージ映像を差し挟んでいる。

 親しい作家仲間として、埴谷雄高野間宏瀬戸内寂聴が出演している。井上光晴は若い頃にいくつか読んだ作家だが、本人の実像はけっこう意外だった。豪傑で、エネルギッシュで、多弁な男だった。一方で、埴谷雄高は物腰が柔らかく、知的で、冷静な人だった。これも意外な人物像だった。

 井上が小説の修行中の人たちを指導するシーンや、雑誌に掲載されている他人の作品を品評するシーンがあり、井上の小説観や作法が垣間見られて興味深い。前に酔いどれ日記4で書いたように、小説というのは単に感性やセンスで書くものではなく(もちろん、それらも必要だが)、緻密な計算で書くものだ、ということを再認識させてくれる。

 井上が語る井上の少年期を、イメージ映像として投入したのは、ドキュメンタリー映像としては珍しいことだが、後半になるに従って、その理由がわかってくる。これも見所の一つだ。

このイメージ映像は、(たしか)、劇団・燐光群の役者さんたちが演じていてびっくりした。燐光群は、20年ぐらい前に何度も観た劇団だ。劇作家の坂手洋二が社会派の、それでいて前衛的で、かつ芸術的な舞台を生み出す劇団だ。とても奇遇に思った。

 ドキュメンタリーの中で、たくさんの女性が、いかに井上光晴が魅力的な男で、自分がどんなに恋愛感情を抱いたかを語っている。要するに彼はモテ男なのである。それでちょっと思い出されることがあった。

 映画を観始めてすぐに感じたのは、井上の方言が「どこかで聞いたイントネーション」と思ったことだった。井上の故郷が長崎県佐世保とわかって、記憶が像を結んだ。昔に、このイントネーションそのままの男性を一人知っていたのだ。それは、数教協(数学教育協議会)のXさんだった。

 数教協とは、数学の教え方を相互に学び合う先生方の非公的な団体だ。小学校の先生から大学の先生まで幅広い学校の先生方が手弁当数学教育の議論をする。創始者は数学者・遠山啓先生である。遠山の数学教育や思想については、拙著『数学でつまずくのはなぜか』講談社現代新書『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫で読んでほしい。ぼくは、数学教育にも、抽象数学の理論や哲学が必要であることを遠山から学び、実践している(つもり)。

ぼくは30代前半の一時期、数教協の海外研修に3回ほど参加した。それは、ヨーロッパの学校見学をメインに、ついでに観光をする旅行だった。その旅行でいつも一緒だったのがX先生だった。X先生は佐賀県の小学校の先生だった。豪傑ながら優しさもあり、進歩的ながら旧態依然とした男尊女卑の雰囲気も備えている人だった。そのXさんのイントネーションや話し方が井上光晴のものとほとんど同じだったのだ。

面白いことに、Xさんも女性にすごくモテる人だった。Xさんを慕って、九州地区からたくさんの女性の先生が研修旅行に参加しており、みんながXさんをハートマークな目線で見ることに驚かされた。偏見かもしれないが、九州の男と女の間には、ぼくには及びもつかない「暗号性言語」があるのかもしれない、と思ったものだった。『全身小説家』で女性たちが語る井上への恋情も、そういう「暗号性言語」のなせる技だったのかもしれない。

 ぼくが井上光晴の小説を初めて読んだのは高校生のときだったと思う。たぶん、国語の先生(酔いどれ日記2でのO先生)の推薦だったと思う。そのときに読んだのは、『地の群れ』だった。これは(記憶では)、被爆者、被差別部落民、在日朝鮮人という虐げられた人たちがいがみあう、という、とてもいたたまれない小説だった。「なんで、どういうつもりで、こういう小説を書くんだろうか」と思ったものだった。高校卒業後に、『ガタルカナル戦詩集』を(たぶん)読んだ。『他国の死』は長い間本棚にあったが読んだ記憶がない。今の本棚にはないから、たぶん読まずに捨てたのだろうと思う。井上光晴がどういうことを描きたいのかは理解できたつもりだし、優れた作品なんだろうともわかったけれど、どうしても小説として好きになれなかった。

埴谷雄高も左翼系の作家で、高校生のとき、左翼かぶれの友人が心酔していた。ちょうど、大作『死霊』が刊行された頃で、ぼくも購入したが結局は読まずじまいで、今の本棚にはなくなっている。友人が「死霊はシレイと読むんだぞ」と自慢げに語っていたのを今でも覚えている。今、ネットで調べたら、その後も『死霊』は書き続けられたらしい。それは知らなかった。ときどき行くワインバーで、たしか埴谷雄高貴腐ワイン・シャトー・デュケムを飲んでいる写真を観たと思うので、調べてみたのだけど、「貴腐ワイン通」という情報は見つかったがシャトー・デュケムについての記載は発見できなかった。シャトー・デュケムは、ぼくが死ぬほど好きなワインで、高くてほんのときどきにしか飲めないのだけど、死ぬ前に一杯だけ何か飲んでいいと言われたら、間違いなく迷いなくこれを選ぶと思う。

 

 

 

 

 

酔いどれ日記10

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 今は、イヴに飲んだボーヌ・ロマネの残りを飲み干し、サン・ジョセフの赤ワインを飲んでる。

 中高生の頃、クリスマス・イヴの夜にはディケンズクリスマス・キャロルを読むのを習慣にしていた。いろいろな出版社の文庫で、異なる訳本が出版されていたので、毎年違う訳者の訳本で読んだのだった。

 『クリスマス・キャロル』はすごく好きな物語だった。クリスマスに従業員を働かせる守銭奴の主人公スクルージを、死んだ共同経営者のマーレイの幽霊があの手この手でこらしめて、スクルージがそれに諭されて改心する話だ。こんなすばらしい話はない。

 むかし、アルバイト先の塾の社長が、イヴの夜に講義を設定しようとしたとき、同僚の大学生が「イヴの夜に仕事をさせられるなら、ぼくは今すぐに退職します」と言ってのけて、ぼくは心の中で喝采を送ったものだった。

 大学生になってからは、イヴの夜には友達とパーティをするようになり、本を読む習慣はなくなってしまった。それはそれで楽しいイヴの過ごし方だけど、読書のイヴも今となっては思い出深い。

 高校3年だったか浪人生のときだったか忘れたが、『クリスマス・キャロル』の手に入る訳書をすべて読み尽くしてしまっていたため、やむなく別の本を読んだことがあった。ヴェルコール『海の沈黙』岩波新書だった。なぜ、この本を買ったのかよく覚えていない。尊敬していた高校の現国の先生2人のうちのどちらかに勧められたのか、あるいは左翼系の友人が読んでたからかもしれない。

 このことを思い出したので、昨夜(イヴ)の読書はヴェルコール『海の沈黙』にしてみた。ものすごく久々、40年ぶりくらいの再読だった

 この小説は、フランスの抵抗文学のひとつだ。時は1941年、ナチス占領下のフランスの話。ドイツ軍の将校が、占領しているフランス家庭に寝泊まりするようになる。その家には、主人公の老人と姪が暮らしている。ドイツ将校は、二人にいろいろなことを語りかけるが、主人公と姪は、一切返事をしない。一言も話かけない。将校をあたかも幽霊のように扱う。それは、自国を蹂躙するドイツへの頑な抵抗の所業だった。

 したがって、物語は、将校の独り言で進んでいく。主人公たちの気持ちは、主人公の独白で読者に伝えられる。将校は、自国での職業は作曲家であり、あらゆる芸術に造詣が深い。だから、蕩々とフランス文化への尊敬を語り続ける。バルザックボードレールプルーストの名をあげる。しかし、主人公と姪は、一切、反応をしない。

将校は、このナチスの占領が、ドイツとフランスの「幸せな結婚」を意味すると根拠ない妄想を抱いていた。しかし、あるきっかけから、そうではなく、ナチス・ドイツのフランスへの単なる蹂躙であるという現実を思い知ることになる。単なる野蛮な所業だということに衝撃を受ける。

 ぼくが10代でこの小説を読んだときは、主人公たちが最後まで抵抗し、一言も言葉を発せず、将校が前線に志願して、彼らのもとから去るときに初めて、「ご機嫌よう」と一言だけ言うのだと記憶していた。しかし、今回読んでみて、そうでないことがわかった。

と言うか、今回読んでみて、主人公と姪のいろいろな心の葛藤が描かれていることに気がついた。ドイツ将校に対して、実に複雑な心理変化を描いていることがわかったのだ。とりわけ、姪と将校に特殊な関係性が育まれていく様子がきめ細やかに描写されていたのである。当時は素朴な少年であったぼくには、「沈黙=抵抗」としか読めていなかったのだ。やはり、小説というのは、単純な「論理構成物」ではなく、もっと深みのあるものだと再認識することになった。

 何歳になっても、クリスマス・イヴは特別な夜だ。これは死ぬまで続くことになるに違いない。これからのイブが、どんな夜になるのか、それがとても楽しみではある。来年のイヴは何を読んでいるだろうか。

 

 

 

 

素数の分布になぜ偏りがあるのか?

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 今回のエントリーは、今年最後ということで、数学のことをを書こう。テーマは、「素数の分布に偏りが見られる理由」である。

 ディリクレの研究によって、素数を「割った余り」で分類しても、極限で見るかぎり、その割合はみな同じであることがわかっている。

例えば、素数を末尾で分類する(10で割った余りで分類する)と、2と5を除けば、どの素数も末尾は1, 3, 7, 9のいずれかだ。そして、x以下の末尾1の素数の割合、x以下の末尾3の素数の割合、x以下の末尾7の素数の割合、x以下の末尾9の素数の割合は、xを無限に近づけるとき、みな1/4に近づく(均等に近づく)のである。これを「ディリクレの算術級数定理」と呼ぶ。(どの末尾の素数についても無限個存在する、という証明は拙著素数ほどステキな数はない』技術評論社を参照のこと)

このことは数値計算でも見てとれる。実際、100000000番目までの素数を分類すると、末尾1は24999437個、末尾3は25000135個、末尾7は25000401個、末尾9は25000027個となっており、ほぼ4分の1ずつの均等になっている。他方、連続する素数(隣り合う素数)の末尾の組で分類してみると、見逃せない偏りがあることがOliver&Soundrarajanの論文で報告されている。これについては省略するので、詳しくは、素数ほどステキな数はない』技術評論社を参照してほしい。

しかし、今回紹介するのは、Oliver&Soundrarajanの偏りではなく、「チェビシェフの偏り」と呼ばれるものである。ぼくはこれを知らず、小山信也先生のyoutubeでの講演動画、「チェビシェフの偏り」の解明と一般化、で初めて知った。

「チェビシェフの偏り」とは、19世紀の数学者チェビシェフが見つけたもの。例えば、x以下において、4で割った余りが3の素数のほうが、余り1の素数よりたいてい多い、という現象のことだ。講演によれば、26861未満では常に余り3の個数の方が余り1の個数以上であり、26861で初めて逆転するが、その後すぐにまた余り3の個数の方が多くなり、それが長く続くのである。

この「チェビシェフの偏り」は、「ディリクレの算術級数定理」と食い違っているように見えるが、そうではない、というのが、小山先生と共著者の最新の発見なのである。小山先生によれば、それは「リーマン予想」から説明できる、という。

 「リーマン予想」については、以前、「シン・リーマン予想」というタイトルでエントリーしてあるので、詳しい解説はそちらで読んでほしいが、要するにリーマン予想を強めた予想のことである。リーマン予想とは、「ゼータ関数の虚の零点の実部がすべて1/2」という未解決の予想であるが、「深リーマン予想」とは、「実部が1/2の複素数オイラー積が条件収束する」という予想である。「深リーマン予想」⇒「リーマン予想」ということが証明されている、つまり、「深リーマン予想」が証明できれば、それから「リーマン予想」が正しいことが示されることから、「深」と冠付けられているのだ。(ぼくは庵野監督にならって、シン、とすることを提案している。笑)。

小山先生のyoutubeのレクチャー「チェビシェフの偏り」の解明と一般化では、「深リーマン予想」が正しいとすれば、「チェビシェフの偏り」が数学的に証明できることを説明している。そして、その説明はめちゃくちゃ明快である。「チェビシェフの偏り」とは、4で割った余りの例で言うなら、「余り3の素数と余り1の素数は、無限まで見れば同数だが、順序的には余り3のほうが相対的に早く出てくる」と解釈できる。そしてそれは、なんということか、「ディリクレのL関数のオイラー積が、実部1/2の複素数で条件収束する」に帰着させることができるのである。詳しくは動画で学んでほしい。きっと、その明快さに目からうろこになると思う。

「深リーマン予想」から「チェビシェフの偏り」が証明でき、しかも、「チェビシェフの偏り」が数値計算からかなり正しい手応えがある、ということは、「深リーマン予想」が正しいという傍証となる。したがって、今回の小山先生と共著者との結果によって、「深リーマン予想」の信憑性が高まったということができるだろう。また、このような研究の仕方は、数学研究の良い模範になるに違いない。

 

 

 

 

酔いどれ日記11

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今夜はコート・デゥ・ローヌの赤ワイン。今回は、PKディックSF小説のことを書こうと思う。

ディックの小説を初めて読んだのは、20代の中盤だったと思う。高校のときの親友が京都大学に進学して、そこで劇団の活動をしてた。親友が劇団で知り合った人の中に、SF小説SF映画に詳しい人がいて、親友もその人の影響でディックを読んでいた。ぼくはその二人からディックを紹介され、はまることになったんだ。

最初に読んだのは、たぶん、『火星のタイムスリップ』だったと思う。この小説には心底びっくらこいた。タイムスリップものとは言っても、そのタイムスリップの仕方がすごいんだよね。自閉症の子供は、心の中の時間の流れと現実の(外部の)時間の流れがずれているために自閉に陥る、と設定されていて、その時間の流れのズレを利用してタムスリップするという、とんでもない発想。そして、サラリーマンの主人公は、つまらない失敗をやり直したいがために、自閉症の子供の心の中に入り込んで時間を遡ろうとして、悪夢のような時空にはまってしまう、という話。

このあとに読んだのが、かの有名な『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』。映画「ブレードランナー」の原作となった小説だ。これは、火星で苦役を強いられているアンドロイドが地球に逃亡するので、それを始末する殺し屋の話である。アンドロイドはほとんど人間とそっくりなので、見分けるのに特殊な技術(テスト)が必要で、見抜いて抹殺すれば報奨金を得られるが、間違って人間を殺してしまうと殺人犯になってしまう。

この小説で最も面白いシーンは、主人公が自分自身もアンドロイドではないか、と疑って、自分で自分をテストするシーンだ。これは、「自然数論は自分自身が無矛盾であることが証明できるか」というゲーデルの第2不完全性定理を想起させるし、心を病んだものが自分が病んでいることを自覚できるか、という精神医学の問題にも抵触する。

このテーマに関して、30年くらい前、コンピューターに詳しい知り合いから面白い話を聞いた。(この話は一度エントリー済みかもしれないが、まあいいじゃん)。あるワープロソフトは、自分がオリジナルかコピーソフトで複製されたものかを判定するプログラムを内蔵している。もしもそれが複製されたものだと、3ヶ月ぐらい使ったあたりで「これは違法に複製されたものです。オリジナルを購入してください」というメッセージが表示されて、それ以降、使えなくなってしまうという。3ヶ月ぐらい使うと、そのワープロに慣れてしまうため、別のソフトに変更する気にならず、やむなくオリジナルを購入する、という仕掛けなのである。

ところが、これがうまくいかなかった。なぜかというと、オリジナルなのに、複製であるというメッセージが出ることが、頻出したからなのだ。オリジナルでも、(当時はフロッピーディスクだった)、ちょっとした傷や摩耗があると複製だと誤認してしまうという。ぼくはこの話を聞いたとき、「これって、ディックじゃん」って思ったものだった。

ぼくはディックの小説を、たぶん、20冊以上読んだと思う。時々、つまらない作品やはちゃめちゃすぎてついていけない作品をあったけど、だいたいの作品は面白かった。

ディックの大きなテーマは、「目の前の時空間の崩壊」なんだけど、とりわけ麻薬によるそれは面白いものが多かった。中でもいまだに鮮烈に覚えているのは『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』という作品だ。主人公は、チューZという強力な麻薬を使って幻覚世界に入り込む。そこは現実世界のわずかな時間の間に永遠もの時間を経験できる。過去や未来にも行き来できる。ところが、そこは実は悪夢のような世界だった。パーマー・エルドリッチという男が君臨し、自由自在に世界を作り変えることができるのだ。パーマー・エルドリッチは、義眼と義歯と義手という三つの聖痕を身につけて、どの空間、どの時間にも存在していた。

この小説は、麻薬トリップしているときの記述が卓越であり、読者をもバッド・トリップの迷宮に誘いこんでしまう迫力がある。そういう意味で、ぼくにとって、ディックの中でもものすごく好きな作品の一つだ。

パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』があまりにも好きすぎて、ぼくは昔、受験雑誌『大学への数学』にパロディ小説を書いてしまった。それは「クンマー・エルドリッチの三つの正根」というタイトルの小説だ。

このパロディ小説は、ドラッグを使うことで複素数を使えるようになった受験生が、いくつかの受験問題を複素数によって簡単に解けるようになった一方、悪夢のような魔窟にはまってしまう、というストーリーである。それは、ある与えられた3次方程式に3つの正根があることが明らかなのに、それを求めようとすると虚数\sqrt{-3}が根の表記に現れて、どうしても消えなくなるという魔窟だったのだ。

この不可思議な現象は、簡単に言えば、3次方程式のガロア群の性質によるものなんだけど、詳しくは拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社を参照してほしい。

クンマーとは、「フェルマーの大定理」に対して、初めて一般的な結果を与えた19世紀の数学者の名前だ。「フェルマーの大定理」は、ご存じのように、「n≧3のとき、x^n+y^n=z^nを満たす自然数x,y,zは存在しない」というものだけど、nが正則な素数(あるいは正則な素数で割りきれる自然数)については定理が成り立つ、という結果を証明したのだ。(正則素数については説明が面倒なので、ものの本にあたってほしい)。クンマー等の研究によって、円分体(1のべき根を有理数に加えた体)で定義される整数に類似した世界では、素因数分解の一意性が成りたたないことが判明した。これもバッドトリップの魔窟である。

リドリィー・スコット監督の映画「ブレードランナー」は、ディックの原作とはだいぶ面持ちの違う作品だけど、名作であることは疑いないので、未見なら観たほうが良いと思う。ぼくがこの映画を初めて観たのは、原作を読んだあとだった。カーペンター監督の『遊星からの物体X』と二本立てで観た。最初に物体Xを観て、あまりのすごさ(ひどさ)に頭が痺れてしまって、大丈夫だろうかと案じたけれど、「ブレードランナー」はその麻痺感覚をきれいに清浄したうえで、切ない気持ちになる感動を与えてくれる映画で、見まごうことなき名作だった。

ディックもブレードランナーも物体Xも、その京都大の人の勧めで知ることができた。その人は数年前に夭折したと人づてに聞いた。影響を大きく受けた人だけに、とても残念な気持ちになった。

 

 

 

 


酔いどれ日記12

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今夜は南アフリカのCageという白ワインを飲んでる。たいした価格ではないが、特有の苦みがあって好みの味だ。

 今回は、ちょっと調べたいことがあってたまたま拾い読みした、中山幹夫『社会的ゲームの理論』勁草書房から面白いネタをエントリーしようと思う。この本は、ゲーム理論がどのように社会の分析に役立つかを網羅した本だ。

 第1章はゲーム理論誕生の歴史を解説している。もちろん主役はフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンだけど、フランスの数学者のエミール・ボレルも登場する。ボレルは、「ボレル集合」で有名だ。ボレル集合とは、ルベーグ積分(高校で習う積分は、リーマン積分だが、それよりもいろいろ操作性の良い積分理論)で、「測度」を定義するのに利用される概念である。ルベーグ積分は、測度論的確率論の土台となる。(測度論的確率論の意味合いについては拙著『確率を攻略する』ブルーバックス参照のこと)。

 そのボレルが、実はゲーム理論の研究を発表している、という事実が中山先生の前掲の本に書いてあった。ボレルは「じゃんけんの一般化」を考え、「混合戦略」を定義したとのことである。(混合戦略とは、選ぶ手を確率的に変化させること)。そして、フォン・ノイマンの用語で言えば「マックスミニ戦略」にあたる戦略についても分析したそうなのである。(マックスミニ戦略とは、ありうる中で最悪の利得が最大になるように手を選ぶ戦略)。数学者フレッシェは、「エミール・ボレルにこそゲーム理論創始者という名誉を与えるべきである」と訴えたそうだ。(フレッシェはたぶん、その筋では有名なフレッシェ微分の創案者だと思う)。

実際、フレッシェは1953年のエコノメトリカ誌に「エミール・ボレル心理的ゲームとその応用の創始者」と題するレターを寄稿した。これに対して、フォン・ノイマンが返答を掲載しているのだが、それが辛辣なものだったという。ミニマックス定理にたどりつけていないことを否定の材料とし、「フレッシェ教授ともあろう方が、戦略概念の単なる数学定義がゲーム理論創始者の主要な仕事と考えていることに多少の驚きを禁じえない」という皮肉を綴ったそうだ。

 フォン・ノイマンがナッシュの提案したナッシュ均衡について「それは、別の不動点定理にすぎない」と一笑に付した話は有名だから知っていたけど、ここでも同じような所業をしていたのだね。フォン・ノイマンの伝記には、彼の人格が露見するこの手のエピソードが事欠かない。

 学者の世界には、このように「価値判断」の問題は常につきまとう。ぼくも、研究報告で聞いた他人の論文について、心の中で「それほどでもないよな」と思ったものが、とても良いジャーナルに掲載されて、びっくりするとともに自分の批評眼の甘さを実感したこともあった(嫉妬まみれに)。また、自分が論文を投稿したときにも、レフリーによって評価が雲泥になることを経験し、採択・不採択もある種の「運」のなせる技だな、と感じる今日この頃である。

 さて、ぼくは最近、素数ほどステキな数はない』技術評論社を刊行したんだけど、(例えばこのエントリーを参照のこと)、その中で最も重要な参考文献のひとつが、エミール・ボレル素数文庫クセジュだったのだ。この本は、ボレルが確率論的な立場から素数を解説したものだ。初等的に「素数定理」に迫っていることがポイント。素数定理とは、「x以下の素数の個数\pi(x)は、\frac{x}{logx}に漸近する」というものだ。素数は不規則に出現するけど、マクロで見ると、その確率はだいたい\frac{1}{logx}と見なせる、というものである。ボレルはこの定理を、「2n個の異なるものからn個を選ぶ組み合わせ数」の計算を使って説明している。高校生にもわかるぐらいの非常に初等的な議論である。「証明」というにはほど遠いが、それでも、「素数定理」の成立と正しさを信じるに足るほどの見事なアプローチになっている。しかも絶妙に確率論的なアプローチなので感心する。ボレルの才能を垣間見られる。ボレルのアプローチについては、拙著で丁寧に解説しているので、読んでみてみてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

酔いどれ日記13

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今夜はSantenayの赤ワイン。かなり美味しい。

今日は、駒場寮の思い出をエントリーしようかな、と思う。

(今は知らないが)、ぼくが入学した頃の東大は、1、2年生は東大駒場前にある駒場キャンパスで授業を受けた。駒場キャンパスは、旧制一高に代わって作られたキャンパスだ。主に一般教養の講義がなされていた。

駒場キャンパスには、キャンパス内に駒場寮というのがあった。歴史のある寮だ。寮費が信じられないくらい安くて、貧困な学生にはありがたい存在だった。ぼくの所属したクラスは、クラスとして寮の部屋を一部屋確保した。寮費は大学祭(駒場祭)の露天の売り上げで捻出した。その部屋は、講義の合間に昼寝で休んだり、集まって麻雀したり、飲み会で帰れなくなったら宿泊したりするのに使った。とても便利だった。今でも懐かしく思い出される。

ところでぼくが初めて駒場寮に足を踏み入れたのは高校2年のときだった。

何しに行ったかというと、駒場寮の中で密かに行われていた、ある差別問題に関する研究会に参加するためだった。もちろん、その差別問題に興味があったのではない。当時惚れていた女の子に会いたい(体験を共有したい)一心だっただけだ。その女の子とは、酔いどれ日記1に書いたその子である。詳しいことは忘れてしまったが、「大学生たちが集って勉強をしているので、一緒に行ってみない?」とかなんとか言われて、ほいほいと出向いたんだと思う。

その日行ってみたら、到着が早すぎたらしく、彼女はまだ来ていなかった。というか、主催者の東大生一人しかいなかった。それでぼくは、その東大生の寮の部屋でみんなが集まるのを待つことになった。その東大生は(たぶん)経済学科の学生だったのだと推察された。本棚にぎっしりとマルクス・エンゲルス全集と宇野弘蔵著作集の全巻が並んでいたからだ。もちろん、その東大生は別の学科の学生で、単に左翼思想に心酔していただけの可能性もあるけど。

ちなみに宇野弘蔵とは、(よくは知らないんだけど)、日本のマルクス主義研究の第一人者だと思う。市民講座で宇沢弘文先生のゼミナールにいたとき、経済学部卒のおじいさんが、いつも宇沢先生の名前を間違って「宇野先生」と呼んでしまって、そのたびに宇沢先生が苦々しい表情をしたのが可笑しかったものだった。

ぼくは、その東大生の部屋でぼそぼそと会話をしながら、すごく威圧されていた。「東大生ってこんな感じなんだ」と遠い星空を仰ぐような気分だった。別の部屋からは、明らかにプログレッシブロックと思われる音楽が大音響で流れてきた。たぶんメロトロンを使った知らない曲だった。イギリス系のプログレはだいたい知っていたので、フランス系かイタリア系のバンドだったんだと思う。とても良い音響に聞こえたのは、オーディオが良かったのか、駒場寮の反響が良かったのか、それともぼくの緊張感のせいなのか、今となってはわからない。

そのあと、数人が集まって、彼女も登場して、勉強会が始まった。その中に、上記の東大生の親友と思われるMという青年がいた。Mは東大生ではなく、というか、大学生ですらなく、たぶん浪人生かあるいは革命分子だったのだと思う。そして、このMと彼女が親密な関係にあることを、なんとなくけどってしまったのだ。それでぼくは、頭がぐるぐると旋回して、もうそのあとのことはすべて記憶から消えてしまった。

 駒場寮と言うと思い出されるのが、原口統三『二十歳のエチュードだ。原口統三は、詩人で、旧制一校に在籍。有名どころでは先輩の清岡卓行と親交があったらしい。旧制一校在学中に二十歳を目前に入水自死を遂げた。駒場寮の友人が遺稿を編集して刊行したのが『二十歳のエチュード』なのである。

この本は、詩集というより、詩句を断片的に綴ったようなもので、なんだかおしゃれで格好いい。例えば、

肯定が負担にならないように要心したまえ。

ニーチェは重荷を担いで、苦しまぎれに威張り散らす。

だとか、

沈黙の楽園はもう失われたか。

小鳥たちは武装しなければならない。

だとか、あるいは、

ヴァレリィはこう言って嘆息した。そうして長い夢から僕は目がさめた。

だとか。なんか、当時の旧制一高の雰囲気を遠回しに感じられる。

実は、ぼくが『二十歳のエチュード』を読んだのは、上に登場した女の子からその文庫本をもらったからだった。なんで、彼女がこの本をくれたのかは今はすっかり忘れてしまった。そして、今のぼくの書斎の本棚には存在しない。ずっと後生大事に持っていたが、何かのきっかけで捨てたのだと思う。上で引用したのは、Kindleから0円でダウンロードしたバージョンである。

 

 

 

酔いどれ日記14

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今夜はMontlouisという白ワインを飲んでる。何かの花のような匂いと独特の渋みがあって、複雑な味わい。

今回は受験現国の話をしよう。

ぼくは中高生のとき、現国は文系科目の中で唯一好きな科目だった。論説文も小説も詩も好きだった。高校で「はずれ」な現国教員に当たったときは、授業を聞かずにずっと資料集を読んでいた。資料集には、文豪たちの小説がちょっとずつ載っていたから、文体と世界観をオムニバスで楽しむことができたからだ。効率的にたくさんの作家を知った。「はずれ」な現国教員は1人だけで、教わった他の2人は「当たり」な教員だった。彼らには大きな影響を受けた。そのうちの1人については、すでに酔いどれ日記2に書いた。もう1人は女性で、専門は古文の先生だが、現国も教わった人だ。

その女性教員の現国の講義のときは、彼女の問いかけに対して、ぼくはとにかくやみくもに発言をした。なんでもいいからアピールして、存在感を示したかったからだ。それだから彼女は、ぼくが文系志望の生徒だと思いこんでおり、ある時、「数学ですごいやつがいる、って聞いてたけど、それが小島のことだとは露とも思わなかった」と言ってくれた。(たしかにぼくは、その学年では数学はぶっちぎりに出来ていた。自慢話が鼻につくかもしれないけど、後に東大数学科に進学したぐらいだから、普通の高校なら当然のことで、自慢でもなんでもない)。

そんなぼくだけど、現国の成績は決してよくなかった。その女性教員もそのことには気づいて首をひねってたことと思う。授業中には玉石混淆ながら、それなりに「玉」な発言をするぼくが、テストになるとたいした成績がとれないのを不思議に思ってただろう。

それで高3のとき、その女性教員に、「現国で点が取れるようになるにはどんな参考書をやったらいいでしょうか」と教えを乞うた。そうして、良質の現国問題集を一冊紹介してもらった。夏休みに、その問題集の問題を1日1題ずつ解いていくことに決めた。ところがそれが、数日で頓挫することになってしまったのだ。

それは、三島由紀夫の小説が出てきたときのことだった。あまりにすばらしい文章に唖然とし惚れ惚れとなった。実は、三島の小説を読んだのは、それが初めてだった。ほんの一部を切り取ったものにすぎないけど、完璧で美しく魅力的だった。ぼくは問題を解く気にならず、何度も読み返しただけだった。それ以来、ぼくはその問題集を開くことはなかった。三島由紀夫の本はその後、30歳頃に一冊だけ読んだ。『音楽』という小説で、これもぼくがイメージしていた通りの、あまりに完璧で美しい文章だった。

これはぼくの悪癖だった。ぼくは現国の問題文ですばらしい文章に出会うと、問題を解く気が消滅してしまう。問題を解くことがその文章に対する冒涜のようにさえ感じられるのである。これでは現国ができるようになるはずはない。世の中にはぼくと同じ悪癖を持つ人が多くいるのではないかと思う。そんな人も悲観する必要はない、と声を大にして言いたい。そういう悪癖のぼくも、現国の不得意なぼくも、大人になって文筆家になり、数十冊の書籍を刊行しているもんね。

「受験科目」としての現国には馴染めなかったぼくだが、現国の勉強から大きな影響を受けた。ぼくは友達を参考に、Z会の通信添削を受講することにした。国数英の3教科だった。数学はそんなに問題が面白いとは思えなかった(満点を取れるわけじゃないけど、毎回高得点はとれて、名前が載った)。英語は不得意だったので毎回、四苦八苦しながら解いたが、記憶に残るほど面白いものではなかった。でも現国は、毎回、感心した。今でも記憶に残っているのは、なだいなださんの論説についての出題だった。

なだいなださんは、精神科医で評論家だ。ぼくがZ会の現国問題で読んだ文章は、(曖昧な記憶で書くことをご容赦)、「~イズム」というのが要するに「中毒だ」というものだった。その証拠として、「アルコール中毒」のことを英語でalcoholismというのだ、ということを挙げた。そうか!とぼくは膝を打った。「そうか、マルクシズムもキャピタリズムも、みんな中毒なんだな」とぼくはものすごく溜飲が下がってしまったものだった。なだいなださんの評論には、常に、そういったペーソスとユーモアと、そして本質を突くものがあった。

その後、大学生の頃に、なだいなださんが雑誌に覆面で連載した評論を集めた『透明人間、街をゆく』を読んだ。これにもものすごく驚かされた。一番驚いたのは、三島由紀夫の自決事件についての評論だった。三島の思想や事件の背景にはあまり深入りせず、きわめて冷静に、三島の人となりについて論じていた。三島が同性愛関連でとりざたされるのは知ってはいたが、なだいなだがその点について、自決後の解剖報告に言及したのには驚愕した。医師ならではの視点だったのだろう。

最終的に、受験現国はぼくの得点源とはならず、足を引っ張らない程度のものだった。(足を引っ張られて浪人の憂き目を見たのは、英語と物理だった)。でも、受験現国のおかげでぼくは、現在の文筆家の生業を得ることができたのだと思う。「得点できること」と「将来の血肉となること」とは同じではないのだな。

 

 

双子素数はどの程度の割合で存在するか?

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今回は、ひさびさに、数学ネタをエントリーしよう。それは「双子素数」に関することだ。

双子素数とは、差が2の素数のペアのこと。一番最初は、3と5だ。次は5と7。その次は11と13になる。双子素数について最も有名な予想は「双子素数予想」と呼ばれるもので、「双子素数は無限組存在する」という予想である。これは多くの数学者が成り立つだろうと信じているけど、いまだに証明されていない。(この予想については、最近、急激な進展があったのだが、そのことはあとで触れる)。

素数が無限個ある」という事実は、古くから知られていて、ギリシャ時代の『ユークリッド原論』に証明が書いてあるぐらいだ。いまでは中学生でも証明できる。(証明を知らない人は、拙著『素数ほどステキな数はない技術評論社で知りましょう!)。ちなみに『ユークリッド原論』に書いてある証明はピタゴラスによるものだろうと考えられているそうだ。それに対して、「双子素数予想」のほうはとてつもなく難しい。素数がペアになるだけで、とんでもない難問になってしまうのだね。

双子素数x以下に何組ぐらい存在するか、についての評価式を手に入れた最初の数学者はブルンという人だ。彼は「ブルンの篩(ふるい)」と呼ばれる方法を用いて評価式を得た。ブルンの証明を知りたくて何冊もの専門書(解析的数論という分野)を手にしたけど、どの本を読んでもわかり難くくて、いつも挫折を余儀なくされてきた。ところが、最近入手したKevin Broughan『Bounded Gaps Between Primes』という本で、初めてわかりやすい解説に出会うことができた。なので今回は、この本に書いてある証明をおおまかに要約しようと思う。

ぼくはこの本をKindleで買ったんだけど、Kindleでは一部の数式が(なぜだか知らないが)とても小さいポイントになってしまっていて、異様に読みづらいことを付記しておく。

 この本は、「双子素数予想」に関して、古典的な結果から最近の進展までについて解説している。「GPYの定理」や、ザン・イータン(Zhan Yitang)による画期的ブレークスルー、そして最新のメイナードの定理まで網羅されていてすごい。ザン・イータンは「差が7000万以下の素数の組は無限に存在する」を示した。そして、メイナードが「差が246以下」まで改良したのだ。「差が2」まで改良できれば「双子素数予想」に到達できる。

ちなみに、この本によれば、「双子素数予想」がユークリッド時代から知られていたというのは俗説で、根拠がないそうだ。この予想への最初の言及は、1849年のポリニャックによるものとのことである。

 そして、この本の第2章は「The Sieves of Brun and Selberg」(ブルンの篩とセルバーグの篩)となっている。「篩(ふるい)」とは、要するに、ある種の性質の数を含むできるだけ少数の数集合を作り出し、その要素数を評価することだ。例えば、「10以上x以下の素数を全部含む集合」として、「10以上x以下の自然数から2の倍数、3の倍数、5の倍数、7の倍数を取り除いた集合」A_xを作る。これは(143=11×13など)素数でない数ももちろん含むが、10以上x以下の素数すべてを含んでいて、10以上x以下の自然数全体よりはだいぶ小さい集合である。集合A_xの要素数を正確にカウントする、あるいは評価することができれば、10以上x以下の素数の個数をおおざっぱに見積もることができる。ちなみにこの「篩A_x」は「エラトステネスの篩」と呼ばれるものだ。(エラトステネスはギリシャ時代の数学者)

Kevin Broughan『Bounded Gaps Between Primes』には、ブルンとセルバーグの履歴が書いてある。セルバーグは有名な数学者だが、ブルンについての書籍での記述は初めて見た。

ブルンは1885年生まれで1978年没のノルウェー人。ゲッチンゲン大学ヒルベルト、クライン、ランダウに師事したとのことだ。ノルウェートロンハイムの大学に勤務後、オスロ大学に移った。セルバーグは、1917年生まれ2007年没で、やはりノルウェーの数学者。プリンストン高等研究所に勤務。生粋の天才であり、すでに高校生のときに論文をパブリッシュしたらしい。ブルンの父親は彼が幼少のときに他界しているが、かたや、セルバーグの父親は数学者で、彼は父親の本から大きな影響を受けたといい、二人の生い立ちは対照的と言っていい。

 ブルンが双子素数について得た結果は次の二つ。

(定理A) x以下の素数pで、p+2素数になるような素数pの個数を\pi_2(x)と置くとき、x \rightarrow \inftyにおいて、\pi_2(x)<<\frac{x(loglog\,x)^2}{(log\,x)^2}

(定理B)  素数pで、p+2素数になるような素数p、の逆数和は収束する。

定理Aは「おお、やっぱりそうか」と思えるものである。有名な「素数定理」によって、「x以下の素数の個数\pi(x)\frac{x}{log\,x}に漸近する」ということが証明されている。これは x \times \frac{1}{log\,x}だから、「十分大きいx付近の数が素数である確率は、 \frac{1}{log\,x}だ」と解釈できる。であるから、「x素数x+2素数である確率は \frac{1}{log\,x} \times \frac{1}{log\,x}=\frac{1}{(log\,x)^2}だ」というおおざっぱな見積もりが浮かび上がる。ブルンの評価では、双子素数の「存在割合」は、その「確率」に(loglog\,x)^2を乗じたものより小さいとしているから、「なるほどね」と頷ける。ちなみに、「素数定理」の証明は前掲の『素数ほどステキな数はない』に概要を書いてあるので、是非ご覧になってほしい。

定理Bがその筋では有名な結果だ。オイラーが「素数の逆数をすべて加え合わせると無限大に発散する」という画期的な定理を証明した。これはもちろん、「素数が無限個あること」の新証明になっているが、素数の分布についてのもっと詳しい情報「素数はそんなに飛び飛びではない」を含んだ画期的な結果である。(前掲の拙著には、この定理のオイラーによる証明とエルデシュによる証明を収録しているので参照されたし←しつこくてすまんがこのブログは販促用なのでご容赦)。ブルンの定理Bは、オイラーの方法では「双子素数予想」が解決できないことを示している。別の言い方をすると、「双子素数は無限組あるとしても、かなり飛び飛びである」ということを教えてくれるのだ。

定理Aから定理Bを証明するのは、わりあい簡単で、『Bounded Gaps Between Primes』では次のように解説している。すなわち、定理Aから、次の評価式が得られる。

\pi_2(x)<<\frac{x}{(log\,x)^{1+\varepsilon}}   (ここで0<\varepsilon<1)。

p_nn組目の双子素数の最初の数(すなわち、x素数x+2素数であるようなxn番目のもの)とすると、\pi_2(p_n)=nとなる。したがって、

 n=\pi_2(p_n)\leq \frac{p_n}{(log\,p_n)^{1+\varepsilon}}

が出てくる。明らかにn \leq p_nだから、

 n\leq \frac{p_n}{(log\,n)^{1+\varepsilon}}

が得られる。これから、

\frac{1}{p_n}\leq\frac{1}{n(log\,n)^{1+\varepsilon}}

という評価が示され、右辺の総和は有限に収束することが(積分によって)わかる。

定理Aの証明は長いので、要点をかいつまむだけにする。大事な道具は2つ。1つ目は、「ブルンの純正篩」と呼ばれるもので、次の補題だ。

補題1(ブルンの純正篩) XN個の要素から成る有限集合とし、A_1,\dots,A_rXの部分集合とする。Xの要素でA_1,\dots,A_rのいずれにも属さないものの個数をN_0と置く。このとき、任意の偶数mに関して、次が成立する。

N+\sum_{j=1}^{m+1}(-1)^j\sum_{|S|=j}|\cap_{i\in S}A_i|\leq N_0 \leq N+\sum_{j=1}^{m}(-1)^j\sum_{|S|=j}|\cap_{i\in S}A_i|

この補題は要するに、A_1,\dots,A_rの合併集合に入っていない要素数をカウントするもの。A_1,\dots,A_rのうちのいくつかの部分集合の共通部分を足したり引いたりする、いわゆる「包除原理」の計算になっている。受験でよく出る「100までに3の倍数でも5の倍数でもない整数はいくつある?」のような問題の解法に現れる計算だ。双子素数でないある種の整数たちを取り除いて、双子素数を含む小さい集合を作りだし、その個数N_0をこの式で評価するのである。

二つ目の補題は以下。

補題2  x>1とする。また、p_1,\dots,p_kを異なる奇素数とする。このとき、|\theta|<1が存在して、 ( xが積p_1\dots p_kで割り切れるなら\theta=0で)、

x以下のnn(n+2)が積p_1\dots p_kで割り切れるようなnの個数」=\frac{2^kx}{p_1\dots p_k}+2^k\theta

この定理の証明には、有名な「中国剰余定理」が利用される。「中国剰余定理」とは、例えば、「3で割ると余りがa、5で割ると余りがbなる数」が「15で割った余りで分類できる」というのを一般化したものである。

さて、この2つの補題は次のように利用される。今、y以下の素数を小さい順にp_1,\dots,p_rとする。また、双子素数のペアの小さい方pyより大きくx以下であるもの(yp\leq xかつp+2素数)の個数を\pi_2(y,x)と定義する。さらに、n \leq xなるnで、積n(n+2)p_1,\dots,p_rのいずれの素数の倍数ともならないnの個数をN_0(y , x)と定義する。さきほどの双子素数のかたわれpは、p+2素数だから、積p(p+2)p_1,\dots,p_rのいずれの素数の倍数ともならず、今のnの定義を満たしている。したがって、\pi_2(y,x) \leq N_0(y , x)が成り立つ。よって、N_0(y , x)を篩として利用すれば良いのだ。そこで、求めたい集合の裏側にあたる集合A_iを「積n(n+2)素数p_iの倍数となるnの集合」と定義して、(補題1)(補題2)を用いれば、N_0(y , x)を不等式で評価することができるのである。詳しくは『Bounded Gaps Between Primes』で勉強してほしい。

これで、中学生時代からの悲願であった「双子素数のブルンの篩による評価」を完全に理解することができた。次は「セルバーグの篩」にチャレンジし、数年以内に、メイナードの結果に到達することを目標としたい。

以上のもろもろの参考として、拙著『素数ほどステキな数はない』を強く推奨する(笑い)。

 

酔いどれ日記15

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今夜はSaumurの白ワインを飲んでる。不思議な香りがあって好み。

このところ、ずとまよ(ZTMY;ずっと真夜中でいいのに)の新譜「伸び仕草懲りて暇乞い」におまけでついているBDを繰り返し観まくっている。これは、ブルーノート東京で行われた無観客のライブ映像。ジャズクラブなので、アン・プラグドという体裁だ。

このライブ演奏はあまりにすごい。本当にあまりにすごいのだ。

アン・プラグドだし、ジャズっぽいアレンジなので、ACAねさんの超絶的な歌のうまさが際立つ。アレンジ自体もめちゃめちゃかっこいい。若い女の子(と言ったら失礼だろうが)にどうしてこんなことが可能なのかとのけぞってしまった。

ぼくは、ブルーノート東京には一度だけ行ったことがある。マイク・スターンというギタリストのライブを観に行ったときだ。スターンというのは、超テクのジャズ・ギタリスト。マイルス・ディヴィスの復帰アルバム「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」で有名になった。ライブの後半は、日本の超テク・ギタリスト渡辺香津美さんがジョイントして、あまりのかっこよさに胸が熱くなった。

ぼくは、大学の同級生のアパートで、初めて、マイルスのアルバムを聴き、それが「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」だった。そのとき、スターンの演奏にぶっとんだのを今でも鮮烈に覚えている。友人は「これはジャズじゃない」「マイルスはロックに魂を売った」みたいに言われている、と話してたけど、ぼくには「ジャズかどうか」なんてことはどうでも良かった。スターンのアドリブ演奏は、ロックぽいリフでありながら、コルトレーンばりのモード奏法でもあり、こんなギンギンのギターをマイルスが自分の演奏に導入した、というのが驚きかつ衝撃だった。

 さて今日は、小野善康さんの新著『資本主義の方程式 経済停滞と格差拡大の謎を解く中公新書について、ちょっとだけ書こうと思う。多くの人必読の経済学書だと思うので、本格的な紹介は後日、「酔いどれ日記」ではなく、ちゃんとしたエントリーをするつもりだ。

この本は、たった一つの方程式を使って、不況やバブルや格差や円高不況について一刀両断にするものだ。「一刀両断」本というのは、たいてい、勢いだけの目も当てられないデタラメ本にすぎないものだ。でもこの本は、きちんとした整合的な経済モデルにのっとっているので、そういうまがいものとはぜんぜん違う、ということを(経済学者のはしくれとして)太鼓判を押しておく。

ぼくは、宇沢弘文先生のレクチャーを受けて経済学に目覚めた(その辺の事情は、このエントリーで読んでくださいな)。それで経済学部の大学院で勉強したい、と思うようになり、30代後半にそれを実現した。大学院での目標としていたのは、次の二つだった。

(A)  貨幣理論としてのケインズ経済学をきちんと理解したい

(B) 宇沢先生の社会的共通資本の理論を発展させたい

宇沢先生のレクチャーを受けて、この二つにとても引きつけられたからだ。ぼくが教わった頃の宇沢先生は、「新古典派」と呼ばれる経済理論(経済学会の現在の主流派)には、完全に批判的な立場をとっていた。憎悪と言っても過言でないほどの否定のしようだった。他方で、ケインズ経済学にはアンビバレントな気持ちを持っておられるようだった。不完全ではあるが、ポテンシャルを秘めていて、超克すべき理論と見ておられるようだった。

実際、テキストとされた宇沢弘文近代経済学の転換』岩波書店では、第3章「ケインズ経済学の生成」、第4章「『一般理論』と不均衡動学」と、2章をさいていた。第3章では、ケインズの生涯からケインズ理論の構築過程まで非常に詳しい解説がなされ、特に『貨幣改革論』『貨幣論』に関するサーベイがなされている。また、第4章では、動学理論(時間の流れを伴う運動理論)としてのケインズ経済学に焦点をあて、それを「不均衡動学」に発展させる構想を述べている。

とにかく、ぼくは、散りばめられている「貨幣」「不確実性」「時間」「論理」「推論」「不可知性」「合成の誤謬」「不均衡」と言った魔術的な言葉たちに魅了されてしまったのだ。それで、大学院で本格的に経済理論を勉強したいと願うようになったのである。

ところが、大学院では、上記の(A)も(B)も全く解決しなかった。解決しないどころか、失望させられることになった。大学院の先生方は、(A)にも(B)にもぜんぜん関心を持っておられず、研究したことも知識として仕入れたこともない風情だった。まあ、新古典派とは軌道がクロスさえしないので、仕方ないといえば仕方ない。失望したのは、ぼくの興味が「あさっての方向」だからであって、正しいのは先生方が教えてくれる経済学の方なのだろう、と諦めとともに自分を説得し、とりあえず、目をつぶって新古典派の修行をすることにしたのだった。

でも今回、『資本主義の方程式』を読んで、ぼくの興味は的を射ていたのだ、という確信に到達した。大学院ではそれこそ「あさっての理論」を教わっていたのだと思う。小野さんの本で、ぼくが70年代から21世紀の今まで見てきた日本の経済の風景のほとんどが説明できると思う。そのことは、次回以降に詳しく書こうと思う。

この本でぼくには、上記の(A)はほぼ解決してしまったと思う。宇沢先生に教わって苦節30年の年月が流れたけど、目標は達成されたのだ。だから、これからの残る人生は(B)に賭けようと思う。これにはまだまだやるべきことがふんだんにある。

こういうと多くの同業者を敵に回すと思うが、(A)でも(B)でもない経済モデルは単なる「数学の遊戯」なんだと思う。現実とはなんら関係ない「数学の遊戯」だ。もちろん、「だから意味はない」とは言わない。物理学や生物学にだって「数学の遊戯」分野はたくさんあると思う。「数学の遊戯」も楽しいものだし、遠い将来にはきっと(数理暗号のように)社会の役にたつ日もくることもあろう。だから、いわゆる主流の経済学をぼくは、「数学の遊戯」としてはいそしんで行こうとは思う。でも、それはライフワークではない。残るぼくのライフワークは(B)なのだ。

 

 

 

資本主義の方程式

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 今回は、前回に予告した通り小野善康『資本主義の方程式 経済停滞と格差拡大の謎を解く』中公新書の紹介をしよう。一回ではまとめきれないので、何回かに分けて紹介するつもりだ。

この本は、タイトルの通り、たった一つの基本方程式で、資本主義の二つの状態「成長経済」「成熟経済」における経済メカニズムのあり方の違いをはっきり区別するものである。端的にまとめれば、「成長経済」と「成熟経済」は、正反対の様相を持ち、したがって、経済政策の効果は真逆になる、ということである。日本の政治家(および指南役の経済学者やエコノミスト)はずっと、「成長経済」での景気後退に効く政策から頭が離れず、それを「成熟経済」に対して実施してきたので、日本経済は迷走を続けている、というのが小野さんのメインの主張だ。

 小野さんはこれまで、不況動学の本を何冊も書いてきた。それらの専門書・解説書に比べて本書の新しい点はどこか、を最初に箇条書きでまとめておく。

(A) 動学モデルの基本方程式を、最新型に刷新し、しかも今までよりずっとわかりやすい形式で、提示している。

(B) 「貨幣選好」だけでなく、新しく「資産選好」を加えたため、ゼロ金利、資産バブルを説明できるようになっている。

(C)既存のマクロ経済理論の簡潔にして明瞭なサーベイが提示されている。

(D)ケインズ経済学(IS-LM分析)の「消費関数」のどこが間違いかをはっきりさせ、「新消費関数」を提示している。ついでにMMTのダメな点も指摘している。

(E)  あらゆる景気刺激策に対して、その効果の善し悪しを理論的に評価している。

(F)不況下での格差拡大のメカニズムを理論的に解明している。

(G)国際経済への応用も示し、マンデル・フレミングの間違いを正し、新理論を提示している。

(H) 基本方程式から、資本主義社会のあるべき姿を提唱している。

( I )  随所に適切な実証データが投入されている。

 今回は、以上のうち、(A)と(B)について紹介しようと思う。

まず、小野さんが提出している「資本主義の基本方程式」とは、以下である。

 \gamma(m,c)+\delta(a,c)=\rho+\pi

 where \pi=\alpha(\frac{y-y^f}{y^f})

記号の説明をすると、左辺のcmaはそれぞれ実質消費量、実質貨幣量、実質資産量。(文字は、consumption、money、assetに由来)。ここで「実質」とは、物価で割った値であることを意味する言葉。例えば、消費に使う金額をC、物価をPとすれば、実質消費量cは、C/Pとなる。右辺の\piは「インフレ率」(物価の変化率)で、\rhoは「時間選好率」。「時間選好率」とは、「今の消費を我慢することによる不満分をちょうど補うだけの将来の消費増分」のこと。経済学では、「今1万円もらって消費をするのと、1年後に1万円もらって消費をするのとでは、今の方を好む」とされていて、「今1万円もらって消費をするのと、1年後に1.2万円もらって消費をするのとなら、どっちでも良い」となる場合の増加分0.2を時間選好率と呼んでいる。

その上で、 \delta(a,c)とは、「資産プレミアム」と呼ばれる量で、「資産を一定期間1円を多く保有することで生まれる付加的な満足度と同等の満足度を、モノの消費を今増やすことによって得るには、どのくらいの額が必要か」という量を表す。大事なことは、「消費の金額」の単位で表されている、ということ。(本書では省略されているが、もっと経済学的な説明を、ミクロ経済学の知識がある人に向けて最後の補足で説明する)。

さらに、 \gamma(m,c)は、「流動性プレミアム」と呼ばれる量で、「貨幣を1円多く持つことによる取引の便利さからの満足度と同じ水準の満足度を消費によって得るには、消費をいくら増やせばよいか」を表す。貨幣は、「いつでもその額面の何とでも交換できる」という利便性を備えた財であり、「その利便性の満足を消費から得るなら」という量が「流動性プレミアム」なのである。

whereのあとで説明しているのは、インフレ率\piがどう決まっているか。もちろん、方程式の中の\piを置き換えてもいいが、わかりやすさのために分離しておいた。この式において、y^fは供給能力。すなわち、全資本と全労働者をフル稼働するとどのくらいの生産物ができるかを表す。一方、yは総需要で、人々がどのくらいの量の生産物を欲しているかを表す。したがって、whereのあとの式は、「インフレ率が総需要量と供給能力との乖離(超過需要率)に比例する」という仮定を表している。比例定数\alphaは、物価調整の効率性を表す。

基本方程式 \gamma(m,c)+\delta(a,c)=\rho+\piが成り立つのは、左辺が貯蓄1円増(資産1円増)の総便益を表し、右辺が貯蓄のコストを表すからである。右辺の\rhoは消費を将来に回すときのご褒美分を意味し、\piがインフレによる消費の値上がり分を表すから、貯蓄の総便益はこの和をぴったり補わなければならない。それがこの方程式の意味である。

 ここで、本書は、資産保有と貨幣保有の関係について次のように説明する。すなわち、収益資産1円増の総便益は、利子Rと資産プレミアムの和 \delta(a,c)+Rとなる。他方、貨幣1円増の総便益は \delta(a,c)+\gamma(m,c)となる(貨幣保有は資産保有もかねていることに注意せよ)。この二つの総便益は等しくならなければならない。なぜなら、資産保有の総便益が上回るなら、保有している貨幣を1円資産に回せば総便益の和が増加するからだ。逆の場合もしかり。よって、 \delta(a,c)+R=\delta(a,c)+\gamma(m,c)が成り立ち、したがって、 R=\gamma(m,c)となる。言葉で言えば、「流動性プレミアムは利子率と等しい」ということだ。

 基本方程式 \gamma(m,c)+\delta(a,c)=\rho+\piを土台にして、小野さんは「成長経済」と「成熟経済」を分類する。

まず、成長経済とは、生産能力y^fがまだ低く、そのため人々の消費水準も低く、消費増大意欲の強い経済のことだ。金融資産も少ない。この経済において、仮に人々が貯蓄を優先して消費を抑え、モノの総需要yが生産能力に届かない乖離が起きたらどうなるか。総需要yが供給能力y^fより小さくなるので、人手が余り、物価の下落(whereの式でインフレ率\piが負、つまりデフレ)が起きる。すると、実質資産量aも実質貨幣量mも増大する(物価で割った量だから)。これは基本方程式の左辺が小さくなることを意味するので、右辺「貯蓄のコスト」(=消費の便益)が相対的に大きくなり、人々は消費を増やすように行動する。これでyが増加していき、すぐに生産能力y^fを実現する。こうなると、インフレ率は0となり(whereの式)、経済は動かなくなり、完全雇用に復帰する。他の調整については本書で読んで欲しいが、要するに、物価の変化によって、実質資産量と実質貨幣量が柔軟に変化し、消費と貯蓄が自動調整される、ということなのだ。だから放っておいても経済は安定する。

他方、生産能力y^fも消費cも十分に大きくなった「成熟経済」では、これと異なる様相が生じる。それは、小野さんの仮定「資産プレミアム \delta(a,c)は、同じ消費cに対して資産aの増加によって小さくなっていくが、資産aも消費cも十分大きい場合、同じ消費cに対して資産aの増加による資産プレミアム \delta(a,c)の低下は止まり、一定量\bar{\delta}(c)以下には下がらなくなる」に依存する。専門用語では「限界効用の非飽和性」、ひらたく言えば、「底なし沼のような金持ち願望」ということだ。これが理論のキモとなる。つまり、資産プレミアムが資産量増加に無反応になる、ということだ。こうなると、上の「成長経済」のところで述べた自動調整機能が働かなくなる。総需要が生産能力を下回り、デフレが起き、資産量と貨幣量の増大が起きても、資産プレミアムが資産量に無反応になるので、消費は刺激されず、貯蓄にいそしむだけになる。したがって、需要不足はいつまでたっても解消されず、長期不況が到来する。

今の説明において、流動性プレミアム \gamma(m,c)のほうはどうなっているのか?ここが、最初に述べた(B)の点である。要するに「ゼロ金利」のメカニズムなのである。すなわち、(実質)貨幣量mが増加するに従って、流動性プレミアム \gamma(m,c)は減少する。貨幣量が限度を超えて増加すれば、流動性プレミアムはゼロに収斂する。すると上のほうで説明した等式 R=\gamma(m,c)から、利子率Rもゼロとなる。これがゼロ金利である。したがって、デフレによる貨幣量の増大も基本方程式の左辺に変化を与えないのである。まとめると、資産量も消費量も十分に大きくなった成熟経済の基本方程式は、\bar{\delta}(c)=\rho+\piとなる。

 リーマンショックが起きたあと、リフレ政策がとりざたされ、同時に小野さんの不況動学も話題になった。そのとき、小野さんの当時の本では貨幣保有の便益だけを扱っていたため、「利子率=貨幣保有の便益」という等式となっており、「貨幣保有の便益の非飽和性」から不況を説明していた。これに対して、「利子率=貨幣保有の便益>0」となって「ゼロ金利じゃないじゃん、現実に合わないじゃん」という批判がなされた。小野さんは当時から資産プレミアムと流動性プレミアムと両方考えていたが、簡便性の目的で本には後者だけを要として説明していたために浴びてしまった批判だった(とぼくは思っている)。そこで今回、小野さんは、ゼロ金利を説明すべく、資産プレミアムと流動性プレミアムを区別して導入したのであろう。

長くなってしまったので、(D)、(F)、(G)については次回以降に紹介することにする。

(ミクロ経済学の心得のある人向けの補足)

資産プレミアム「資産を一定期間1円を多く保有することで生まれる付加的な満足度と同等の満足度を、モノの消費を今増やすことによって得るには、どのくらいの額が必要か」とは、要するに、v^{\prime}(a)/u^{\prime}(c)、のこと。ここで、u(x)は消費の効用関数で、v(x)は資産保有の効用関数。以前の小野さんの本ではこう提示されていた。なぜ、これが上の説明になるのか。

まず、関数f(x)xが微少量だけ増えてx+\epsilonになったときの関数値の増分が、近似的にf^{\prime}(x)\times \epsilonであることを思い出そう(テイラー展開)。これを念頭に置き、caが実質値であることに注意すれば、消費をv^{\prime}(a)/u^{\prime}(c)円分だけ増加させたときの効用の増加は、u^{\prime}(c)\times (v^{\prime}(a)/u^{\prime}(c))/P=v^{\prime}(a)\times(1/P)。これはまさに「1円資産を増やしたときの付加的な満足度」になっている。

 

 

 

 

ケインズ消費関数のどこが間違いか?

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今回も、前回に引き続いて、小野善康『資本主義の方程式 経済停滞と格差拡大の謎を解く』中公新書の紹介をする。ただし、説明の重複によって長くなるのを避けるため、前回のエントリーは前提として書くので、読者は前回のエントリーと行きつ戻りつしながら読んで欲しい。

 

今回は、本書の中で、ぼくが最も感動した部分について紹介したい。それは、「ケインズ消費関数のどこが間違っているか」という説明だ。

ケインズ消費関数」というのは、旧ケインズ経済学に導入された仮定の一つである。ちなみに小野さんは、本書で一環して、「ケインズ経済学」という用語を用いている。これは、いわゆるニュー・ケインジアン経済学を「新ケインズ経済学」としたいからかな、と思う。ご自分の経済学を「新ケインズ経済学」と呼ぶつもりである可能性もないではないが、とりあえず、前者だとぼくは解釈しておく。

ケインズ経済学では、消費関数からIS曲線と呼ばれる曲線を描き、貨幣需要関数からLM曲線を描き、その交点を均衡とする。すなわち、交点によって総生産と利子率が決まるのである。どちらにも、生産側の都合が入っていないのが特徴だ。

小野さんの本では、ケインズの消費関数を旧消費関数と呼び、c=c(y-t+s)と表記している。ここで、右辺は関数記号c(x)であることに注意。つまり、数学でよく使うf(x)の一種として、c(x)を投入しているということ。左辺のcは(実質)消費量、右辺のy, t, sは、順に、(実質)総需要、(実質)総税額、(実質)総給付額を表す(「実質」の意味は、前回のエントリー参照)。したがって、y-t+sは、いわゆる可処分所得(家計が同時点で自分が使える所得)を意味することになる。だから、式c=c(y-t+s)が意味するのは、「各時点における人々の消費は、同時点で自分が使える所得に応じて(関数c(x)に従って)決まる」という仮定だ。

マクロ経済学の教科書で、旧ケインズIS-LMモデルを扱うときは、関数c(x)をよく1次関数に設定する。すなわち、c=\beta+\alpha(y-t+s)とする。このとき、総需要yは、消費需要と投資需要と政府需要を合わせたものc+i+gだから、それを代入し、c=\beta+\alpha(c+i+g-t+s)が得られる。これを、消費cの1次方程式として解けば、消費cが、投資需要iと政府需要gと税金tと給付金sの式で表されることになる。したがって、総需要c+i+gも投資需要iと政府需要gと税金tと給付金sの式で表される。できた方程式は、投資需要iが利子率の関数だと見なすことで、総生産(=総需要)と利子率の関係式となる。これがIS曲線を描く。

ちなみに以上の導出は、総生産yc+i+gと一致することから、cのところに関数c(y-t+s)を代入し、c(y-t+s)+i+gとしておいて、これを総生産yを変数とする関数と見なして、その値が再びyと一致する場合を解くのと同じことである。関数c(y-t+s)+i+gのいわゆる「不動点」を求めているわけである。グラフの言葉で表現するなら、「45度線と関数のグラフの交点を求めること」なので、「45度線分析」とか「ケインジアン・クロス」と呼ばれる。

小野さんの本のすばらしさは、この旧ケインズ経済学と同じ方法で、小野さんの基本方程式から新しい消費関数「新消費関数」を導いてみせていることだ。以下、ざっと解説する。

前回のエントリーで説明したように、小野さんの基本方程式は、

 \gamma(m,c)+\delta(a,c)=\rho+\pi

 where \pi=\alpha(\frac{y-y^f}{y^f})

である。ここで、左辺のcmaはそれぞれ実質消費量、実質貨幣量、実質資産量で、 \gamma(m,c)は貨幣保有から得られる便益、\delta(a,c)は資産保有から得られる便益を意味する。右辺の\piは「インフレ率」(物価の変化率)で、\rhoは「時間選好率」。また、y^fは供給能力。(詳しくは前回参照のこと)。

特に、モノも資産も豊富になった「成熟経済」での方程式は、上記の左辺が変わって、

\bar{\delta}(c)=\rho+\pi

となる。ここで、左辺の\bar{\delta}(c)とは、資産量aが十分大きくなって、基本方程式の貨幣保有から得られる便益 \gamma(m,c)が0に収斂し、資産保有から得られる便益\delta(a,c)が、同じcに対して不変(aに影響されず一定)な、cだけの関数\bar{\delta}(c)に収斂してしまったことを表している。

ここで、基本方程式から、インフレ率 \pi\alpha(\frac{y-y^f}{y^f})と表されることから、インフレ率は総需要yと生産能力y^f(の開き)によって決まる、ということが仮定されている。上の「成熟経済」の方程式\bar{\delta}(c)=\rho+\picについて解けば、消費関数c=c(y; y^f)を導出することができる。これも総需要(=総生産)yの関数となっているので、旧消費関数と同じく、関数c(y; y^f)+i+g不動点が総生産yを決めることになる(ここで投資iは、消費が低迷しているため、減価償却の分のみのほぼゼロと考えてよい)。言い換えると、「45度線分析」(ケインジアン・クロス)によって総生産が決まる。小野さんは、この消費関数c=c(y; y^f)を「新消費関数」と呼んでいる。

 小野さんは旧消費関数と新消費関数について、その決定的な違いを説得している。それは「旧消費関数では、人々はその時々で手にする可処分所得だけを見て消費を決めると仮定しているが、新消費関数では、人々は物価変化を見ながら、消費と貯蓄の便益を比較して消費を決めることを示している」ということ。さらに小野さんは、この違いをもっと明確に、こう述べている。「ケインズ経済学では、所得が総需要を決める、と考えているが、基本方程式では、総需要が所得を決める、となる」。この点の説明を本から引用してみよう。

総需要が物価変化率を決め、それが人々の消費を決めるとすれば、消費と投資と政府需要の合計は、もとの総需要と一致しているはずである。(中略)。総需要がこのように決まってしまえば、生産能力が余っていても実際に売ることができる量は総需要の水準までなので、所得もその水準になってしまう。つまり、資産選好を持つ人々の行動を考えると、「総需要が所得を決める」ことがわかる。ところが、旧ケインズ経済学では、その時々で所得が入るから消費をすると仮定しており、「所得が総需要を決める」と考えている。このように、旧ケインズ経済学では、総需要と所得の因果関係を反対に捉えているのである。(p80)。

(上に注意したように、投資iがゼロに近い一定値であることを踏まえよ)。

この違いは、経済政策の効果について、全く対照的な結論を導くことになる。ここも直接に引用しよう。

可処分所得が消費を決めると考える旧ケインズ経済学が正しければ、定額給付金地域振興券などのばらまき政策は、税金を取らずに赤字財政によって行われる限り、可処分所得を増やして消費を増やすはずである。ところが、消費が人々の資産選好と物価変化率で決まるなら、ばらまき政策で家計の可処分所得を増やしても、新規需要を作らないからデフレ・ギャップは埋まらない。そのため、消費は刺激されず、総需要もGDPも増えない。(p81)

これを数学的に見るには、旧消費関数c=c(y-t+s)に変数s(=給付金)が入っているが、新消費関数c=c(y; y^f)には入っていないことからすぐわかる。また、日本の「失われた30年」の間の経済政策の無効性の経験(同書にいくつかのデータが掲載されているので参照こと)からも、旧消費関数が間違っていることが推測される。

 この議論がぼくにとって非常に重要だったのは、積年の疑問が晴れたことだった。大学院で経済学を勉強しているとき、計量経済学も教わった。計量経済学の教科書に必ず「消費を可処分所得で回帰した回帰直線」が例としてあげられており、それがあたかも旧消費関数の証拠のように登場していた(不思議なことに「証拠」だとは書いてないのだけど)。確かに、非常に当てはまりがよく、例えば蓑谷『計量経済学東洋経済では、決定係数が0.9873と非常に大きい数値になっている。ぼくは、これらを見たとき、「旧消費関数は正しい、だからきっと、旧ケインズ理論は正しいんだ。でも、感触的には何かおかしいぞ」と思ったものだった。今回、小野さんの本を読んで、「因果関係が逆だ」ということがわかった。「消費(総需要)が所得を決める」場合でも、同じく高い当てはまりが出るはずだからだ(単に、説明変数と被説明変数が逆になるだけだから)。これを理解してはじめて、「実証にはモデルの善し悪しが大事だ」というよく耳にする批判の意味を実感として身にしみた次第である。世の中には散布図だけを示して、何かの因果を吹聴している人々をよく見かけるが、そういうのはダメじゃん、という決定打を得たと思う。

 最後に、「増税が景気を冷やす」という俗説に関する小野さんの反論を引用しておこう。以下である。

消費税を引きあげると景気を悪化させるという主張は多い。本当にそうか。

消費税増税はその率だけ消費者物価を引き上げるため、景気に及ぼす効果は、物価上昇がもたらす実質金融資産の減少効果である。したがって、消費意欲の大きな成長経済においては、貨幣mや資産aが減って人々の流動性プレミアム \gammaや資産プレミアム \deltaが上昇し、貯蓄意欲が高まるから、消費を減らしてしまう。ところが成熟経済では、資産プレミアム\bar{\delta}は実質金融資産に反応しないため、消費は変化しない。このように、消費税増税が消費を引き下げるという主張が正しいのは成長経済だけであり、成熟経済では成り立たない。(p84-p85)

このことに関して、本書では、「消費税が高い国は景気が悪いか?」という点に関する解答の実証データとして、散布図をあげている(p86)ので、是非、それも参照してほしい。

 ぼくは勤務校で、長い間、マクロ経済学を教えている。最初は、旧ケインズ経済学のIS-LM分析を教えていた。しかし、教えるたびに、自分がでたらめな論理を組み立てているような「気分の悪さ」に襲われ、結局、この手法をやめてしまった。今は、ソローモデルを簡易化した動学モデルを講義している。小野さんの本で、その「気持ち悪さ」の所在がはっきりした。ケインズは、(新古典派に比べれば)、いい線まで行っていた。勘は良かったんだ。やはり、天才だったのである。でも、その後の経済学者が(ケインジアンが)、ちゃんとケインズの論理の欠陥を正そうとせず、そのまま請け売りを教えてきたから、ずっと「気持ち悪い」でたらめの、そして、現実とも食い違いがある理論が継承され続けてしまったんだと思う。

 ここで声を大して言いたいのは、「もう、大学で、IS-LM分析を教えるのは、いいかげんやめたらどうか」ということだ。そのためには、公務員試験とか経済学検定とかでIS-LM理論を出題するのもやめるべきだ(実際、出題しているかは知らないんだけど)。そうしないと、学生の受験のために、間違った理論を仕方なく教え続けなければならない。特定の経済理論を、公的試験とか検定試験とかに入れるのは、経済学というものの社会における地位を保つ(悪口を言えば、利権を保つ)ためには有効な手段なのは理解できるが、それは結局、サイエンスから道徳へと落ちぶれることを意味しており、自壊の道なのではないかと思うのだ。

 

 


酔いどれ日記16

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 このところ、ずっと小野善康さんの『資本主義の方程式』についてエントリーしてて、まだ、1,2回、論じたいことがあるんだけど、今夜はまた、酔いどれ日記のほうに戻ろうと思う。(書評は、書くのに緊張感が必要なので、疲れるんだよね)。

 今夜は、カオールの赤ワインを飲んでる。甘みがあって、濃厚。色の深いルビー色。ぐびぐびは飲めないけど、値段の割に豊かな味わいだと思う。

 今日は、「集合と位相」について戯れ言を書こうと思う。

ここのところ、「集合と位相」を勉強し直している。その理由は、今書いている本の次に書く本に、必要になるアイテムなので、自分の理解を深めることとどういうアプローチが最も読者にわかりやすいかを探求するためなのだ。

「集合と位相」というのは、集合論位相空間論を解説する分野だ。ぼくは、数学科に進学が決まった2年生の後期に(駒場で)講義を受けた。そのときぼくは、講義を聞きながら何か参考書も併用しようと思った。当時は、岩波基礎数学の彌永昌吉・健一『集合と位相』を持ってたんだけど、(というか、基礎数学は全巻持っていた)、どうも読みこなせる気がしなくて、松坂和夫『集合・位相入門』岩波書店を主に使ったように記憶している(実は曖昧な記憶なんだけど)。この松坂本は非常に名著で、今でもたぶん、初学者が「集合と位相」を勉強するのに最も良い教科書ではないかと思う。

ところが今、両方を読み直してみて、彌永本を非常に面白いと思うようになったのだ。ここで皆さんに強くお伝えしたいことは、「自分にとって最良の教科書」というのは、時期によって、それからモチベによって異なる、ということだ。自分というのは常に同じではなく、時とともに変化する。知識も興味も忍耐力も立場も変化する。だから、それらの変化によって、今の自分にフィットした教科書や専門書というのは当然異なることになるのだね。

今回、久しぶりに彌永本を読んでまず興味をひかれたのは、位相空間の構築の仕方だった。通常は「開集合」の導入から始めるのが定番だと思う。開集合を知らない人は、周を含まない円をイメージすれば良い。それらを合併したり、共通部分をとったりしてできる図形が開集合だ。それに対して、彌永本では「閉包」から導入している。閉包というのは、点集合Sを変形する操作で、おおざっぱにいえば、Sの点列が密集している場所にある点をSに付け加えてできる点集合のことだ。Sの閉包(密集部にある点を付け加えた集合)をcl(S)と記す。ここで、「密集」というのは、普通の平面ならイメージできるけど、一般の空間ではなんだかよくわからない概念なので、むしろ、閉包の持つべき性質を定義することによって特徴づける。それが、以下の4つの性質だ。

(i) cl(\emptyset)=\emptyset 空集合の閉包は空集合

(ii) cl(S \cup T)=cl(S) \cup cl(T)合併の閉包は閉包の合併

(iii)  S \subset cl(S)  閉包は元の集合を含む。

(iv) cl(cl(S))=cl(S)  閉包の閉包をとると、変化しない。

閉包を「密集している点(近づいていく先)を取り込む」だとイメージすれば、上記の4つは当然そうなるだろうな、と受け入れられるだろう。位相空間論では、逆にこの4つがなりたつとき、cl(S)Sが密集する点を取り込んだ図形だと定義している。その空間に固有の「密集」を定義している、ということ。そして、このcl(S)から、開集合とか閉集合とか近傍とかを順次定義していくことになる。例えば、cl(S)=SとなるS閉集合で、閉集合の補集合が開集合というあんばいである。ちなみに、このように位相空間を構成するのは、クラウスキーという数学者の流儀らしい。

ぼくは、大学生のときは、この構成法にまったく親近感を持てずに、定番の開集合から導入する構成法で理解したのだけど、今回彌永本でこれを読んで、新鮮な気持ちで受け入れることになった。理由はいくつかあるが、(その中には専門の経済学の観点もあるけど、それは面倒なので説明しない)、ひとつは「無限概念が表向きには混入していない」ということ。例えば、開集合から導入する場合には無限概念が出てくる。すなわち、開集合は無限個の開集合を合併しても開集合で、有限個の開集合の共通部分は開集合、と設定される。無限個を許す場合と許さない場合に分かれる。もうひとつの理由のほうが大事なんだけど、それは「関数の連続性の定義がとても自然だ」ということだ。

開集合を主役とした定番の教科書では、「空間Xから空間Yへの関数fが連続」ということが、「空間Yの任意の開集合OfによるXへの引き戻しf^{-1}(O)Xの開集合」と定義されるんだけど、「引き戻し」というのがどうにも違和感がある。なぜなら、「関数が連続」の定義は、雑な言い方だけど、「xaに近づくなら、関数値f(x)f(a)に近づく」というものだから、「引き戻し」で語られてないからだ。

ところが閉包を使って連続関数を定義するなら、「空間Xの任意の部分集合Sについて、Sの閉包の関数値の集合が、Sの関数値の集合のYにおける閉包に含まれる、すなわち、f(cl_X(S)) \subset cl_Y(f(S))」となる。この定義は、さきほど書いた「xaに近づくなら、関数値f(x)f(a)に近づく」とまんま同じだと解釈できるように思える。「周辺の点を周辺に写す」ということだからだ。以前は、全くそんなことを考えもしなかった。でも今は、「何が自然だと思うか」ということに当時と違う感覚があるんだね。

 あと、彌永本で感心したのは、順序集合における「ツォルンの補題」の証明の方法だ。「ツォルンの補題」というのは、「順序集合の任意の空でない全順序部分集合が上限を有するとき、極大元が存在する」という定理。数学全般で利用される汎用性のある定理だ。普通はたぶん、「整列集合」(任意の空でない部分集合が最小元を持つ集合)と「超限帰納法」(数学的帰納法の拡張版)と「選択公理」(無限個の集合の族から1個ずつ元を取り出していい)を利用するんだと思うけど、それだと証明がめっちゃ長くなる。それに対して、彌永本では、「選択公理」だけからかなり短い証明を与えている。これは、これはHalmos(ハルモス?)という数学者の証明らしい。この証明は、単に極大元の存在がわかるだけじゃなく、それがとある全順序集合の最大限であることまでわかる。非常に抽象的な証明だけど、短いし、鋭い証明だと思う。

 彌永本は、形式的な自然数論とか実数論から開始されていて、大学生のころのぼくにはその意義がわからなかったけど、今はとても頭にしみる。とりわけ、実数の集合の構成をコーシー列の集合をとある極大イデアルでの商集合で実行して「体」に仕立てるあたり、感動すら覚える。人は変わるものなのだ。

 駒場の2年後期の数学科(進学内定者向け)の講義は、たしか、「代数」「複素関数」「集合と位相」だった。「代数」では、たぶん、単因子論かなんかやっていて、複素関数論はコーシーの積分定理をやっていたと思う。どちらもあんまり興味を持てなかった。でも、「集合と位相」だけは面白く受講してた記憶がある。特に、教員がなかなかユニークな人で、「ツォルンの補題」と「チコノフの定理」(コンパクト空間の集合の直積空間はコンパクト)については、「教えちゃうのはもったいないから、レポート課題にします」と仰って、宿題に課された。なのでぼくは、普段の講義はそんなに理解してなかったけど、この二つの定理は自分なりに必死に理解して、教科書を写すのではなく、自分なりに再構成してレポートを出した記憶がある。期末試験も、他の二つに比べればよく解答できた。(なんと、「代数」は追試になってもうた)。

 一応、販促すると、「集合と位相」については、拙著『数学入門』ちくま新書にかなりわかりやすく、かなり文学的に、かなり直感が得られるように解説しているので、手に取ってみてほしい。

 もう一度言うけど、年齢とともに人は変わる。興味もモチベも変わる。だから、今は頭が受け付けなくても捨て去ってはいけない。頭の片隅においておくと、いつか「その日」がやってくるかもしれないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

酔いどれ日記17

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今夜はシャンパンを飲んでいる。DRAPPIERというやつで、そんなに高価ではないが、なかなか美味しい。いい具合に酔っ払っている。

今回は、数学における「完全系列」のことを書いてみたいと思う。

完全系列というのは、 0 \rightarrow A \rightarrow B \rightarrow C \rightarrow 0というふうに、集合A, B, C準同型写像( f_1:0 \rightarrow A, f_2:A \rightarrow B, f_3:B \rightarrow C, f_4:C \rightarrow 0)で繋がれているもので下で述べる条件を満たすものを言う。ここで「準同型」とは、代数的構造が保存される写像のことである。例えば、A, Bが群なら、積が保存される写像(すなわち、 f(x \circ_A y)=f(x) \circ_B f(y))で、A, Bが環なら、和と差と積が保存されるような写像のことだ。これらの準同型 f_1, f_2, f_3,f_4が、すべて、「(f_iの像)=(f_{i+1}の0の逆像)」を満たすものが「完全系列」なのである。正式に書くと例えば、Im (f_2)=Ker( f_3)などとなる。

 f_1,f_2 f_3,f_4に対しては簡単になる。Im(f_1)=f_1({0})=0だから、0=Ker(f_2)となり、これは f_2単射であることを意味する。また、Ker(f_4)=f_4^{-1}(0)=Cだから、 Im(f_3)=Cとなって、 f_3全射であることを意味する。だから、わかりにくい条件は、Im(f_2)=Ker(f_3)ということだ。

 この完全系列は、少し進んだ数学をやると多くの分野に登場する。高校から大学2年ぐらいまでは、多項式微分やベクトルが数学の「言語」だったのに、いきなりこの完全系列があたかも現代数学の「日常語」のように登場することになるので、多くの数学徒はひるまされる。

 ぼくが完全系列を最初に目撃したのは、数学科に進学が決まった2年後期だったと記憶している。演習の授業で、学生それぞれに問題が割り当てられて黒板で解答させられた。そのとき、ある同級生が、すごく簡単な問題を完全系列を使って解答した。別に完全系列なんて使わなくても、普通に定義通りに考えれば解けるような問題だった。でも、演習の教官は、「すごいですねえ」と絶賛した。その光景をぼくは、95%の羨望と5%の反発で眺めていたものだった。その後、親しくしていた数学科の友達たちとは、完全系列をばりばり使う人々を「矢印遣い」というあだ名で呼んだものだった。

 結局、完全系列とは馴染めないまま、数学科を卒業した。

ところが、執筆する本の企画のためにこの歳で完全系列に再会することとなった。企画の参考のために数論の本を読んでも、代数幾何の本を読んでも、完全系列がふんだんに出てくる。しかも、どの本でも、最初のほうに登場する場面では、「そんなもん、定義通りに計算したほうが早いやん」と思うような証明を完全系列でわざわざやっている。またまた、「5%の反発」とも再会することとなった。

 でも最近、いくつかの定理の証明を読んで、「完全系列って、本質的な道具なんだな」と感じられるようになった。例えば、リーマン面に関する「リーマン・ロッホの定理」というのがある。これは、例えば、リーマン面(球とかトーラスとか)に定数でない有理型関数があるかないか、とかがわかっちゃう定理なんだけど、証明の重要な部分に完全系列が使われる。それはおおざっぱには、次の原理を使う。

先ほど例に出した完全系列 0 \rightarrow A \rightarrow B \rightarrow C \rightarrow 0で考えよう。ここで、A, B, Cがベクトル空間としよう。すると、

(Bの次元)=(Aの次元)+(Cの次元) (すなわち、dimB=dim A+dim C)

が成り立つことになる。これをうまく使うとリーマン・ロッホが出てくるんだな。

この定義の証明は、完全系列に慣れるとそこそこ簡単になる。準同型f_3に注目すれば、準同型定理から、BKer (f_3)で割った商集合B/Ker (f_3)が、Im (f_3)と同型になる。上に書いたようにf_3全射だから、Im (f_3)=C。したがって、商集合B/Ker (f_3) Cと同型。一方、完全系列だからIm (f_2)=Ker (f_3)であるから、商集合B/Ker (f_3)B/Im(f_2)と書き換えられる。ここで、 f_2単射であることを思い出せば、Im( f_2)Aと同一視できる。まとめる、B/A Cと同型だということになる。ここで次元を考えれば、dimB-dim A=dim Cとなるから、証明が終わる。

 こういうことだと理解すると、「なんだ、ベクトル空間の話やん。だったら、線形代数のときに、もっと意識的にこれをやっときゃいいやん」という思いに至った。もちろん、線形代数は数学科以外の理系でも必須アイテムだから、完全系列を意識的に投入するのはうまくないだろう。でも、「数学徒向けの専門書では、まず線形代数の解説の中で完全系列を初歩から書いて、その上で先に進みゃいいやん」とは思うのだ。まあ、これに類する目的で、世の専門書では簡単なことをわざと完全系列で証明してみせているんだと思うけど、「新しい素材」+「新しい武器」は、凡庸な人間にはハードルが高すぎる。だったら、「よく知っている線形代数」+「新しい武器」のほうがずっと適切だ。

 などと不平不満を述べてたら、そういう本を見つけてしまった。有木進『加群からはじめる代数学入門』日本評論社がそれだ。

この本は、ベクトル空間からはじめて、多項式環、有理整数環、非可換環加群の世界を進んでいく。秀逸なのは、第1章で、線形代数を完全系列という「日常言語」で再現してくれていること。こういう本こそ、求められている本だと思う。例えば、この本には、さきほどのdimB=dim A+dim Cを、準同型定理を使わずに、ベクトル空間の素朴な表現を使って証明してくれてる。至れり尽くせりだ。

 奇遇なことにも、有木さんはぼくと数学科の同期だった(と思う)。しかも、バイト先も一緒だった。同期がこういう待望の本を書くとは巡り合わせだと思う。ついでながら、有木さんは、最初のほうに書いた「矢印遣い」同級生ではないので、誤解なきようにね。

 まだぼくは完全系列とか準同型についての本は書いていないけど、抽象代数の本は上梓しているので、販促しておこう。以下である↓。(面白い本だじょ)

 

 

 

酔いどれ日記18

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 今夜のワインは、リースリングの白ワイン。Roche Calcaireというもの。爽やかで、今日の気候にはちょうど合う。

 それにしても、最近の民放のテレビ番組のつまらなさはとんでもない状態で、NHKしか観なくなってもうた。NHKにもいろいろ政治的な意味で問題の大きい部署もないことはないが、総じてすばらしいクオリティの番組を作っていると思う。昨夜にやってた初音ミクの特集とまふまふさんの特集はすばらしかったし、映像の世紀で特集したメルケルの回は感涙ものだった。NHKスペシャル「数学者は宇宙をつなげるか」は、テレビで最先端の数学を紹介する、という野心的な試みで、(成功か否かはさておき)、その志に拍手を送りたいと思う。中でも絶賛したいのは、ドラマ「しずかちゃんとパパ」だ。最初は何の予備知識もなく、単純に、吉岡里帆ちゃん目当てで観始めたんだが、回が進むごとにその見事なシナリオと演出に感動するようになった。聾唖の親を持つ子供たちが背負うさまざまなことをテーマにしてた。非常に丁寧な制作で、ドラマとはこうあるべしというものだった。

 さて、今回は、「ラマヌジャンのL関数」のことを書こう。参考書は小山信也『素数からゼータへ、そしてカオスへ』日本評論社だ。

ラマヌジャンは、「2次のオイラー」というものすごい発見をした。オイラー積とは、その名の通り、オイラーが発見したもので、自然数のs乗の逆数和

\zeta(s)=\frac{1}{1^s}+\frac{1}{2^s}+\frac{1}{3^s}+\dots

が、全素数の式として、

\zeta(s)=\frac{1}{1-\frac{1}{p^s}}素数pすべてにわたる積

と表される、いうものだ。これを真似て、ディリクレがL関数というのを考えた。L関数とは、

\zeta(s)=\frac{a(1)}{1^s}+\frac{a(2)}{2^s}+\frac{a(3)}{3^s}+\dots

というタイプのゼータ関数である。例えば、簡単なL関数として、

L(s)=\frac{1}{1^s}-\frac{1}{3^s}+\frac{1}{5^s}-\frac{1}{7^s}\dots・・・(1)

がある。ちなみにこの式では、プラスとマイナスが交互になってて、4で割った1余る奇数ではプラス、4で割って3余る奇数ではマイナスになっている。ディリクレはこのL関数のオイラー積を考えた(オイラーも知ってたらしいけど)。この式のオイラー積は、

L(s)=\frac{1}{1-\frac{a(p)}{p^s}}の奇素数pすべてにわたる積 ・・・(2)

ここで関数a(p)は、p4n+1素数のときは14n+3素数のときは-1となるもの。どちらのオイラー積も、分母がp^{-s}=1/p^sの1次式になっているから、「1次のオイラー積」と呼ばれている。

 さて、ラマヌジャンはどうやって「2次のオイラー積」を発見したか。それは、

f(q)=q\Pi_{k=1}^{\infty}(1-q^k)^{24}

という式を展開することから出てくる。この式は、愚直に書くと、

f(q)=q(1-q)^{24}(1-q^2)^{24}(1-q^3)^{24}(1-q^4)^{24}\dots

これをq多項式として展開して、q^nの係数を\tau(n)と定義する。すなわち、

f(q)=\tau(1)q+\tau(2)q^2+\tau(3)q^3+\tau(4)q^4+\dots

ということ。\tau(n)を求めるには、f(q)を途中までで打ち切って展開し、それ以降には出てこないq^nに対して、係数を決定して行けば良い。

実際に求めてみると、次のようになる(らしい)。

\tau(1)=1, \quad \tau(2)=-24, \quad \tau(3)=252, \quad \tau(4)=-1472,

\tau(5)=4830, \quad \tau(6)=-6048, \quad \tau(7)=-16744, \quad \tau(8)=84480,

\tau(9)=-113643, \quad \tau(10)=-115920, \dots

ラマヌジャンは、この係数\tau(n)たちを分子に乗せて、L関数を作った。すなわち、

L(s, \tau)=\frac{\tau(1)}{1^s}+\frac{\tau(2)}{2^s}+\frac{\tau(3)}{3^s}+\dots=\frac{1}{1^s}-\frac{24}{2^s}+\frac{252}{3^s}+\dots

という関数だ。そして、このL関数が「2次のオイラー積」を持つことをラマヌジャンは見つけちゃったんだね。以下のようなものだ。

 L(s,\tau)=\frac{1}{1-\frac{\tau(p)}{p^s}+\frac{1}{p^{2s-11}}}素数pすべてにわたる積

この分母は、1-\tau(p)p^{-s}+p^{11}(p^{-s})^2だから、p^{-s}の2次式になっている。すなわち、「2次のオイラー積」というわけだ。

 なんで「2次のオイラー積」が出てくるんじゃろ、と昔から不思議だったけど、この度、小山先生の素数からゼータへ、そしてカオスへ』を読んで、初めてそのからくりを理解できた。

まず、「1次のオイラー積」が出てくるからくりは、関数の性質「乗法的」と「完全乗法的」にある。a(n)が互いに素なm,nに対して、a(mn)=a(m)a(n)を満たす場合が「乗法的」、任意のm,nに対してa(mn)=a(m)a(n)を満たす場合が「完全乗法的」と定義される。上のほうで紹介したL関数では、a(n)は、nが偶数なら0、4で割ると1余る奇数なら1、4で割ると3余る奇数なら-1と定義される。このとき、a(n)は「乗法的」かつ「完全乗法的」となる。だから、(2)は(1)と一致する。なぜなら、無限等比数列の和の公式から、

\frac{1}{1-\frac{a(p)}{p^s}}=1+\frac{a(p)}{p^s}+\frac{a(p)^2}{p^{2s}}+\frac{a(p)^3}{p^{3s}}+\dots

だから、例えば、45^sが分母の分数は、45=3^2 \times5から、a(3)^2/3^2a(5)/5の積で出てくるが、「完全乗法的」から、a(3)^2 \times a(5)=a(3^2 \times 5)=a(45)=1となってうまく行く。これが「1次のオイラー積」をつかさどるからくりなのだ。

 一方、ラマヌジャン\tau(n)は「乗法的」だが、「完全乗法的」ではない。実際、例えば、互いに素な2と3については、上に書いた数値から、\tau(2)\tau(3)=-24 \times 252=-6018=\tau(6)となるが(これはめっちゃ不思議だ)、\tau(3)\tau(3)=252^2=63504\neq-113643=\tau(9)である。

(この辺で、赤ワインに切り替わった)。

では、「完全乗法的」が成り立たない代わりに何が成り立つのか。これを発見したのがラマヌジャンの天才性だと言える。それは、j=1,2,3,\dotsに対して、

\tau(p^{j+1})=\tau(p)\tau(p^j)-p^{11}\tau(p^{j-1})・・・(3)

が成り立つ、というのである。例えば、\tau(2^3)=\tau(8)=84480\tau(2)\tau(2^2)-2^{11}\tau(2^1)=\tau(2)\tau(4)-2^{11}\tau(2)=(-24)\times (-1472)-2048 \times (-24)=84480である。よくこんなことに気づいたと驚嘆する。

\tau(p^{j+1})=\tau(p)\tau(p^j)なら「完全乗法的」になるが、p^{11}\tau(p^{j-1})を引いている分だけ、ズレが生じている。このズレが、「2次のオイラー積」を生み出す源になっているというわけなのだ。おおざっぱに言うと、\tau(p^k)/p^{ks}の総和を作る際、上記の(3)を使って変形をほどこすと、ズレの部分に再び\tau(p^k)/p^{ks}の項が現れ、それを左辺に移項することで2次の部分が生成されることになる。似た現象で言うと、積分計算で部分積分すると右辺に同じ積分が出てきて左辺に移項すれば値が求まっちゃう、みたいな感じ。詳しくは、素数からゼータへ、そしてカオスへ』で勉強して欲しい。繰り返しになるが、「完全乗法性」から少しだけズレることが、高次のオイラー積という魔法を作り出す呪文の役割を果たすわけなのだ。すごすぎるね。

 \tau(n)が「乗法的」であることと(3)を満たすことは、ラマヌジャンが見抜いて「予想」したのだけど、それを証明したのは、モーデルという数学者だ。予想の翌年(1917年)のことだった。その証明の武器は、モーデル作用素というものだ。

 ラマヌジャンf(q)は、「保型形式」という性質の関数に属する。それを一般化したものが「マース波動形式」というものらしい。マース波動形式に対しては、モーデル作用素を発展させたヘッケ作用素というのを使って、「2次のオイラー積」を持つことが証明できるとのこと(これも素数からゼータへ、そしてカオスへ』で確認しよう)。すばらしすぎる。

 関係ないけど、ぼくが初めて「マース波動形式」という名称を目撃したのは、たしか黒川信重さんの本だったと思う。そのときは、「これは、黒川さん一流の冗談だな」と誤解してしまった。だって、「マース波動」なんて、宇宙戦艦ヤマトに出てくる「波動砲」を想起させたから(笑)。いやあ、ほんまものの数学用語と知ったときはまじでのけぞった。

 さて、L関数の「1次のオイラー積」とそれが何に役立つかについての、それなり詳しい説明は、拙著『素数ほどステキな数はない』技術評論社を読んで理解してくれたまえ。(販促、販促)

 

 

 

 

 

酔いどれ日記19

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 今夜は、アイラウイスキーハイボールを飲んでいる。それは、焼肉を食べにいって、生ビールをしこたま飲んだので、ワインを経由せずに仕上げにかかっているからだ。

 さて、先日、庵野さんの映画「シン・ウルトラマン」を観てきた。非常に面白かった。堪能できた。ぼくは、もろにウルトラマン世代だ。小学校低学年のときにリアルタイムで観た。それこそ、外で遊んでいても、走って帰宅して観たものだった。

そんなぼくだからか、そんなぼくでもか、シン・ウルトラマンは楽しかった。「シン・ゴジラ」の感動ほどではないにしても、十分評価できる作品だった。その一番の原因は、「シン・ウルトラマンには、オリジナルのウルトラマンに欠けているものが補充されている」からだ。オリジナルのウルトラマンに欠けていたのは「SF的要素」だったのだと今では思う。ビームをかざすとなぜウルトラマンは巨大化するのか、ウルトラマンはなぜ空を飛べるのか、スペシウム光線とはいったい何なのか。これらもろもろのことに説明が成されなかった(たしか、記憶では)。でも、庵野シナリオではそれは逐一説明されていたのだ。ときに「ほほう」、ときに「それかい」という具合で。これにはまじで感心した。

 怪獣と星人のセレクトも申し分なし。最後も、「そうだよね、それ以外ないよね」というエンディング。全く文句なしですわ。

 さて、これだけで終わったらあかんので、少しだけ数学の思い出を書こうと思う。今回は、森嶋太郎「ふぇるまあノ問題」という本だ。

ぼくは、これまでこのブログでも、著作でも、ぼくが中学生のときに数学にはまったきっかけを「フェルマーの大定理」だと書いてきた。この定理は、「nが3以上の整数のとき、x^n+y^n=z^nを満たす自然数x,y,zは存在しない」というものだ。それに嘘偽りはなく、自分が生きているうちにこの未解決問題が解決したのは、最高の幸せだったと言わざるを得ない。しかも、数学ライターとして、その報道に関わることができたのも誇らしいことだった。

その「フェルマーの大定理」について、たしか、高校生のとき、森嶋太郎という数学者が「ふぇるまあノ問題」という本を上梓していることを知った。しかし、書店はもとより、通常の図書館にさえ、この本は置かれていなかった。どういうきっかけでかは覚えてはいないが、東大の総合図書館にはこの本が存在することを知った。それで、もしも東大に入学することができれば、真っ先にこの本を借りに行こうと、それを心の支えに、受験勉強に励んだのだった。

 森嶋太郎の本に書かれていたのは、「フェルマーの商」と呼ばれるアイテムだった。ご存じの人が多いと思うが、「フェルマーの小定理」というのがあって、それは、「p素数とし、apの倍数でない自然数とするとき、a^{p-1}-1pの倍数となる」というものだ(証明は、拙著『世界は素数でできている』角川新書、または、素数ほどステキな数はない』技術評論社で読んでね)。したがって、 (a^{p-1}-1)/pは整数となる。これを「フェルマーの商」と呼び、q(a)と記される。

この「フェルマーの商」について、驚くべき定理が得られたのだ。ヴェィフェリッヒという人が1909年に次の定理を得たらしいのだ。

「奇素数lについて、x^l+y^l=z^lの成り立つ自然数x,y,z(ただし、自然数x,y,z,lは互いに素)が存在するなら、q(2)lで割り切れる」

というものだ。ここで「q(2)lで割り切れる」というのは、2^{l-1}-1lで割った「フェルマーの商」は、もう一度lで割り切れる、というのだ。言い換えれば、2^{l-1}-1l^2で割り切れる、ということである。こんなことが簡単に起きるわけがない。これは、「フェルマーの大定理が正しい」という強い傍証となるように思える。何より、フェルマーの大定理フェルマーの小定理と結びつけられるのだから、こんな奇跡のような定理はないではないか。ぼくはこの定理を知って、非常に興奮したのを覚えている。

その後、フロベニウスとマリマノフが「q(3)lで割り切れる」も証明したとのこと。そして、このたぐいの定理が次々と更新され、森嶋もその拡張者の一人なのである。

森嶋太郎「ふぇるまあノ問題」を絶対入手したい、というぼくの想いはどんどん募っていった。一年の浪人の末、東大入学を果たした。総合図書館(本郷)の入館証を手に入れてすぐに、ぼくは意気揚々とこの本を手にしに行ったのだった。

請求番号を書いてわくわくしながら司書さんに渡すと、司書さんは本を一冊持ってきた。それは予想外に小さな本だった。そして、司書さんは「この本は持ち出しができないので、中で読んでください」とぼくに本と席番号の札を渡してくださった。ぼくは、いきなり書架に入ることになって面食らったが、とりあえず、あつらえられた机に座って、小さな本を開けてみたのだった。

本の中身を見て、非常に困惑することなった。それは明らかに日本語ではなく、数学書ですらなかった。何語かも全くわからなかった。少なくともフランス語やドイツ語ではないのはわかった。たぶん、ラテン語だったのだろうと思う。

一行たりとも読めなかった。数式も図版もなく、楽しみようはなかった。司書さんがいぶかりながら、この本を渡してくれた意味が判明した。こんな本、10年に一度も需要がないに違いない。いや、借り出したのはぼくが初めてだったのかもしれない。

ぼくは、30分ほどその本のページをぱらぱらめくってみたりしたものの、「これはどうしようもない」と諦め、司書さんのところに行って本を返した。事情を説明すると、司書さんはぼくの読みたい本と請求番号を見比べて、ぼくが請求の仕方を根本的に間違っていたことを発見してくださった。まあ、初めての利用だからしゃーない。司書さんが、森嶋太郎「ふぇるまあノ問題」を書架から持ってきてくださり、「これなら、持ち出してコピーできますよ」と教えてくれた。ぼくは、念願の、憧れの、悲願の、この本のコピーを手に入れることになったのだ。もう40年以上も前のエピソードである。

 結局、この本は、読まずじまいで今に至っているんだけどね。

 

 

 

 

 

酔いどれ日記20

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今夜は、最初に、シャンパンのBliard-Morisetというのを飲んでる。実にうまい。

最近、2本の映画を観たのだけど、今日はそのうちの1本、映画「ZAPPA」のことをエントリーしよう。

新宿の映画館で観た。もう上映期間も終わりに近づいているので、客は数人だった。これは、ロックアーティストのフランク・ザッパのドキュメントで、アレックス・ウィンターという人が監督した作品だ。ザッパのインタビューと様々な映像、ザッパバンドのメンバーだったミュージシャンのインタビューから構成されている。

ライブ映像はそんなに扱われないけど、ずっとザッパの曲がBGMに鳴っているので、気持ちよく観ていられる。この映画を観ると、ザッパがいかに異端のロックアーティストで、いかに孤高の作曲家だったかがわかる。ロックもジャズもクラッシックも超越したところでザッパは曲作りをしていた。

面白かったのは、ザッパが望んだわけではないのに、「政治」と無関係ではいられなかったことだった。まあ、映画がそういう撮り方をしているというのもあるけど。

最初のシーンは、チェコスロバキアでのライブだ。この国からロシア軍が撤退した祝賀のライブであった。まさにこの今、このシーンから映画が始まるというのは、偶然とは言え、感慨深い。

ザッパはアンチ共和党の急先鋒として有名だったが、いろいろな政治問題に担ぎ出されていたことも知った。そんなに政治的な人ではないと思うのだが、いろいろな事情で政治に巻きこまれることになったようだ。

それはともかく、最も驚いたのは、ザッパが貧乏な家庭の出身で、さらには、物心つくまで音楽のおの字にも興味がなかったことだった。この映画を観るまではなぜか、ぼくはザッパのことを、裕福な家庭に生まれ、音楽の英才教育を受けた人だとばかり思っていた。そう思うくらい、ザッパの音楽は堂に入っていたのだ。しかしそれは全くの誤解で、実はザッパは、ヴァレーズの曲を聴いたことをきっかけに音楽に目覚め、いきなりオーケストラ・スコアを書いてしまったというから驚く。ザッパは、映画音楽も現代クラッシック曲も書いているが、初心がヴァレーズであれば「なるほど」と納得できた。

ぼくがザッパを聴いたのは、塾でバイトしていた時代の同僚の影響だった。その人はドラマーだったので、リズムの凝っているザッパの音楽のファンだったのだ。ぼくは、彼の影響で、今まで全く興味のなかったドラム演奏に興味を持つようになった。それまでは、ライブでのドラムソロは、おトイレタイムぐらいに思っていた。でも、ザッパのライブ映像を観て、ドラムこそ、最高の楽器だと思うようになった。それ以来、音楽はドラムで聴くようになってしまった。ザッパバンドのパーカッショニストだったルース・アンダーウッドが、映画のインタビューで、「リズム楽器はオーケストラでは脇役だったが、ザッパの曲ではメインだったから、オーケストラをやめてザッパバンドに入った」というような趣旨の発言をしていた。まさに、ザッパはリズムの人だったんだ。

ここから、赤ワインClerc Milonにきりかわる。

ザッパは大統領選挙の年に必ずライブツアーをして、共和党をこきおろして歩いた。ぼくは、90年代のあるとき、翌年が大統領選挙であることから、ザッパがツアーをすると推測して、アメリカ在住の友達にチケットを入手してくれるように頼んだ。しかし、残念ながら、ザッパが癌に罹患したためツアーは中止になってしまった。ぼくはアメリカでライブを観る夢を諦めざるを得なくなった。そして、ザッパがその癌で死に至ったので、結局ライブを観る夢は叶わなかった。

ザッパの音感が半端ないことは、クラッシックのアーティストたちが注目していたことからわかる。例えば、クロノス・カルテットもザッパに作曲を依頼していた。ジュリアード出身の天才ギターリストのスティーブ・ヴァイは、ザッパの曲「ブラックページ」を「他にはあり得ない作曲」と述べた。同じく音大出身のルースが「ブラックページ」をピアノで記憶をたぐり寄せながら演奏するシーンは感涙ものだった。

 ぼくはザッパの音楽を聴いていたころ、ザッパ以外の音楽は退屈で聴けなくなり、長い間ザッパの曲しか聴かない日々が続いた。もうこんなことは二度とないだろうと思ったんだけど、それが再来した。それはバンド「ずっと真夜中でいいのに」を聴いている今だ。ずとまよのACAねさんの曲は、まさにザッパの再来で、彼女の曲にはまってしまうと他のいかなる音楽も、本当に退屈で聴けなくなってしまった。もちろん、ACAねさんはザッパなんか聴いたことがないかもしれない。でもぼくは、彼女の音楽のあり方に、ザッパの影を見てしまうのだな。

ザッパが諧謔的で猥雑な歌詞ではなくて、もっと普通の、ぐっとくる歌詞を書いていれば、ザッパの曲はビートルズなみの伝説になっていたと思うのだが、まあ、それではザッパではないから仕方なよね。

 

 

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